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ちょっとだけ前向きな言葉(253・254)

●努力している「ふり」をしても傍から見ればバレる時もある。しかしふりをするだけでも「努力」を意識している、何もしないよりは前向きだと思う。


 人は自分自身や他人に、自身の努力や意欲を示すために態度や行動を変えるものだ。しかしその努力を装うことができたとしても、時には他人から見破られたり、本物の努力と区別されたりすることもある。演技や装いだけでは本物の努力とは認識されないことがあり、それを見透かす能力を持つ人も少なからずいる。やはり努力はフリだけでは成立しない。

 しかしたとえ他人には見破られたとしても、努力を装うこと自体が努力や目標に向かって意欲を持っていることの証拠であり、それは少なくとも前向きな行動だと言える。

 言い換えれば、何もしないよりも少なくとも努力を装うことで、何の努力もしないよりは自己意識を高め、前向きな姿勢を持つことができる。

努力する振りだけでも何もしないよりは意識が高まるはずだ。

 他人に見破られることがあっても努力の意志を示すために努力を装うことは、自己成長や前向きな変化に対する第一歩である。それは何もしないよりも好ましい行動だと考えられる。



●自分を認めて肯定をするのはタダでもできるが、自分を貶し否定すると後々大きなツケを払うような気がする。


 自己評価や自己イメージが否定的である場合、それが自己成長や幸福感に対する障害となることがある。自分自身を低く評価し貶めることは、自信を喪失させたり、成功への自己信念を損なったりする結果に繋がる。これに対し自分自身を認め、肯定的に受け入れることは、自己尊重を高め、自己信念を強化し、ポジティブな心の状態を促進することにつながるものだ。

いたずらに自己を貶めることは将来の自分に対する借金と同じ事だ。

 自分を否定的に見て貶めているとそれを挽回させるために長い時間と、将来的には高いコストを伴う可能性がある。自分を認めて肯定的に受け入れることは、自己成長や幸福に向かう一歩であり、それは元手いらずに誰にでもできる行動であることを忘れてはならない■

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