Cranberries
昨夜、聲の形という映画をみて。
あの中の登場人物に例えると、私は完全にゆづるちゃんのような中学生だった。
片親といっても母がいないのと父がいないのではまるで違うと思うのだけど…
が、あの歳で年齢以上に振る舞う必要があったのは同じだろう。
片親でなくても、例えば兄弟が多いとか、何かしらの事情でそうならざるを得ない家庭もあるだろう。
ヤングケアラー、という言葉が日本で言われ始めたのは近年だと思うけど。
自分が親の立場になると育児を上の兄弟に助けてもらう時は多々あり…子に無理させてないかは気になる。
これが手伝いという範囲を超えて日常的に長子が小さな下の子の世話をせざるを得ない状況は、ヤングケアラーとなるのだろうか。その"程度"をどう見たらいいのか難しい。
ヤングケアラー、病気の家族や高齢の祖父母、障害を持つ家族の世話を日常的にしている子、または大人(親)の代わりに小さな兄弟の世話を日常的にしている子のことだが、その事が発覚したとして、誰か他人の大人が助けてくれるのだろうか。
こういう状態になってしまう原因に経済的な理由が大きいと思う。(共働きしないと家計がまわらない。結果、こどもに負担をかけてしまう状態に陥りやすい)
その他人による助けは無償かそれに近くなければ解決にならない。
今の日本、子供がいたら共働きしないと絶対にキツイしそうしながらの育児、さらには介護などがプラスされたら…親世代は子供に負担をかけないためにどう対処していけばいいのか。
例えばこれが裕福であれば、足りない大人の手を金銭を支払って補う事はできるだろう。
ヤングケアラーのこと、理解が浅く考えが及ばないところもたくさんありますが、解決はなかなか難しいと感じる。まずヤングケアラー本人にその自覚があまりない気がする。
だいぶ話がそれてしまった気がする。
わたしの子供時代は特にヤングケアラーではなかったと思います。
ただやらなければ家庭が回らなかったから家事や料理はしていた。
母と祖母が亡くなった13歳の年、わたしは一時期学校へ行けなくなり、行っても給食の時間からとか…完全に栄養摂取しに行ってた。
給食はバランスが良くて美味しくて素晴らしい。
そうしてわたしは周りからかなり浮いていた。
(そう自分が感じていただけなのか?わからない)
それ以前から周りとの違和感は少しずつあったのかもしれない。
17歳ごろにはそれまでと全く違う自分になりたくて、肩より少し長い茶髪のセミロングをバッサリ切った。
全体的にかなり短いベリーショート。
カラーはホワイトブリーチにシルバーを乗せて、自分的には外国人風にしてみた。
当時の女の子にしては珍しい。
同世代では似たような子はまわりにあまりいなかった。(ゆいいつ!親友がいた)
服装もキレイめギャルみたいになりかけてたのを、ボーイッシュとガーリーのミックスみたいな感じに変えた。
つまり、アイルランドのバンド「Cranberries」が好きだったのでボーカルのドロレスのような雰囲気に憧れていた。
あと他に海外のミュージシャンではビョークがとにかく好きだった。(両方今でも好き)
中学生の頃、クランベリーズの中で1番初めに買ったCDアルバム
『No Need To Argue』
zombie や アルバムタイトルの曲も好きだけど、当時、1番好きだったのは
「Daffodil Lament」
あと、このアルバム以前の曲だが
「Dreams」も有名。良い曲だと思う。
(※このころ日本で大人気だった俳優、金城武が出演していた香港映画「恋する惑星」(1994)でフェイ・ウォンが「夢中人」というタイトルでカバーしてた)
聲の形という映画から、10代の頃の自分が色々と思い出された日だった。
10代という年頃はとても剥き出しの心だから、人の言葉や態度、小さな事でもダイレクトに傷つくし、かなり辛い気持ちになったりする事があるんじゃないかな?
だから子供にかける言葉は気をつけなくちゃならない。でもちゃんとできてる自信はないからごめんと思う。
わたしは自分の存在自体が苦しかったけど、好きな音楽を聴く事とそれに付随する事に夢中になる事で(詩の解読、コピー、歌うことなど)そういう自分を救ってくれたと思う。
でもどうにも私は研究者タイプではなく、フィーリングタイプなので、好きな音楽でもぜんぜん知識として深くは学べていないのが残念…
そんな日々でその頃は詩がたくさん書けた。
そのノートはある人に預けたまま。
その人は私の詩をもとに曲を作ってくれたりした。
もうその人に会う事はないからノートが返ってくることもない。
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