見出し画像

自分の本当の望みが教えてくれた、あなたにも伝えたいこと

昨日の記事にもかきましたが↓

自分の人生が、あと数日……だと知ったのならば、何を後悔するだろうか? どのように過ごしていれば良かった、と思うだろうか。やり残したこと、もっとやればよかったこと、挑戦したかったこと、抑えていたこと、、。自分の本当の望みとは何だったのか。

それらにまつわる、私の日記を公開したいと思います。ご興味のある方は、ぜひご覧ください。

いま、世界で巻き起こっているウイルス。私は、ひきこもり生活なので、日常に大きな変化はないものの、やはり不安はよぎります。自由に外出できないし、病院に行くのでさえ億劫になります。

そんなある日、舌の先が痺れてきて…(単にヤケドだったのですが)、「これは、ウィルスにかかってしまった。もうしぬ覚悟をしておかないといけない……」という状況に勝手に追いやられていたのでした。(恥)

味覚こそ、しっかりあったのですが、舌の痺れが3日程続き、恥ずかしながら「これはおかしいぞ!!」と思い込んでしまったのです。

その時に、「自分の人生でやり残したことは何だろうか?!」を、本気の本気で考えることが出来たのでした♡(今となればラッキーな笑い話です) 今日はその時に感じたことをシェアしたいと思います。

私が見つけた、この世を去る時に後悔するだろう思いとは

自分の人生でやり残したことを考えてみた時に、真っ先に私の心に思い浮かびあがってきたのは、『もっと真剣に自分の望みを聞いてあげればよかった』という思いでした。

『私という人間を、性格を、もっと褒めて愛して、自分のよさを認めてあげればよかった……』とつよく後悔したのでした。

もっと大それたことを後悔するのだろうと思いきや、それは、案外身近な望みだったのです。自分を認めて、褒めることなら、今すぐに自分一人でも出来るではないですか。それなのに、もっと幸せになりたいとか、お金が欲しいとか成功したいとか、遠くの願いや望みばかりに目がいっていたことに気がついたのです。「幸せとは、案外身近にある」とよく聞く言葉でしたが、まさにコレがそのことだな、と思ったのです。

そして、自由に外出できること、何気ない百均めぐりですら当たり前でない幸せなことだったのだな、、と身に染みて感じています。

「もうダメかもしれない……」と、思い込んだ私のつぶやきはコチラです。

もっと自分に正直に生きればよかった。もっと、私という人間を、性格を、もっと褒めて愛して、自分のよさを認めてあげればよかった。。

だって、この「私という人」はこの時代にたった一人、ここにしか存在しない。たとえ生まれ変われたとしても、同じ自分はもう二度と体験できない。だとしたら、今のこの私の人格や性格、知識、経験、外見を含めたキャラクターなど、ここにしか存在しない。だからこそ、もっと私の価値を認めてあげればよかった。もっと尊重してあげればよかったと思った。

あなたが体験したことや知識やスキル、キャラクター、ユーモアさなど何か、人と違う個性があるはず。

それらをフルに使って、この自分を生きてあげればよかったと思った。

私は私であり、唯一無二のパートナーである。この世を去る時、この肉体や精神、性格などともお別れになってしまう。だからこそ、遠慮せずにもっと自分を敬えばよかった。 誰かと比べて平均値の人生を生きるんじゃなくて、自分にいろんな世界や景色を見せてあげたかった。私が望むことをさせてあげればよかった。 隠れてばかりいないで、もっと表に出て皆の前に立たせてあげれば良かった、とそう思った。

 そして、周りにいる出会えた身近な人々と、もっと笑いあって過ごせば良かったと思った。

もっと食べたいものを食べ、行きたい所へ行き、言いたいことを言い、やりたいことやらせてあげれば良かった。

そして、いつまでも出来ないコトや「ない」コト、昔のコトにと囚われてウジウジしてるんじゃなくて、限りある時間を有効に使わせてあげれば良かったと思った。

『誰のための人生?! 一度しかない人生!  時間は限られている』

これらは、よく聞く言葉だけど、自分の身近に感じることは正直なかった。だがどうだろ。命の危機を感じている今、すっごく身近に聞こえてきやしないか。

各々のこれからの生き方を問われている時かもしれないと思った。アクマの仮面をかぶったコロナも、見方を変えれば悪役をかって「おまえはどう生きたいんだい?」と、200%の本気で問いかけてくれているものかもしれない、と。。

『自分に素直になれば道は開けてくる』これは、大好きな志村けんさんのお言葉。幅広い年齢層に愛された志村けんさんが、幅広い年齢層に向けて伝えてくださっているとも、とれる。

 不平不満を言うのは簡単だ。だけど、ただそれだけで終わらせてしまってもいいものか。 幸せになりたくない人なんていないはず。みんな幸せになりたいって願ってる。だけど、人から見た「幸せな自分」を 演じようとしている。人からどう見られるのかを気にしている。 本当の自分の望みではなく、比較から生まれたものは、本当の自分ではない。それらはやがて争いを生む ことになる。

自分の幸せを見つけて生きるのか、周りの目を気にして生きるのか、でその先につながる未来には大きな差が生まれてくる。

そのためにも、まずは自分という人間を知らなくてはいけない。そこから始めないと。

自分の本当の望みや幸せは、ポンっと浮き出てくるものではない。 今は、それらを見つめ直す時間が、十分に与えられていると思わないかい。国レベルで時間が与えられている。

自分と二人きりになり、向き合うチャンス。こんなチャンスはもう二度と来ないはず。やらなきゃいけないこと、お金、etcあるかもしれないけど、やるだけの事をやり、備えた後の時間を自分を知る時間を取ってみるのはどうだい、と皆さんに問いかけたい。

 私は、この6年間引きこもって自分自身と散々向き合ってきた。引きこもった上で、いったい自分に何ができるのか? そもそも私とはどんな人間で、何を望んでいて、何がやりたくて、何がやりたくないのか……。孤独にどっぷり浸かって生活をしてきた。だらだらと怠けていたところもあったと思うけれど、いつまでも面倒くさがってちゃダメだなって背中押された気持ちにようやくなれた 。だから、この恥ずかしい呟きも公開してみようと思えたのだ。

自分の価値は、仕事やステータスや外側では計れない。友達の数やイイネの数やフォロワーの数では計れない。そういうもので自分の価値を高めたいと思うのは、自分に価値がないと思っている証拠だ。 たとえ孤独で引きこもっていても、堂々として自分を信じて生きていこうと思った。

だって「あなたという人」は、どの時代にも世界中探しても、今ここにしかいないんだから。 

今から書くことは、私が大事にしている信念である。

私にできないことは、あなたが出来る。あなたが出来ないことは、他の誰かができる。

自分を知れば、本当のイミで周りの人と手を繋げる。周りの人も自分も尊重した付き合いができる。そしたら、世界はまあるくなって、争いも嫉妬もない調和の世界になっていく。

自分を取り戻す旅、それが人生だ。

あなたの一部になっているパーツをヒントに、自分だけのカタチ、輝きを思い出して。全ては完全でなくて、不完全だからいいんだ。不完全だから、あの人もあの人も人間なんだ。ロボットだって完全じゃない。

自分にないものを足し算して埋めようとするのではなく、ないものはないままでいるんだ。ないものは、それを持ってる人に助けてもらうんだ。だから、人は繋がって協力し合って生きていく。

 いろんなが人がいて世界は成り立っている。自分もその一部だと知ると世界の見え方が変わる。気持ちひとつで、世界は変わってみるよ。

誰もが、自分だけのヒーローになれるのさ。

 たった今、あなたは何がしたい? たった今、何を望んでいる?

それらに従って生きていくと、あなたの望みは自然と見つかるよ。私もそのように生きていこう。

読んでくださりありがとうございました(*'▽')

よろしければサポートお願いします。いただいたサポートはありがたく、クリエイティブ活動費に使わせていただきます。