神の正体に関する私の仮説

こんにちは!るららです。
年が明けて、しばし更新が途絶えてしまいました。

きまぐれな私ではありますが、
今年もよろしくお願いします!

今年の目標は、「丁寧に生きる」としました。

自分が好きなことを見つけて、
小さくてもそれを仕事にできて
帰る場所がある。

私はとても恵まれています。

丁寧に生きるというのは、
今の状況に対して感謝をして、それを行動にするということだと思っています。

何気ない日々の繰り返しと、新しいことの積み重ねが、私にとっては幸せです。

今日は、「神の正体に関する仮説」について書きたいと思いますが、
最終的には、つながる話かと思います。

神について考えたきっかけ

いきなりですが、我が家には代々伝わる、
お稲荷様や、金比羅様があります。

海沿いにある父方の実家の方で管理をしており
先週久しぶりにいきました。

遭難しそうになりながら、
深い山の中をのぼり、やっとのことでたどり着いた鳥居の前で
塩や、お酒、お米などを父がお供えしているのを
呆然とみていました。

その直前に、かき分けられた反動で戻ってきた枝がちょうど左目に当たり、
ヒリヒリと痛いので、
その傷が気になって仕方がなくて、
本当にただ呆然としていました。

東京に帰って、急にその光景が蘇りました。

そして、「なぜ、塩、酒、お米なのだろう」
頭の中で疑問が浮かびました。

塩、酒、お米

これを考え始めて、「はっ」としたことがありました。

これらは全て「菌」と関係があるなと。
私はパンをよく作り、イースト菌をよく使います。また、天然酵母を育てていますが、とくに天然酵母の方は、

「自分の心と体、周りの環境を清く保つ」

このことに、
すごく注意をするんですね。

悪い菌=腐敗させる菌=人間にとって害となる変化を起こす存在

これを、恐れているのです。

この恐れは、私は直感的に、

邪悪なものを寄せ付けないお祓いや、
神を崇めて、ご利益を求めるお参りの行いを

なぜ人がするのかという根本的な部分と

一致するのでは?と思うようになりました。

神は菌、という仮説

ということで、わたしのなかで
神として人が見えないけれども崇めているのは
実は菌という存在なのではないかと
仮説を持つようになりました。

その仮説をもって、宗教における儀式を考えると、面白いことに結構納得感があります。

●キリスト教における、神の体を象徴するパン

 よく、教会へ行くと
 洗礼を受けた人には、牧師さんから「パン」をたべるように渡されます。
 このパンは、神の御体とされており、体の中にそれを入れることでご加護を受ける、という意味合いなのでしょうか?
 そして、「ワイン」は神の血とされており、同じように象徴的な食べ物となっています。

 面白いことに、パンもワインもどちらも、「発酵食品」なのです。
 菌が生み出したもの▶︎パン、血
 神が生み出したもの▶︎人間(アダムとイブ)

重ならないでしょうか。

●日本の神道における、八百万の神

日本では、「トイレの神様」という歌がブレイクしたように
今でも、あらゆる場所、ものに、神は宿ると言われています。

私はよく父に、「環境を良くしましょう、片付けしましょう」と
日頃から言われてきました。

キッチンを使った後は綺麗にする、
お風呂を上がった後は水気を拭き取る、
などなど。

この意味が、八百万の神が菌なのでは、という仮説を持って考えると

急に、納得したのです。

一つ一つ丁寧にして、片付けをして、清潔に保つ。ものを大切にする。
そうすると、腐敗を促す菌が育ちにくくなり
人にとって良質な菌が増えていきます。

人間の中にも、外にも、「常在菌」と呼ばれる菌がたっくさんいるので、

その菌の質が人間にとってより良質なものになっていく。

これが悪くなるのが、いわゆる「穢れ」ではないかと。

スピリチュアルではなく論理的

神というと、私はどうしても、スピリチュアルなものであるというイメージが浮かびます。

しかし、神の正体を菌として考えると
納得感しかありません。

儀礼的に行ってきたことが、
論理的につながるのです。

大好きな、タルマーリというパン屋さんの本で
「金本位制ではなく、菌本位制」という言葉が出てくる。

まさにこの世界を裏で支配しているのは、
菌のように目には見えないが確実に存在する生命体なのでは?と思えるのです。

見えないが、そこにいる存在を想う

私は、東京に引っ越してから、
天然酵母もとてもよく育ち、いいパンがたくさん焼けます。
私の中の菌が変化したのだと思います。

よくパンに、「痛いよねごめん!」とか話しかけてますが、これからもそのスタンスで行きたいと思います。

気持ちは通じるとおもう

結局は、神ではなく「菌」だけど

発酵と、腐敗とはなんと人間本位の言葉でしょう

でもその違いは五感ではっきりとわかるのが不思議です。
発酵は本当に、食欲をそそるのです!
(最近、ザワークラウト作って驚いた)
それは私が人間だからだと思います。

もののけ姫に出てくる、シシガミさまは、
命を与えたり、吸い取ったりする。

腐敗と、発酵を司る神ではないかと思います。

腐敗も発酵も、結局は人間を中心に据えて、
人にとって、「いいこと」「悪いこと」という区別をしただけで

「菌である」ことには変わりない。
本来はきっと、「良い」も「悪い」も無いのです

腐敗が好きな生物だって、ごまんといるのです。
きのことか。

でも、わたしは発酵というものが
どうしても神の力に思えて、しかたがありません。

まるで錬金術師のようなパン職人の姿は
神秘的で、憧れであり、自分もそうなりたいといつも思います。
そうなれてもなれなくても

自分の心と体を大切にすることは、
自分にとっていい菌を招き入れることだと信じて

日々丁寧に生きる一年にします。

先週からずーっと書きたかったテーマを
お読み頂きありがとうございました。

それでは、また。

るらら

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