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一蓮托生 -いちれんたくしょう-

おなじひとつの蓮の台に生まれて

みなともに咲いている



「運命を共にしよう」「どんな結果でも仲間だよね」「みんな同罪だよね」

現代ではこんな意味で使われること、理解されることが多い言葉。


一蓮托生 -いちれんたくしょう-

この言葉も本来は仏教の言葉です。


そうして、本来の意味は、

「皆共に極楽浄土へ行き、同じ蓮の台座の上に生まれ変わる」

という意味。


浄土・・というところには、蓮の花がたくさん咲いていて、

蓮の台座は、極楽に往生した人だけが座れるところなのだそう。


極楽に往生(往きて生きる)ためには、

たぶん善行や功徳を積み重ねることが前提としてあるわけで、

もっと、簡単に言うと、利他の心をもって、自分の幸せだけを求めるのではなく、

人の幸せや社会の幸せのために、自分のできることを日々身を以て行いつづけつこと。

極楽とは、そんな人たちが住む・・・往きて生きる場所。


さて、極楽浄土って、どこにあるのでしょう。

死んで行く場所?

現代では死後に極楽浄土へ行くという思想を持つ人も少なくなっているかもしれません。


極楽浄土って、どこにある?

それは、なにも死んで赴く場所だけではなく、

今、ここの命をもって生きるこの世界。


今ここを、浄土とするのか、穢土(争いや煩悩の多い汚れた世界)とするのかは、

心ひとつだと思えませんか。


仏陀の言われたように、すべては心から。

浄土も、穢土も。

心ひとつ。


一蓮托生の「托生」とは身を寄せて生きること。

実際、私たちの生きるこの世界は、みんなが身を寄せ合って生きている世界。


身を寄せ合うならば、

争いのない方がいいですね。

それも、心ひとつ。

一人ひとりの心から。


蓮は水中の泥の中で育ち、清らかで美しい花を咲かせます。

その姿は、仏の慈悲や智慧(ちえ)や慈悲をあらわしているとされ、

仏教ではとても神聖な花。


それは、本来私たち人間が宿している仏性を顕す姿であり、

智慧と慈悲を、宿し、育み、使いながら人は生きるもの。


蓮は水中の泥の中でも育つ・・

どんな境遇や環境にあっても。


それはまた、私たちが生きるこの社会、

この世界で生きる姿を教えてくれる。


一蓮托生 -いちれんたくしょう-


それを、今ここに、この世界に。

皆、ここに生まれて、一人ひとりの花を咲かせよう。

同じ、蓮の台に生きているのだから。



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