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自己肯定感の低い人の考え方

自己肯定感という単語はビジネスに使われまくっている感じがしますが、先日「自称・自己肯定感の低い人」のある話を聞いて、私と真逆の考え方するんだなと呆気に取られたのでそのことを書いてみたいと思います。

私と真逆……ということは、そうです、私は自己肯定感がとても高いです。というか、自分を低く見積もる理由がどこにも見当たらないのです。他人に厳しく自分に甘く、「私ってすごい!天才!」と舞い上がることもあるし、「私、可愛い奴だよなぁ」とニマニマすることもあります。変ですよね。でも本当なんです。自分のこと嫌いじゃないですし。

おとなしい兄のいる家庭で蝶よ花よと育てられたせいもありますが、ほしいものは必ず手に入れてきました。なので大人になった今でも、欲しいもの(モノでも男でも状況でも何でも)が入手困難な場合は「どうすれば手に入れることができるのか」「なんとしても手に入れなくては。さてどうすれば??」と考えまくります。

しかし自己肯定感の低い人が同じ状況に直面した場合は、「私なんか欲しがる権利はない」「私には似合う訳がない」「そんな資格はない」と戒め、欲しいものを諦める理由を見つけるのだと聞いて、なんと面倒なことをするのかと驚いてしまいました。

戒めれば欲しい思いは消えるのでしょうか? 自分に似合うかどうかは全く関係なくそれがどうしても欲しいし、資格があろうがなかろうが欲しいものは欲しい、それだけだ。欲ってそんなものじゃないの?

「プリティーウーマン」という映画をご存知でしょうか。場末のコールガール(ジュリア・ロバーツ)が超リッチなビジネスマン(リチャード・ギア)に臨時のパートナーとして雇われ、「シャンパンといちごを一緒に食べると香りが引き立つんだよ」なんて甘いレクチャー受けたり、LAのハイブランドショップの立ち並ぶロデオドライブで会食のための服をバンバン買ったりするシーンが出てくるご機嫌な作品だ。

このシーンはリチャードのアドリブが入っている名シーン

ドブネズミみたいな女の子がみるみる麗しのレディになっていく様子は見ているだけでワクワクします。友人らと鑑賞していた時、思わず私は「あんな体験してみたいわ~!」と言いますと、Aちゃんが「わたし、ジュリア・ロバーツみたいに美人じゃないから無理やわ」と言いました。関西の子でした。

女子会で盛り上がって見ていたのに、彼女の一言で場の温度が3度くらい下がった感じでした。この映画を見た女の子なら誰もが「うわ~、あの買い物私もしたい!」と思うものと私は考えていました。そこが制作者の狙いでもあると思うし、だからこそ世界中で大ヒットした作品なのでしょう。まさか「自分はきれいなじゃないから妄想でもあんな体験は考えられない」などと発言する人がいるとは思いもしなかったはずです。

「私はそんなこと考えもしない」という言葉の裏には「ゆみは図々しいのよ。美人でもないくせに何夢見てるの」というトゲも含まれていたから、余計に引っかかったのだと思います。映画鑑賞会の帰り道、他の友だちがボソッと言いました。「あの子、卑屈よね」
それを聞いて今度はAちゃんが気の毒になってしまったことも覚えています。

自分を否定することで自分の欲望を抑えてしまうなんて、それは誰のためにやってるの? 誰も怒らないよ? と私は不思議に思いますが、そう考えざるを得ない過去があったのでしょうし、そう簡単にやめることはできないと思います。ん、直すべきでもないと思うし。

いつも思うのですが「自己肯定感」という言葉は、自分は低いと卑下している人、またはそれを利用して商売にする人しか使わない言葉だと思うのです。もともと自分を認めていたり肯定している人は、わざわざ「自己肯定感」なんて言葉は使いません。

また、低いから悪い、高いから偉いみたいな風潮もよくないと思います。自分に厳しい人の方が周りを冷静に見ることができるし、落ち着いて物事を考えることができるというメリットがあります。自己肯定感が無駄に高いと、私みたいに「きゃ~!」「すてきぃぃ!」とやたらに擬音語が多くてうるさいかもしれませんからね。


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