「偏差値って意味ないんじゃない?」 そう思ったわたしが、大学受験に本腰を入れたきっかけ。 #35
62.3。67.4。56.4。
この並べられた数字の列になんの意味があるのだろうと思っていた。
偏差値。
高校の進路指導室の外の壁に、A4の紙がずらっと貼られていた。
大学名と学部、そして3つの数字が並べられている。
58.6。61.3。71.6ー。
大学受験を本格的に意識しだす頃に、張り出されたそれは、指定校推薦の推薦枠の紙だった。
同級生たちがそこに群がる。
ここの数字がここの数字よりもいいから、私はここに行きたい、と口々に言う。
「○クラの○○、××大学の△△学部に推薦出すって言いよった」
「えーじゃあ私の内申やったら絶対負けるやん!出すのやめよう」
そんな熾烈な心理戦も繰り広げられていた。
なんでだろう、と思っていた。
なんで、この数字が少しでも大きなところにいくのがいいって思うんだろう。
偏差値という数字だけで見たときに、相対的に見ると数字として下にくるような大学や専門学校で、意思を持って、自分の夢を追いかけるためにそこに進んでいった人たちを、わたしは知っている。
そして、そんな人たちはキラキラしている。やりたいこと、なりたい姿があるのが羨ましい。眩しい。
偏差値が高いところにいくことが偉いんじゃなくて、やりたいことに向かって進んでいっている方がよっぽど偉いと、わたしは思う。
でも、世の中には「偏差値が高い方がいい」という価値観の方が声としては強い。
何になりたいか、どうなりたいか分からないから、大学に進むことをなんとなく選ぶ。選べないからそれを選ぶ。なんだかそれは逃げのように思える。
わたしは、なんのために受験をするんだろう?
何者でもないわたしは、目指すものがないわたしは、何を目指して受験をしたらいい?
===
高校の、国語の先生に聞いてみた。
「先生、わたし、偏差値って意味ないのかなって思うんですけど、どう思いますか?」
先生は答えてくれた。
その先生は、強面でサングラスをかけていて、アロハシャツを来ていて、ちょっと人よりもキティちゃんが大好きな、一癖も二癖もある先生だった。
「うーん、俺は○○(わたしの苗字)が言ってることは間違ってないと思うけどねえ。でもさ、○○、偏差値高いところ行ってないでしょ。じゃあわかんないじゃん。」
その先生は早稲田出身だった。
「偏差値なんて意味ないって思うんならさ、自分で行ってみてから意味ないかどうか確かめてみたら?」
わたしの心が「確かに」と呟いた。
その日から、わたしの中で、受験をする理由ができた。
ちゃんとその場所にいって、自分の目で確かめてみよう。
===
まあ今思うと、うまく乗せられたのかな、なんて思わなくもないけれど
そうやって意味づけをしてくれたこと、そして、「自分で見てから決めること」を教えてくれたこの先生には、とても感謝している。
そこから、親からは福岡を出るな!と猛烈に反対もされていたけれど
「受験するだけ、行かないから!」なんて意味のわからないことをのたまって受験をさせてもらい、「4年で帰ってくるから、大学だけ」と言い家を出て、そして今わたしはしれっと東京で働いている。とんだ親不孝者だ。
実家も地元もだいすきだったけれど、わたしを動かしていたのは、この時のこの先生の言葉だけ。
見たこともないのに決めつけられやしない。自分で見てからちゃんと決める。それだけ。
今思い返すと、本当にありがたかったと思うし、わたしの物事を見る上での基軸になっているくらい大切な考え方。
元から勉強ができてた訳でもないから、受験勉強は部活と両立しながら死ぬほど頑張ったけど、それもいい思い出だなと思うし。勉強は知らないことをたくさん知れて楽しかったし。
先生には、「俺そんなこと言ったっけ〜」って言われそうだけどね。
わたしの大学受験の結果と、じゃあ偏差値って本当に意味なかったの?に関しては、また別の機会があればおいおい・・。
結論だけ言うと、わたしは偏差値って意味ないなあと思っている派です。
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