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歴史から学ぶ、敵を知るということ

敵性語」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
(ちなみにわたしは初めて聞いた。)

敵性語(てきせいご)は、敵対国や交戦国で一般に使用されている言語を指した語。敵声語と当て字されることもある。
特に日本では、日中戦争(支那事変)開戦により敵性国となったアメリカやイギリスとの対立がより深まる1940年(昭和15年)に入ると[1]、英語を「軽佻浮薄」(けいちょうふはく)と位置づけ「敵性」にあたるものだとして排斥が進み、米英が完全な敵国(交戦国)となった太平洋戦争(大東亜戦争)突入後はその運動はより顕著なものとなった。  ーwikipediaより

敵性語だと見なされていた英語は、戦時中厳しく排除され
様々なカタカナ語が日本語に言い換えられた。

例えば、野球用語。

・ワンストライク → よし、一本
・ワンボール → ダメ、一つ
・ストライク スリー!バッター アウト!!→ よし3本!それまで!
・バッテリー → 対打機関

急な言い換えのため、審判が「ストライク・・・もとい、よし1本」と言い間違えて観客を笑わせる一幕もあったという。

この時代の野球少年たちはさぞ辛かったことだろう。

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初めて知ったのだが、太平洋戦争における日本の敗因の一つとして、「戦時中の敵国語(敵性語)についての日米の対応」の違いがあげられることが少なくないらしい。

もう少し具体的に記すと「アメリカは戦時中、敵国語である日本語を徹底的に学んだのに対し、日本は敵性語として遠ざけた。」と言われているそうだ。

よくよく見てみると、先に記載したような敵性語排斥の動きは、一般大衆向けに戦意高揚のプロパガンダとして行われたもので、実際には文部省は英語教育を継続していたらしい。
陸軍幼年学校や海軍士官学校などでは、戦争継続において敵国の事情を知るということが非常に重要なことであるという認識は当然あり、敗戦まで教育は続けられた。

ただし、開戦後時間がたつにつれて日本が劣勢に立たされるようになると、教育という即効性に欠けるものに対して、限られた資源をあてがうことが難しくなり、その結果、即効性の高い戦術を教える軍事学が優先されることにより、結果として英語をはじめとする外国語教育に必要時間数を確保できなくなってしまったそうだ。
(状況が逼迫してくると視野が狭くなり長期的な投資ができなくなる・・・これは現代にも生きる教訓である・・・・)

一方、アメリカは、日露戦争後から日本を仮想敵国の一つとみなして日本語および日本の国情を研究し始めていたそうだ。戦時中の教育は勿論、終戦後の対日占領政策に備えて、1943年からカリフォルニア大学などに委嘱して、3000人近いアメリカ兵に日本語の特訓を行ったそう。
先の見通しがすごい。


歴史を紐解くと、戦争というフィールドにおいて、決して日本は英語を敵性語として遠ざけようとしたわけではなかったが、結果としてより相手を知ることに重きを置いたアメリカに敗戦してしまった。

戦いにおいて、まずは相手を徹底的に知ること。
そして、短期的な物事だけに追われるのではなく、長期的な視点を持って何が必要かを見極めること。
歴史から学ぶことは多い。

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