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戦争と香港~旧日本軍の足跡をたどる~松林砲台跡編

英防衛戦略の変遷を凝縮

松林砲台(パインウッド・バッテリー)の遺構は、香港島西部の龍虎山の山頂にある。海抜307メートルにあり、島西部防衛のために香港で最も高い場所に整備された砲台だった。1941年12月8日の太平洋戦争(大東亜戦争)勃発に伴い、香港に侵攻した日本軍から空襲を受けた。

歴史は古く、英国統治時代の1900年代初頭に建設・完成。1920年代に高射砲台に転用されたが、この間、近隣の摩星嶺要塞の運用開始なども重なり、十分に活用されることはなかった。だが、国際情勢が日に日に緊迫していた1930年代後半には司令部を置く高射砲台陣地として昇格し、兵舎などが新設された。仮想敵国は従来のソ連(現ロシア)とフランスから、日本に変わった。

もっとも、松林砲台が果たした役割は限定的だったようだ。香港侵攻から8日目に当たる1941年12月15日、すでに九龍半島まで占領していた日本軍は、松林砲台の高射砲陣地に空襲を仕掛けた。朝方から数時間続いたという。一部の高射砲や施設が破壊され、砲兵に死傷者が出たのを機に英防衛軍は退避を決めた。この時、歴史的な任務も終えた。

沿岸砲時期の1号砲床跡
高射砲台時期の司令部跡

砲台跡のある龍虎山は香港大学の裏山に当たり、比較的アクセスしやすい。現在は龍虎山カントリーパークの施設として香港政府が管轄する。克頓道(ハットンロード=モーニングトレイル)を通って龍虎山の山頂を目指すと、英国統治時代に道路脇に設けられた、維多利亜城(ビクトリア・シティ)の範囲を示す界石(境界標)に気が付く。その時代が確かにあったことを再認識させられる。

龍虎山から西高山(ハイウエスト)を経て、観光地の太平山頂(ザ・ピーク)まで続く人気コースの一部でもある。付近の住民やハイカー、観光客といったさまざまな人とすれ違うが、メインの道を外れて、松林砲台跡をわざわざ訪れる人は今も多くはない。

2009年12月に摩星嶺砲台跡などとともに2級歷史建築に指定された。今は全長約400メートルながら「松林砲台歴史徑」と命名され、トレイルコースにもなっている。筆者が9月下旬に訪れた際は、中国人団体客やハイカーがもの珍しげに散策していた。

非常に限られたエリアだが、近現代の英国の防衛戦略の変遷を映し、沿岸砲台、高射砲台、監視所、兵舎、弾薬庫の遺構などをほぼ完全な状態で、かつ同時に残す貴重な場所だ。日本との戦争でも切り離せない場所として、記憶に留めておきたい。

(見出しの写真は英軍が高射砲台転用時に設けた掩体壕の遺構の一部)

克頓道沿いにある英国統治時代の界石


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