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政治家の産休とリスキングの答弁から見る民への不信

SNSやメディアで取り上げられ、批判されている岸田総理の産休・育休中のリスキリングについて書いていこうと思います。


まずは、SNSで批判をされている岸田総理ですが、これは質問に答える形での答弁になっていて直接言及したものとは異なります。

しかも、質問した大家参議員は「子育てのための産休や育休がなぜ取りにくいのか?この期間をリスキリングの時間にあてればいいのではないか?」という、まったくもって意味のわからない質問、発言です。

産休・育休を取るための体裁のいい言い訳のために、リスキリングをしますというのはいかがでしょうかというお話し

分解すると焦点はどちらに当てればいいのでしょうか?

・育休・産休を取りづらいという現状の問題を解決したいのか?

・リスキリングの時間を取るための時間をどのように確保したいのか?


そもそも、産休や育休という時間は勉強をするための時間ではなく、心身ともに負担が大きい母子を守るためです。
また、一緒に寄り添うパートナーの協力も必須なのです。
このための産休・育休の時間なのですからこれを持ち出すのはおかしい話です。

教育や子育て、またジェンダー役割についての理解などが、まったくない人たちなのだということはわかった事柄だったなという印象になります。

子育て、子供を産む大変さへの理解とジェンダーの役割

上記のような何故、産休や育休を取りづらいのかという問題を話し合えないのかというとこの方々の中には当たり前のようにジェンダー役割の押し付けがあるからでしょう

「男は仕事、女は家事や育児」

このような昭和の価値観を引きづりアップデートできてない人間性のほうが問題ですが、これが休みを取れない答えになっています。

ここで社会学で思考の補助線を引きましょう。

マーガレット・ミードによると、このような男女の違いを生み出すのは、「生物学的な性による差ではなく、社会的・文化的な性差の産物である」と説明しています。

これを説明しますと、上記の場合、社会的にいうと政治家がジェンダーの役割に対する考えが乏しく、いまだに昭和の価値観が蔓延っていることがあります。
なにせ、産休・育休がとりづらいのは男は家事、育児に向いていないから仕事をするべきであるという固定観念に縛られているからです。

何もそこに「リスキリング」などという言い訳が必要ありません。
また、文化的にはいまだに日曜日の夕方にちびまる子ちゃんやサザエさんのようなアニメがやっていることの問題です。

家父長制の正しさをまるで肯定しているかのような作品です。

ここでも作中、ジェンダー役割の固定化がみられます。
なにも男が家事ができない、子育てをすることができないわけではありません。

女性が仕事をできないわけでもありません。
この生物学的な性による役割は存在せず、社会や文化による押し付け、イデオロギーは存在するのです。
これはミードのニューギニアの3つの民族の比較研究によって証明されています。

大切なことは現在、人間が失っている共同体ベースでの信頼の回復と許容する人間の距離感との向き合い方、考え方でしょう。

しかし、残念ながら国を見てもこのような答弁、発言が見られるような人間ばかりがいては成立せず、さらなる不信をベースとした社会になることは目に見えています。
もはや、政治家による国家をあげて不信を加速するマッチポンプの連続。

これが今の社会を決めているように思えます。

今回のニュースによって問題なのは、育児や子育てというものを通して、今の政府(これは国と言い換えても差し支えはないでしょう)どのようにジェンダー役割を理解しているのかが浮き彫りになったということが大きいのではないでしょうか。

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