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あなたが結婚できない,恋愛できないを理解するための処方箋 〜現代社会における恋愛と結婚の意義〜

恋愛、結婚というものは人間の状態を示すものでしかなく、自分が誰といるかを選択する際にその理由をつけるためのものとしての機能、または状態の名前という言い方で存在すものではないでしょうか
また、そこには小さい共同体として自分と相手、周りの家族から友人へと
ひとつの結婚という強い結びの状態(法律的に解釈するのであれば契約と言い換えても差し支えはないでしょう)が存在するようになる。
これが人間という集まりの社会の中の単位として存在するようなものであります。

結婚はしないといけないのか
そんなことはありませんが、恋愛や結婚というものをさっこんにおいては資本への換算または感情の商品化における「加工した」心の状態というものに置き換えては結婚をするといいことはない、恋愛、結婚などはしなくてもカレカノジョたちの自立したひとりの人間として生きて何が悪いと言い放つことも少なくありません。

しかし、この論理を続けていくとどうなるのかということは、パットナム著の「孤独なボーリング」というものに書かれています。
人々は目の前のパソコンやスマホに夢中になるだけである。
その目の先はゲームなのか動画なのかはわかりませんが、コンテンツはなんでもいいでしょう。
このとき、人々は共同体主導の取り組みに参加をしなくなっていき、家族や友人、隣人との時間が減っていきます。こうなる事で、伝統的共同体の価値観は喪失され個人に残されるのは「不安症」というものになり、この解消としてまたひとりで刺激のある何かに傾倒していく。

これらのシステム的なものから外へ出るためには新しいゲームや誰かが用意してくれたプラットフォームの何かではなく、恋愛や誰かとの一見無意味に見える時間を過ごすことなのです。
これらは損得関係なく働くものですから自分から動き、無意味と感じていたものに自分で接することによる意味づけという行為になるとそこに輪郭を帯びてきて新しい自分の生活世界を築くことができるのです。

このようなものをディアスポラといい、それら小さい共同体を自分が創り、または属していくことで帰属意識が生まれ自分のいる意味というものも感じるようになってくるでしょう。このとき前述した不安症というものは軽減、またはなくなっているかと思うのです。
つまりは結婚、恋愛というものはそういうもののイニシエーション、つまり通過儀式として存在するのではないでしょうか

智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向う三軒両隣りにちらちらする唯の 人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。 あれば人でなしの 国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりも猶住みにくかろう。

草枕


夏目漱石の草枕の冒頭文です。
ひとの世はこれ生きづらいものです。
自分の快不快を気にしては快のみを選択して生きていくということはできないものです。これは生きていくということがそういうものであるからでして。
令和の世というものはこれまた、多くの「人でなし」に溢れています。
これで恋愛だの結婚だのと言われてもと……、二の足を踏む気持ちは理解できないわけではありません。
しかし、その人でなしの社会で生きるということはせずとも、自分で繋がっていく人間の幾人かと大切に時間を過ごしていけばいいのではないでしょうか
その方法としての恋愛や結婚がある
そう考えては肩の力を抜いて、どうでしょうか

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