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日本人の不寛容といものの病理解剖

日本人は不寛容であるなんて言われることが多い昨今
電車の中で赤ちゃんの泣き声で怒鳴る大人
自分のことしか考えず他人のことは自己責任であると不関与を貫き通す大人が多いのではないでしょうか
これは最近になってのことかというと、おそらくSNSなどで声が大きくなり目につくようになっただけで昔からある一定数はこのようなことはあったのではないかというのが『僕』の考えです。

日本社会には「不関与の規範」という特有の文化があります。これは、他人の問題や事務に積極的に関与しないようにという、一種の社会的な「ルール」や「期待」です。この規範は、日本人の社会性やコミュニケーションに多大な影響を与えています。その中でも、「儀礼的無関心」と「空気を読む(Kuuki wo Yomu)」は特に注目に値する概念です。

儀礼的無関心


儀礼的無関心は、他人のプライバシーや問題に対して故意に関与しない態度を指します。これは一見、礼儀として行われますが、実際には深い共感や関与を避ける社会的メカニズムでもあります。この規範が強いと、問題点を積極的に指摘したり、解決策を提案する人が少なくなりがちです。
むしろ積極的に何か関わろうとするほうがお節介が犯罪や「悪いこと」というラベリングがされていて無関心というものは、今やエチケット、マナーのような扱いをされているように思えるのです。

空気を読む


一方、空気を読むとは、言葉にされていない社会的なニュアンスや状況を敏感に察知し、その状況に適切に対応する能力です。このスキルは、グループ内の調和を保つために非常に重要とされています。
これは戦争時、地震のとき、コロナの流行時などで経験をする機会、知る機会があったように思えます。
空気というものは日本の中で法律をも凌駕する力を持っているように思えてならないのです。

両者の関連性と影響


儀礼的無関心と空気を読む能力は、相補的な関係にあります。儀礼的無関心は「防御的」な機制であり、空気を読むは「攻めの」社会スキルです。これらが複雑に絡み合いながら、日本独特の社会性や市民意識を形成しています。市民としての自己確立や、エチケット・マナーの形成にも寄与しています。

しかし、このような規範には二面性があります。問題解決やコミュニケーションにおいて、不関与の規範が過度に強まると、社会の進歩や改善が妨げられる可能性もあります。

結論として、日本社会の「不関与の規範」は非常に深い影響を与えています。そのポジティブな側面とネガティブな側面を理解し、バランスよく活用することが、より健全な社会を形成するための鍵と言えるでしょう。

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