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東京都知事選と日本の民主主義の未来

令和の世の中にこんな文章を書いているのも読まれることはないのだろうなと思いつつ書いていますが、『僕』の思考の垂れ流しという散文でありますから

東京都知事選ということでどのような結果になるでしょうか

ここでは候補について語ることはできませんので、今回は日本の民主制とは何かということを考えて見ましょう

民主主義はいいものだということを『僕』たちは無条件にこれを満たすものであると義務教育では教わってきました。
その対抗軸としてのマルクス主義、レーニンなどの共産主義、社会主義は悪である。
ゆえに中国などの国は「よい」国ではない
そんなことを言われていますが、本当にそうでしょうか

現在の社会情勢を見ていると経済指標をみても中国のほうが日本より成長しています。
また、その民度というもののそれを見てもその成果を上げているという点では日本人よりよい民度なのかもしれません。
では、自己に価値があるかという意識を持っているかという点を見てみても他国は二桁ですが、日本においては数パーセント
どうやら、経済的にではなく自己の人間的な価値も劣るようです。

民主主義というものは社会をよくし、国民としての人間がよりよく生きられるはずだったのではないでしょうか
それがまったく成立していないのです。

どうやら民主主義、民主制というものには前提があるのです。
それは民度の優劣によってそれが変化するというもの。
その制度が絶対的によりよい結果をもたらしてくれるというわけではなさそうです。
ではこの民意の劣化がどのようなものをもたらすのか

それは現在の社会の様相を見てもらえればいいでしょう
現政権による対抗軸はなく、その力を失われていてダメになっている社会であるにもかかわらずそのダメなものにベットし続けなければならない現実
これが民主主義なのでしょうか

不全感という絶望感で民意を覆い、敵対関係を煽る
立ち上がる、声を上げる気力すらも奪う
失うものは何もないとまではいかないギリギリの部分で生活をできる権利を渡しておいて首輪をつけておく
これを民主主義、民主制といえるのでしょうか

その処方箋は次に書こうと思いますし、このnoteのどこかに置いてはあると思います

さて、筆は置いて、まずは選挙へいってきます

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