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知らない言葉への憧れ

もうかれこれnoteを一年以上、毎日書いては投稿しております。
その内容たるやとくに何かというわけではありませんが戯言の連続でございます。
自分の考えた頭の中にある抽出されたものを言葉に翻訳しては手書きで殴り書きをするのです。
この散文を『僕』はカルピスの原液と比喩して呼んでいますが、要は考えた言葉を加工せずに書き出した文ということであり、これをnoteに書いているわけであります。
よく理解に苦しむと言われることもありますが、それはこの理由からで多少人の目に触れるのだからと少し体裁を整えるくらいの文章なのでございます。

言葉というものは人間の思考するためや伝えるためには必ず必要なものであります。それだけ言葉というものは大事であるということなのですが……、これは『僕』が本を読み、文を書くことにつながってくるのです
『僕』が本を読むのはただ好きだからという理由なき何かがあるのは自分の中に決まっていますが、それ以外の理由としては『僕』には自分の知らない言葉への強い憧れがあるためなのかもしれません。
その言葉を好奇心が赴くままに探し求めるために、言葉の文字を目でなぞるという作業を重ねるのかもしれません。

そんな知らない世界や言葉、良い言葉に触れるというのは何とも言葉にはできない心地良さがあるのです。
いえ、そうですね、もしかしたらまだこれを伝えられる言葉に出会っていないだけなのかもしれません。
この良い言葉とはその伝えるものにもっとも則したカタチの言葉であることを良いというかもしれませんし、磨かれた言葉なのかもしれません。

この御時世に動画ではなくて本を読む
言葉を書き留めるときは、いきなりキーボードではなくて、万年筆でノートに書き込んでいく
この手間暇が『僕』には合うのです。
思考のスピードはやはり手書きのほうが合いますし、万年筆で流し書きをすることでさらに速く書き留めることができるのです。

もちろん、スマホでの音声メモも使うときもあります。
入力した文字をChatGPTに投げては思考を深めていくこともあり、整理をしてもらうこともあります。
そういう時でもまた、新しい言葉にふれることもありますから手法は別にこだわるものではありません。
自分のよいものでどうぞご自由に
そういうものでしょう。

そんな選択肢としてのアナログがあってもいいのではないでしょうか
やる気になるというのはその本人の気持ちの問題ですから何かキッカケがあってもいいのです。
それは万年筆かもしれませんし、何かを食べることかもしれませんし
使う道具というのは人それぞれですからね


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