ありふれた人生
ありふれた人生
そんなものがあるのかと思うけど、一昔前ならば「昭和すごろく」のような人生をいうのかもしれない
子供の頃から学歴を最大化するための勉強に勤しむ
いい大学へ行き、良い大きな企業へと就職するのをよしとする
若いうちに結婚をして男は家庭を持つ、女性は寿退社で家庭に入る
子どもが生まれて、マイホームとマイカーを買って35年ローン
男はハゲ散らかして必死に働いて一つの会社を勤め上げる
退職金をもらって年金悠々自適な生活を過ごして、子供に見送られて死ぬ
『僕』の若いころの価値観はこういうものが蔓延っていて、『僕』の周りにもこういう人生を歩んでいる人がいるし、よしとする人がいる
ただそういう人は決まって「面白くない」人
話もつまらないし、愚痴が多いし、目が死んでる、疲れてる
日本的24時間働けますか?という自己陶酔の中にギリギリを生きているのに一体何に消耗しているのかという人たち
日本人らしさという集団主義という和を大切にしているなどといいながら、結局は自分のポジション取りで他人を気にしていて自分がどう見られているかを常に気にしていて人と同じことしかできない和などとは程遠い人たちです。
まぁ、言うことは一人前ですがね……
さて、現代におけるありふれた人生はこれまた違う
男はチー牛と呼ばれるのか、闇バイトをするのか、イケイケなサラリーマンになるのか、起業をしちゃうのか……
女は婦女子として生きるのか、推し活という消費による力を受け取る生き方なのか、パパ活なのか、風俗なのか、立ちんぼなのか……
実に人生が彩られている、これを多様性というのだろうか
少し真面目に生きてみようとすると少ない可処分所得を握りしてめて細々と生きる
そう、生きるのが精一杯
真面目なんて言われながら、マジガチで適応しようと一生懸命やっていたら、いつの間にかうつ病で仕事ができなくなる。
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結婚というもの、恋愛というものはお金にならない「性」の消費であって女性にとっては“損"した気分になるものである
誰かを頼ろうと思っても自分が連絡を取れるのは果たしてそこまでの友達なのかと踏みとどまっては相談もできない。
他愛もないことは話せる、一緒にいるからいい関係、そういう気分はエンタメとして成立するが自分を誰かが真剣に眼差してくれるような存在はいない。
SNSは果たしてその先にいるのは人間なのか、botなのか
それでも自分の承認欲求をいいねで満たしてくれる世界
もはや、その先にいるのはなんだっていいのだ、自分の気分さえ良くなれば
孤独死なんてものもあり
歳をとってみたら今度は非難される側に立つだけ
お年寄りは大事にしよう、そんな標語はコスパを考えたら合理性に欠けるし、もはやおばあちゃんの知恵袋は便利な生成AIやGoogleで十分だし、便利
もはや、自分の家族のお年寄りなら百歩譲って存在は認めるが、他人のお年寄りについては何も思わない、そんな存在だ
ありふれた人生
そんな人生はいつだって、振り返ってみると揶揄されるようなそんな人生