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悟り世代がつぶれないための人生作法

「俺は別に馬鹿を相手にしないから、特段、無視をすればいいか、関わらないければいいか……」

そんな風に思っていた。

感情がないわけではないが別に怒って何かを変えようとかそういうのはあまり自分の中ではなかった
それはとくに仕事では……
言われているのは「悟り世代」そんな言い方をされることを望んでいるわけでもないのだけどこういう考えをそういう風になるらしい

しかし、何もこれは若者がというわけではなく昭和という価値観を矯正させられている世の中の今にあっている作法のようなものであるという感覚があるのです。
何かといえば、ハラスメントとなる問題
たしかに、昭和の中では許されてきたものが現代においては一切の不快は望ましいものであるということで扱われることはない

そういう価値観の中で受け流し系の人間、または言い換えては“ほどよい距離感”を取るという在り方の人間もいれば昭和100年の価値観を引きずって、その不快をばら撒く人間もいるのです。
こういう昭和100年の人間はもはや生きることが難しいのです。
しかし、悟り系の人間が冷静に対処し、静かに距離を取ることでその行為を勘違いする

そうするとまた何かハラスメントという力技の押し付けとなっていく
あたかも流されていると気づかずに
こういう昭和100年の価値観、精神作法の人間はもはや淘汰されていくのに……
それはさまざまな理由づけでその行為に行き着く可能性があり、その一つがハラスメントというものなのではないかということであります

では、その悟りで受け流していればいいかといいますと、それはそれで精神的には良くないのです
SNSはミュートができますが、現実世界では自分の中でミュートをしていても相手はそれに気づくことなく入り込んでくるのです。

また、その勢いというテンションは何か大きな勘違いを根拠のない正当化で自信を持って押し付けてくる人間がどれだけ多いでしょうか
そういう人間を相手にしなくちゃいけないときは、逃げてもいいかもしれませんが「戦略、抑止力」としての攻撃というものを持っていてもいいかもしれません。

受け流すという悟りといういい子ちゃんだけではいないようにする。
ときには、それをカウンターとしても、ときには攻撃としての抑止力としても使っていいのです。

このほうが省エネの場合もありますから

伝えたいのは受け、逃げだけが省エネの戦い方ではなく
ときにはこちらからの抑止としての攻撃も必要だよという話

面倒ですどね
世の中に人間ならざるものがいますから

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