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バンビに思いを馳せる日々。

暑い季節は基本的に不機嫌な私。寒くなってくると、元気を取り戻す。でも、寒がり。すでに厚着。お白湯を飲みながら、こんにちは。


ここ最近の記事で何度も話している気がするけれど、今、私はDonna Tarttの「The Goldfinch」という本を読んでいまして。(やっと300ページを越えたところ。あと500ページ…)調べると出てくるあらすじにもある通り、冒頭部分で主人公Theoは美術館の爆破テロにより、最愛の母を亡くします。

私はなぜか、そのシーンを読んで、映画「Bambi」でバンビのお母さんが人間に殺される場面を思い出しました。「The Goldfinch」のTheoも、「Bambi」のバンビも、お母さんと仲良く2人(2匹)暮らしだからかしら。

「Bambi」は私が小さい頃、繰り返し繰り返し繰り返し観ていた作品で。バンビがかわいいとか、そういう理由で観ていたわけではなく、バンビのお父さんである、森の王様にただひたすら憧れてた。鹿になりたかった。私にも角が生えたらいいのにな、4本足で草原を駆け回りたいと切に願っていた幼少期。鹿をはじめとして、馬や、ケンタウルスなどの逞しく大地を蹴るフォルムが好きです、未だに。あんな風に姿勢良く、暮らしたいよね。

幼少期に観ていた時は、バンビのお母さんが殺されてしまう場面を理解するのに時間がかかりました。この映画をご覧になった方なら、分かると思うけれど、バンビのお母さんの死を示唆するものは、雪原に響き渡る銃声だけ。始終、画面に映し出されるのは、お母さんの指示通りに振り返らず、死に物狂いで走っているバンビの姿。安全な場所まで逃げ切っても、一向に姿を見せないお母さん。恐れと不安、どこかではお母さんに会えるという根拠のない自信と希望。ひとりでは処理することの出来ない現実。信じたくない。でも、目の前にある世界は変わらない。幼少期ならではの無力さ。小さな私が感じたことは、きっとバンビの心境に近かったはず。

もう少し成長してからは、同じ場面でも、お母さんの心境に思いをはせるようになって。死を目前にして、彼女の脳裏には何がよぎったのだろう。雪原で新芽を見つけ、久しぶりの食事を楽しんでいる最中に、周囲の異変を感じたお母さん。バンビを逃がそうと必死に急き立てます。「走って、逃げて、振り返らないで」。お母さんにはもう自分の死が見えていたのでしょうか。子を守ろうする母性本能、そして一種の覚悟。そんな思いが込められた「振り返らないで」。私の母は「フランダースの犬」のラストシーンで即泣けるらしいですが、きっと私の涙腺はこのシーンで崩壊します。

そしてそして。小学校4年生くらいだったかな、学校の図書室でフェーリクス・ザルテン作 上田真而子訳の「バンビ 森の、ある一生の物語」に出会いました。言わずもがな、映画「Bambi」の原作です。映画と比べると、だいぶね、2段階くらい重い作品になっております。ずっしり心に残って、のしかかってくる。小学生にはちょっぴり衝撃的な内容だった部分もありましたが、いたく感銘を受け、一時期は肌身離さず持ち歩いていました。古老のように、凛とした雰囲気を纏うべく、毎日修行状態。遂に、図書室で借りるだけでは気が済まず、母に買ってもらった。

明るくて、希望に満ち溢れたエンディングがある映画はエンターテインメントとして楽しむには十分だけど、生命の儚さをより美しく、時に残酷に捉えているのはやはり原作の方かな。どっちも同じくらい、選べないくらい好きだけどね。映画と原作の違いを楽しんでみてくださいな。挿絵がとても素敵。

バンビに実写化の話が出てるみたいですね。どうなることやら。

最後はバンビの親友、うさぎのThumperの名言で締めましょ。

If you can't say something nice, don't say nothing at all.

Bambi (1942)



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