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これまでのキャリア振り返り③…マミートラック〜キャリア再考

人生における子どもとの時間を考えた結果、約1年前に正社員を退職、現在は、派遣として事務アシスタント職をしています。
これまでキャリアについて色々考えてきた経験から、キャリアコンサルタントに興味を持ち、今後のキャリアとしては、少しずつ人事関連の職業に携わりたいと思っています。

喉元過ぎれば熱さを忘れる、ではないですが
何でもすぐ忘れてしまうタイプのため、キャリアのそのときどきで感じていたことを振り返り、書き記しておこうと思います。

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20代~30代を過ごした会社

25歳~37歳までの13年間は、素材メーカーで、事業企画推進部門にて約2年間、異動後、情報システム部門にて約11年間、働かせて頂きました。メーカーとしての品質に対する思いや、若い人にも仕事を任せ、チャレンジを促す風土などもありつつ、人を大事にしている会社だったと思います。

働き方の変遷

この会社では20代~30代まで働かせて頂いたので、
 - やる気と自身に溢れ、何でもやります20代、
 - 1人目育休復帰後ののんびり30代前半期、
 - 2人目育休復帰後の仕事と育児どちらも頑張ります!の30代後半期
と色々な働き方をさせて頂きました。

印象に残っている仕事と学び

ボロボロだった海外出張

上の子の育休明けは上司が過剰に気遣ってくれて、いわゆるマミートラック状態でしたが、下の子の育休明け前には上司とも働き方について話ができている状態で、時短も選択せず、仕事でも頑張りたいと考えていました。

育休明けは、基幹システム入替のプロジェクトに途中参画となりました。プロジェクトでは、設計~検収と残業しつつ対応していたことを見ていた上司より、工場での導入も経験してきたらとお話があり、現地での基幹システム導入にも携わらせて頂きました。
10日間の出張自体は、朝早くから夜遅くまで働き、睡眠時間も短くどんどんやつれていき、トラブルばかりでプロジェクトにもあまり貢献できたとは言えない仕事ぶりでしたが、段取り・計画の大切さ、うまくいかなくても折れないメンタル、チームでの助け合いなど、色々と学ばせて頂きました。

家庭の方は…というと、下の子1歳、上の子が年長の頃でしたが、この出張時は夫一人での育児対応は難しかったため、遠方の義母もサポートにきて頂き、乗り切ることができました。

サーバー半壊事件

サーバー半壊事件は、本当に血の気が引くってこういうことなんだーってのを経験した出来事でした。全て事が片付いたら、辞めて責任取るのか…と思い詰めていましたが、上司のフォローと、プロフェッショナルな社外のSEさんのおかげで、数日かけてサーバーは復旧しました。上司からは人としての在り方を、協力会社の方からはプロの仕事を学ばせて頂きました。

帰る時間になると発生するシステム障害

当時は時差出勤で8:20に仕事開始、17:00勤務修了、そこから保育園に18時半頃到着し、保育園→学童へとお迎えというスケジュールでしたが、帰る時間になると発生するシステム障害には本当に振り回されていました。夫と連絡を取りながら、交代でお迎え対応していましたが、毎日綱渡りでやっていたな…と思います。

退職を考え始めたきっかけ

30代後半になり、色々と任せて頂けるようにもなってきたし、自分の分野もできてきたかな…という感じではありました。でもどこか遠慮というか、仕事に振り切れずに、もっと頑張ったらやれるけれど、家庭の時間も大事だし、子どもとの時間を取りたい。自分でブレーキをかける、というようなところもありました。

毎日猛スピードで仕事を片付け、夫婦で交代しながら、学童と保育園のお迎えに行って、急いでご飯、宿題、明日の準備、寝かしつけ…と、子どもも小さかったから、毎日を回すのに疲れ、体力の限界!がきていました…。

参画中のプロジェクトも一段落しており、もうそろそろいいかなって考え始めていました。
これからこの会社で、どのようにキャリアを積み上げていくのかも描けていないし、上の子はもう小学2年生になり、これからどんどん手が離れていく。今しかない子どもの成長を見逃したくない。

そんな思いから、一旦、仕事でのキャリアアップは置いておいて、ワークライフバランスを整えたいという思いから、13年勤めた会社を辞める決断をしました。

振り返り

13年間、社内外のたくさんの方々に助けて頂きました。この会社を辞めるときも、周りの方々にたくさんパワーを頂いたことを、振り返りながら、改めて思い出しました。

そして、次の転職の優先順位としては、キャリアダウン、給料ダウンになっても、子どもとの時間と自分の時間も確保できる職場にしようと考えていました。


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