夜が明けるまで~連載第四話 「ピアノの涙」

正社員への応募は連日続けていたが、なかなか思うようにはいかない。
しかし、アルバイトは漸く決まった。
世田谷にある、小さな音楽教室の受付事務だった。

ほぼ東京都の最低時給であるが、そんな贅沢は言っていられない。
とにかく、働かなければ生活できないからだ。
私は、面接合格の電話をもらった次の日から、その音楽教室で働くことになった。

音楽大学を卒業している私だが、ずっとOLだったので音楽教室のピアノ教師で採用されるのは無理だ。
なぜなら、ここでも年齢制限がある。

働き始めてみると、私より年上のピアノ教師もいたが、彼女達は、大学を卒業してすぐ音楽教室で働き始めたのだ。
しかし、受付で働き始めた私は、音楽教師達の悲惨な境遇を知ってしまう。

発表会などには、生徒が出たがらなくてもなんとか説得して、出演させる。
もし、出演しないとなると会社から厳しいお叱りがある。
また、生徒がピアノ教室を辞めるなんて言い出したら一大事だ。大目玉をくらってしまう。
ピアノ教師にならなくてよかったのかもしれない、と思う。

音大の先輩が言っていたとおりだ。
「時代は豊かでも、私達にはきれいな服や美味しい食べ物は無縁よ。」
そう言っていた。

しかも、発表会の前に生徒が練習してこないと、ほとんど教師たちは無償で追加レッスンをしてあげているのだ。
これでは、よほど裕福な家のお嬢様かよい伴侶を見つけた奥様でもない限り、ピアノ教師は税金すら払えないだろう。
ここにも、貧困レディ予備軍がいた。

音楽大学を出たからと言って、皆が皆、富裕層ではないのである。
殺伐とした気持ちを抱きながら、私はエレクトーンの鍵盤を丁寧に掃除していた。
そして子供時代、自分も音楽教室に通っていた頃のことを思い出していた。

その教室は、単線の隣の駅にあったが父がいつも車で私と妹、付き添いの母を送ってくれた。オープンしたての音楽教室は、エレクトーンから何から全てが新品、建物もできたばかりで、教室全体がキラキラ輝いているように見えたものだ。

私の実家は在来線が1時間に3本しかない田舎町であるが、その音楽教室の教師は二人とも、とてもおしゃれで都会的な先生たちだった。

二人ともまだ若く、エレクトーンのグループレッスンの先生は艶のある髪をサラサラのボブカットに、ピアノの個人レッスンの先生はふんわりと肩にかかるセミロングヘアにしていた。

そのきれいな髪に似合うリボンのついた光沢のあるブラウスに、明るい色のタイトスカートを履いていた。
また子供を連れてくる母親たちも皆、高価とまではいかなくても、服装はブラウスにジャケットとスカートだった。
時代が良かったのだ、と今になってしみじみ思う。昭和の、景気が鰻登りだった時代の話だ。

しかし、この世田谷の教室は全く違う。
ビルは古く、教室の壁紙もよく見ると剥がれかけて薄汚れている。
今年の夏に、一つの部屋のエアコンが壊れて生徒の親たちからかなり文句を言われた。

そして先生達の服装はと言えば、ジーンズにチェックの綿のシャツなどで、母親たちもほとんどがジーンズだ。
しかも、おしゃれなジーンズではなく、スーパーの2階で買ったようなぺらぺらの生地で、上は洗って色が褪せたポロシャツなどを着ている人もいる。

富裕層が多いと言われている世田谷区だが、この様子なのだ。
母親たちは、自分のおしゃれに使うお金を節約して、子供の教育のために使っているのだろう、とすぐわかる。
彼女たちはとても健気である。

アルバイトを始めて2か月後くらいだったろうか。私が生徒の新しい楽譜が届いたので、一人の母親を呼び止めた。
「今日、新しい楽譜が届きましたよ。こちらです。」と手渡すと、サッと顔色を変えて
「ごめんなさい。今日はお金が足りないから、来週持ってきます。」と言われた。

そばで子供が
「え~!お母さん、お金ないの~?」と笑ったが、母親は恥ずかしそうに苦笑いしていた。
なんだか、楽譜代を請求した私が悪いことをしてしまったような気がした。

第五話「怒られない子供達」に続く

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