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0713 本質に触れた日

画像はいつか飼ってみたいヒョウモントカゲモドキ。

昨日の夜、ほっともっとのビックのり弁等を夕ご飯にお腹いっぱい食べたせいか、とてつもない眠気に襲われてしまったため、日を跨いで更新。
(過去の経験から、書かなければいけないタイミングを決めてしまうと、一度書けない日があるだけで、二度と書かなくなってしまう性格だとわかっているため、その辺も緩くやっていきます。継続力がないくせに、妙に完ぺき主義なところは自分でも傷だと思っている。)

昨日はなんだか「本質が大事だなぁ」「本質ってむずかしいなぁ」ということを感じる出来事が多い一日だった。

特に印象深かった3つを記録しておく。

まずは、ビジネスの本質について。
昨日は週に一度のチームMTGが朝イチであり、業務報告の後に、各自が情報収集のために受けたセミナーや講座で学んだことのシェアが行われた。
今回は後輩が受けた投資家の為のSDGsをテーマにしたセミナーのシェアであったが、そこでは「SDGsは、社会貢献やCSRなど、単なるボランティアではなく、持続可能なビジネスを展開する上で企業にとって根本的な指標になる」といったことが語られていた。
先日、自分自身が受けたSDGsビジネスのウェビナーでも同様のことが語られており、コロナを経験した今、SDGsの取り組みが遅れている日本の中小企業であっても、持続可能なビジネスとは何かについて一度足をとめて立ち返る企業が増えたという。が、実際は、いざ「社会にイイことをやろう」と言うと、様々な企業から、「そんなことをやっている余裕はない」や、「今の自分たちのビジネスで満足している」など、どこか他人事な回答をする企業がまだまだ多い。
しかし、お金とは、そもそも信頼や評価に対して払うものであるため、SDGsを指標に、持続可能な(誰も取り残さない)ビジネスを模索している企業であればあるほど、儲からないわけがない。つまり、取り掛からない企業は逆に損をすることになる。
耳障りのいい、「社会にイイこと」という説得は、人の心に響いても会社を動かす原動力にはなりえないため、ビジネスにおいては、本質である、”もっと社会に求められる企業であるため”、つまり、『儲かるために』という視点で語ることが必要であると感じた。


二つ目は、人とのコミュニケーションについて。
私は4月から新しい部署に異動となったのだが、異動後一緒に業務にあたることになった後輩がとにかく真面目。真面目が故、チャレンジよりもリスク、メリットよりもデメリットを気にしてしまうとことがある。
また、先輩に時間や負荷を如何にかけないで業務を遂行出来るかを美徳としている部分があり、「仕事振っていいよ」に対しても「大丈夫です!」の一点張り。私が定時で仕事を終えた後、また作業している様子も伺える。
そこに輪をかけて、言葉選びが淡泊なため、感情が読み取りにくく、先輩としては、「仕事楽しめているのだろうか。」「本当は無理していないか。」など心配が絶えなければ、私自身付き合い方に悩んでいた。

でもでも!このまま後輩の残業を見過ごすわけにはいかないし、彼女が事故か何かで仕事ができなかったとき、何も状況を把握できていないのは、組織として失格だ!と一念発起。メッセージのやり取りで、何を考えているのかわからないなら!と昨日久しぶりにリモートMTGを設定した。
(異動直後からコロナによる緊急事態宣言が発令されたため、毎日顔を合わせる機会もなく、必要事項をやり取りするに終始することが多かった。)

MTGを設定した意図を伝えたうえで、お互いの進行業務について共有を行ったのだが、え?めちゃ面白いアイディア考えてるじゃん。全然ネガティブな意見ばっかりじゃないし。そんな動きを外として他の!?など、もう知らない一面が出てくる出てくる。なんだ。私のコミュニケーション不足じゃん。悩んでたのが恥ずかしい。意思疎通が大事ってわかっているようでわかっていないかったわけだ。
人っていうのは、コミュニケーションとる連絡ツール一つ変えるだけで、こうも受ける印象が違うのかという気づきだった。人の本質なんて、環境次第で全然わからないのだなあ。と改めてうなずく出来事だった。
(結構彼女は、私以外にも、周りの人から向き合い方が難しいと思われている節があるので、今後、彼女にとって損になりそうな見え方については、今後彼女と無理なく、いい方向を模索していきたいな・・・という所存。)


最後は、人との縁について。

仕事バリバリ頑張りたい時と出産子育て頑張りたい時がダダかぶりの今の世の中が続く限り、何かを諦めざるを得ない人ばかりなのって凄い悲しいよな。出産の期限がある女性は特に。人逃げ恥のみくりが出産子育てを高校時代にズラすべきって言ってたの、極端かもしれないけどいい考えだなぁって思ったよ。

先週末、こんなツイートを私がしたところ、高校の友人から急に連絡がきた。同級生といっても、グループも異なり、遊んだこともなく、親しいとは言えない、挨拶を交わす程度の友達だった。(何なら、噂によると、同じ男の子が好きなライバル?だったはずの子。)

そんな彼女からの突然の連絡。内容は、私のツイートへの共感と、未来はそこまで暗くないという励ましだった。普段から私のSNSの発信やイイねを見て、興味関心が似ていると思ったらしく、まさに、小さな子供を育てながらキャリアも大切にしている渦中のようで、連絡をくれたのだという。

そこからというもの、昨日の夜時点までで、親友と呼べる友達とも交わしたことのない、深い思想的な話を何の往復も何往復も重ねている。夫婦の家事の分担や、育児の楽しさ、子供が生まれることによる価値観の変化や新しい仕事について、なんと最後にはフェミニズムの価値観に至るまで。

・・・やばい・・・楽しい。

もともろ自分の中で何かをもんもんと考えるのも楽しかった私であるが、自分の思想を言葉にすること、原体験の言葉を聞くこと、メッセージの一つ一つが楽しすぎて、読むたびに、書くたびに脳が興奮しているのがわかった。
冒頭のツイートをしたとき、まさかの同級生と、こんな深くて濃いやり取りが出来るなんて、予想も期待もしていなかった。

以前、彼氏が欲しくて合コンを重ねていた先輩に、別の先輩が、「その人が仮にタイプじゃなくても、危ない人でなければ、せっかくできたつながりは恋人としてじゃなくても大切にしたほうがいい。どこでどんな縁がつながるかわからないから。」とアドバイスしていたことを思い出した。
これはちょっと、恋愛に寄った話ではあるけど、どこでどんな縁が巡ってくるかわからないというのには激しく共感した。

最近、後進の育成が喜びに変わったり、みんなで何か1つのことを成し遂げるのが楽しいって気づいたりと、人同士の繋がりに喜びを感じるようになってきた私にとっては、この突然のメッセージも喜びであり、そして改めて周囲の人との関係性を大切に大切にしていこうと思いなおすきっかけでもあった。

(日記を始めようと思ったのも、何がどう人との繋がりになるかわからないという気づきのためだ。自分の整理にもなるし。)


そんなこんなで、昨日はビジネスの本質や、コミュニケーションの大切さ、人との巡り合わせのいたずらさ、などなど、いろんな学びを深めた日であった。

あとはメンタリングをやったり、得意先の要望に応えたり、夫が朝掃除したきれいなお風呂でシャワーを浴びたりと、平和な一日でした。

毎年恒例の会社の仲良し同士のディズニーも来週末に決まったので、
衣装を考えたりしないと!

4連休が今から楽しみだ。

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