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泣く声が呼び起こすものは

浴室で子が、珍しく盛大に泣いている。
それはもうぎゃんぎゃん、と周りの人からは思えるであろう泣き方で。私にはこのぎゃんぎゃんが苦しそうに感じてならなかった。自分の耳がつんざけるかどうかよりもそれが辛かった。

普段、号泣することは少ない。(新生児~1か月くらいまでを除く)
理由のない泣きをすることも少ない。(新生児~2か月くらいまでを除く)

だからこれは私の責任、泣かせてしまって申し訳ないという気持ちがはちきれそうだった。子が普段泣かないほうだからというのもあるが、自分がこんな「泣かせて申し訳ない」なんて思うタイプだったなんて、子供を持つまでまったく思わなかった。(むしろ妊娠中もいかに楽をするかを最優先に考える効率重視タイプだった)

この大号泣の理由は大体明確だった。
今日は帰省予定だったのだが、子の昼寝時間や私の体調不良もあり、今日は急遽キャンセルしたいとほんのり伝えた。
が、母親からの圧を感じて、子も私も己に鞭を打って実家へ来たのだ。
もうこの時点で「眠そうだし散歩中に寝れるかな」というつもりが寝られず、子のストレスは始まっている。
我が子は比較的物分かりのいいほうだが睡眠妨害には結構厳しい。
実家に着いたら着いたで子にとっての祖父母に即座に抱っこされ、さんざん構われる。
我が子は比較的愛想がいいほうだが眠い時は放っておいてほしい傾向がある。
「眠いはずだからそっとしておいてほしい」と繰り返し伝えるも、聞き入れられることはなかった。元々実家では存在感が薄い私だった。
極めつけに、私の入浴中(15分程度)にもずっと遊んでいたと、それは嬉しそうに子を浴室に連れてきてくれた。もう子の顔には「不機嫌」と書いてあった。私の親はそのことに気付かない。が、私が怒っていることには気づいたようだ。
私と子が二人きりになった途端、せきを切ったように叫び泣いた。
赤子が泣くのは可哀想なことではない(意思表示ができないし)と思ってはいるのだが、理由が明確故にその様子がとてもかわいそうに見えた。

泣いている(もはや無表情で泣いている)様子を見ながら、実家についてから「にへっ」と笑うあの顔を見ていないと気づく。
私も子も、他人のために頑張りすぎたね、ごめんね。笑って、可愛いから、と声をかけながら泣きたくなった。

私が無理をして連れてこなければ、という気持ちも、
親に対して、子供の頃はしなかったような他人相手の気遣いをするようになったことへの複雑な心境も、
そもそも自分の親をちょっと迷惑と思ったことも、
私の大事なものに無理させて、私の大事なものを無理させたそのストレスを私が回収するなら誰にも触ってほしくないという黒い気持ちも、
瞳の光を一つずつ消していくように、今まで知らなかった感情が生まれてくる。
これは未熟な親としての感情と、独り立ちした子供としての感情なのだろうか。

子どもを産んでから、自分が意外と独占欲が強いのだと気づいて驚いた。
子がこういう性格じゃなかったらこんなに独占欲は強くなかったかもしれないが。

同居人も親も、どうせなんで泣いているのか理解できない。
しかも私以外の人からの粉ミルクはほとんど飲まないので、「あげるポーズ」だけであとは私が飲ませていた。(粉ミルクを利用していることの最大のメリットが生かせていない複雑な心境である)いまだってこうして、さんざん遊び倒してそのあとの大変なところは私しか対処がわからないのだ。
私じゃないと泣き止まないのではない。子はそんなに難しいタイプではない。何度も言うが私しか対処がわからないだけだ。
ここまで泣いていたらこの子は誰にも抱っこされたくない、ベッドにおいてほしいのだ。本当はちょっとおなかも空いているのに、泣きすぎて嗚咽と混乱で吸えない。
私が席を外した5分後には「ひっくひっく」とわかりやすい嗚咽を漏らしながら眠りについた。その顔を見るとまた泣きたくなった。

私以外の人はみんな、放っておけばいい時に放っておかず、様子を見るべき時に様子を見ない。確かに普通の赤ちゃんと正反対なところあるけどめちゃくちゃわかりやすいのになんでやれることやらない、おむつの当て方が雑だ、爪切ってくれよ、あぁ私しか、私しか…。
どうせ他の人がやっても「私が」満足できないという部分もあるし、子のストレス負荷をみていられない「私の」ストレスなのだ。

そんなことは知っている。正直、危険な思想である。

自分以外の人がすることを信用できない。(教えても聞いてなかったり実行できない)
他人に任せたあとのしりぬぐいをすることも別にいい。
他人がやってうまくいかない尻拭いをするくらいなら。
そもそもしりぬぐいを必要とする状態の子のストレスを見るのが辛い。
人が多いところに長時間出かけたくない。
子のリズムが崩れてまた眠れなくてつらそうにするから。

追い詰められてなんかいない、ただ自分で追い込んでいるだけで。
子が辛そうな様子を見られない、なんてこの先言ってられないのにとんだ平和ボケである。
なるべくリズム通り寝かせてあげたいことも、けれど徐々に人の多さや外出にも慣れていく必要があることも、どちらも必要ではあると思う。どちらを優先してもいいと思う。
ここまで潔癖にならなければ。
私はもっとうまく、肩の力を抜けるよう、自分を優先して適当にやるつもりだった。自分を優先することは子を優先する事とほぼ同義だとは気づかず。この生活は、子を優先することが一番楽なのだと気づいた。
それはほんのりとした本能的な精神汚染を含んでいた。

私は、私は、どう生きていたのだろう。
泣き止んだ子の小さな寝顔は、それ以外が見えなくなるほどの力があった。


なお、私の両親は若干罪悪感を感じているようで妙に気を使われた。謝られることはなかった。昔からこういう人たちだった。「そんなに無理させてない」とまで言っていた。昔からそういう人たちだった。


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