戌の日とは。
おなかはそんなに大きくないけど、食べると脇腹から腰にかけてまでいっぱいになり苦しい。空気が溜まっているような感じがする。そんな時はおなかがぺたんこだった時に戻りたいと思う。いつまでこんなに苦しいのだろう、これから先が不安になったりもする。日に日に大きくなったり多少へこんだりもするおなかの様子を信用しきっていなかった。便秘なのかそうでないのかわからない。けれど残念というかなんというか、便秘が解消されても、またニンニクでおなかを壊しても(妊娠発覚直前もニンニクでおなかを壊した)増える体重をみて 己の体を信用せざるを得なくなっていった。
子育ての知識はいつごろから入れたらいいのか、必要な物品はいつ何を揃えたらいいのか、つわりがおさまるとそういうことを考える余裕が出てきた。しかしその余裕はあっても実際に行動に移す時間的余裕があるかは別である。考える余裕はあるのに実行にうつすことができずかえって募るものもあった。
そんな中、戌の日参りという安産祈願にも行った。
これまで十二支を気にしたことがなかったが、たまたま行けそうな日が「戌」で「土日」で六曜も悪くなかった。混むだろうなと思ってはいたのだが、酷暑と言われるさなか想像を超える混雑だった。
「安産祈願といえば」のところが居住エリアに1カ所あるのだが、需要に対してシステムが構築されていなかったのである。平日はこの感じで賄えるからいいんだろうが、この日は確実に混むとカレンダーを見ればわかる業界なのになぜその時だけでも業務形態を変えたりしないのか。安定期とはいえここに集まる人たちが全員通常より体調を崩しやすいのは明白なのに、なんの対策もないことに社会人として憤りを感じて気持ちよくお参りができなかった…というか列に並ぶのに必死でとてもお参りという感じがなく正直どれだけ有名だと言われてもこのお参りが不本意と思ってしまった。
寺社の敷地のはるかかなたから行列になり最終的にはお守り等をもらうのに2時間並んだ。行列の中の妊婦の中の胎児を可視化したら一体何人の赤ちゃんになるのだろう、これだけいても「少子化」なんだから、これまで果たしてどれほどの子供がいたのだろう。働いている両親が増えたから土日の戌の日がこんなことになっているだけか。
この日は本当に暑くて梅雨明け目前と言われる頃だった。
途中で急な吐き気にみまわれ視界が端のほうから小さく暗くなっていった。一緒に来ていた同居人にしがみつきながら列に並んだ。周りも同じような状況なので体調不良者にやさしく、後ろに並んでいる私より若そうな女性が何かと心配してくれた。我々は午前中に伺ったのだが、私が休んでいる最中に同居人が3人の妊婦がダウンするところを目撃したらしい。30度を超える梅雨、午後は救急車沙汰になるのではと正直心配になった。
体調を崩してからは時々ベンチに座っていろんな家庭が見ていたのだがそれはそれで気がまぎれた。
すでにかかあ天下っぽそうな楽しい若い夫婦、3人のお子さんを連れている父親と思われる人など。後者の人は4人目のお参りをしているということだろう。4人産むことも素晴らしいが生まれる人数分毎度参拝している信心深さを見習いたい。
あとは祖父母(となる人たち)と参拝している人も多かった。この暑い中…と己のことを棚に上げて心配になるのだが、「私が並んでおくから近くのファストフード店で冷たいものを飲んでおいで」と代わりに並んでいたり、「こんなに並んだところで意味がない」と男性が奥さんと思われる人に言ってしまい一触即発になった夫婦の間を取り持ったりしている人もいた。(気持ちはわかるがそれは失言)何かとサポート役に回っていて、これこそ親御さんという感じだった。
そうかと思えば、夫婦が列に並んでいる間木陰のベンチにずっと座っている老夫婦もいるし、ほかの妊婦や幼子が後ろの方の日向で暑がっていても日向に並ぶのを避けてなかなか前に進まない高齢の女性がいたりもする。私以外に座っていたのもずっと老夫婦とゲームをしている男性だった。
どうにもその二組に動く気配がないので、体調が持ち直したらなるべく空席を作るように、並んだり休憩したりウロウロしながら2時間をやり過ごした。社務所のようなところでは高齢職員?が涼しい室内に座って1人でこの行列をさばいてくれていたが、何かと説明も不足しておりなんとも言えない気持ちになった。
この過酷な安産祈願に意味があるようにと願うばかりである。
17週に入った頃、布団の中でふと「ぽるんっ」と力強いものを感じた。
もしかすると今までのおなかが動いている感じの10のうちいくつかは胎動だったのかもしれないとふと思い返す。
ほどなくして17週終わり頃、ドクターフィッシュよりちょっと強いくらいの 「ぷくっ」をたまに感じるようになった。でもなんなのかよくわからない。
そうこうしているうちに19週、同居人が手を当てていた時にサービス精神なのか僅かに動いてくれた。これはもう胎動といっていいだろうと思えている。その後もリラックスしている時間帯にはぽこぽこ、ぽるん、どぅん、みたいなものを感じる。話しかけるとかは傍から見るとただの独り言になり気恥ずかしいのであまりできていないし、腹が苦しい時もあるけれど、最もほほえましいくらいの期間だろうと今すでに思っている。