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小さな世界で

時間ができたというか、あれもこれも「待ち」になって突然ぽかんと時間が空いたので、パソコンを開いてみる。

朝からの豪雨がやんで、日が差し込んできた。不安定な濃淡で地面を照らしてすぐ風と一緒に流れた。こういう天気には季節を感じづらいなと思う。季節が進む毎に雨が降る気がするからだろうか。

うちの乳児が生まれる頃はこんなに寒かっただろうか。

大きい腹が重くて、暑くはないけど不思議と寒くもなくて、足がむくんでいた。大したトラブルがないことを誇りに思いたくさん歩いた。腹は度々張っていた気がする。あなたの生まれる季節はこんな季節だよと心の中で教えていた気がする。

それが一年後、こういう時間の無くなり方をするとは。意外と同居人が役に立たないとは。他人にとって自分が信頼に足る人間であったかどうかをここで己に問われるとは。
季節も天気もどこか額縁の中のもののようだった。

子どもがいると時間がなくなるとはよく聞いていた。自分の思っていた時間の無くなり方とはちょっと違っていて、うまく説明できないけれど、こうしてぽっかり突然時間があくものの、できることがとても限られる。そうかと思えば、テレビや動画を見ながら2時間以上立ちっぱなしなことにも気づかず離乳食の作り置きをして、翌朝まで疲れを引きずって何もできないという時間のなさもある。今日のことである。

「手を抜けばいい」とか「完璧じゃなくていい」とか簡単に言うけど、
最低限やらなければならないことが多いのだから手の抜きようがない。
離乳食だってベビーフードを使えばいいと言われる。もちろん使っている。
それでも、スティック状にしたり月齢に応じて必要なものがある。それをしない選択肢もあるが、座っているだけの時間が長いと子が飽きてぐずぐず言い出すので最低限で求められることが多いと思うのは私だけなのだろうか。

産休、育休は辛いことばかりではない。けれど、育児の不参加について同居人に正論を投げつけることも増え、喧嘩っぽくなることも増えた。正論は人を傷つけるものだと思っているのに、そんな私が「本当のことを言って何が悪いのか」としれっと思っていたことに自分で驚く。そういう人にはなりたくなかったし、世の中の弱さを赦せる自分でありたかったのに、とげとげしい心があった。
きっと変化が必要な頃合いなのだと思う。
大変にはなるけど保育園に入れれば自分の大事にしたいものを少し取り戻せるのではと今は少しいいイメージが強めに働いている。

保育園見学は3件行った。
園によってこんなに雰囲気が違うものなのかと驚いたけれど、私は1件目が一番好きだなと思った。
2件目、3件目は自由に遊ばせることができる恵まれた環境の園だった。
1件目はすずめのように日陰に固まって水を張ったプールにおもちゃを入れてじっと遊んでいた。我が子の今のところおっとりして少し臆病な背中が、その様子にどこか重なりそうに思えた。外出時は虫よけスプレーをしているというのもなんとなくポイントが高かった。どこでも最近はそうしているのかもしれないが、そういうこまごましたことが日常に入っていて、穏やかな日常の延長の雰囲気が好きになった。
縁があれば、と願いながら申込書類を提出した。

保育園でも病院でも行政でもなんでも、他者の介入なしでは子育てはできないなと痛感する。
スーパーに行けば店員さんが可愛がってくれたり、荷物を運んでくれたりする。工事現場のおじさんさえ「6か月?じゃあそろそろ動けるようになったかな」と道の向こう側から声をかけてくれたりする。(月齢の成長具合がわかるおじさんの育児能力の高さを垣間見る)
妊娠中から今に至るまで、人の丁寧さや余白を受け取るようになった。
具合が悪かったりしたときに感じる人の温かさとは違った温度で受け取るそれらは「余力」であったり「意識」であったり「無意識」であったりした。その一方、不信だと思うことの感度も高まった。この人はいいかな、これでもいいか、と思えるかどうかの感度が、一人分だった時と違った感度になった。

では、自分はこれまで働いている間にそういったものを惜しみなく提供できていただろうか。
自分の子が客だったとしたら、どう対応されることを望んでいるだろうか。

もし今だったら違った仕事ぶりになっていたかもしれないと思う過去が思い当たった。自分の仕事の浅さなどお見通しだったのではないだろうか。
仕事上よくいう「若さで乗り切れる」というのは体力的なところだけではなく、「そういう」ところもあるのか。若いだけで存在価値があるからだったのか、先輩方の背中を思い出すばかりで、もう声をかけることすらできない。
もちろん子供がいなくても若いうちからひたむきに生きている人も多いのを知っている。こんな問答もなくきちんと仕事をすることが当たり前に身についた環境とその心を羨ましく思う。
私は仕事における自分の幼さや愚かさ、意識の低さ、何もかもの弱さに気付くのが遅かっただけで。
私は自分の弱さにばかり人一倍過敏で、そんな自分が嫌いで、自分の罪を許すために、誰かの弱さを許すことで禊を済ませていた。それは目の前にいる人ではなく、後ろの人や隣にいる人、離れた人に向けられたものだった。目の前の物事や人はどこか他人事で、敵であり神であり炎や雨のようで。誰かのために何かをする意味が、自分の中に暴れる穢れのためにあった。弱さとはなんだろう。私にとってずっと、目の前の人は弱くないと思っていた。少なくとも私よりは、ずっと。私は弱かったのではなくて、幼かっただけなのかもしれない。
誰かの目の前に自分のような者と子がいた時、世の中の人はさりげなく日差しのように温かい。冷たい雨のように悪意がない。

仕事に復帰することになったならば。自分で信頼したいと思えるよう振舞えたらいいな。

気分や体力に振り回されない「あの人の仕事の仕方が好きだな」と思える人たちに少しでも近づけるだろうか。
上司や先輩に悪態ばかりついていたけれど(そういうところで可愛がられていたところもあった)もう若くはない自分の余白は可愛げではなくなっていく。
いつかの自分の「いつまでこのままなの」と思うその答えに重いプレッシャーがある。
こんな愚かな私が、他人を思えるようになれるだろうか。あまりにも多く救われてきたように救えるだろうか。それはこれまでと極端に異なる生活と思考を得た自分でないとできなかったことなのだろうか。この自分が何も自分の中身には得たものがないと、思いたくないだけなのではないだろうか。
頼りなく瑞々しい子の背中ごしに見える世界が、冬の入り口にゆっくり澄んでいく。







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