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彩度が上がると思ってた。

2022年。主に上半期は「仕事」、主に下半期は「仕事」、下半期の下半期、10月後半以降の下の下の半期(げのげのはんきと読みたい)は「恋愛の余波」についてを、よく考えていた。恋人は錠剤ではない。


叱り・虎狩り・泡まみれ

一年を振り返りますと、親友が結婚したり、憧れの方と仕事ができたりと、良いことがとても多かった。

ボージョレ・ヌーヴォー評に当てはめるとすると、2005年の「ここ数年で最高」、または1999年の「品質は昨年より良い」、ひいては2002年「1995年以来の出来」といったところ。満1歳の自分以来の、天真爛漫な笑顔が踊る1年であった。


一方で、やはり怒られたり、叱られたりと、渋みも。

歯医者さんにはよく怒られました。ちょっと怖い人だったな。引っ越しましたので、もう2度と通わないと思いますが。徒歩30秒だからといって、行きつけにしてはならない。

正しく歯を磨けてないよ、とHOW TOを教えていただいたが「え、みんな毎日そんな風に、歯、磨いてるの?」と驚きました。自分が知らなかっただけ?ブラシを奥に、縦に向けて、傾けて、引っ掛けるようにして、歯に対して斜めに、垂直に、手の向きを反対にして。手の向きを?反対にして!?どう持てばいい?ゾロの虎狩り?ブラシを上に逆さに持ち替えて、磨いたり、押し込んだり、差し込んだり。ちなみに前歯は歯ブラシを地面に対して垂直に磨かないと歯茎を傷つけてしまうそうですよ。マジ?横じゃないの?歯磨きの相場。


私が知らないだけ?

車の教習所に通い始めたころ、教本の厚さにクラクラした時のことを思い出す。当たり前の日常は自分にとっての当たり前でしかない。当たり前のように横を通る車のドライバーも、当たり前のように眩しい歯を見せるあの人も、見えないところで、自分が知らないルールで動いているのかもしれないです。

私が知らないだけ?

他人の何もかもが、想像もつかない。

どうやったって口から溢れて、持つ指の間から歯ブラシの柄の先まで泡が伝ってしまうのだけど。ほんとにやってる?あのバスの運転手も、あの宝くじ売り場の人も。ビニ手で甲殻類を手づかみする食べ放題のお店みたいになるんですけれど。毎日毎日ドロビチョで歯磨きしてる?そうなの?


恋人は錠剤ではない

パートナー、恋人と呼べる人ができて。「28年と303日ぶり」と言われるとまるで天体ショーのような規模ですが、要するに生まれてはじめてということなんですけど。遊び心と才能がある人で、会えて良かったと心から思います。

そんな自分としては、私が知らないだけ?の極致が、パートナーのいる生活でした。世に溢れるカップルたちの心境、生活、目線。想像もつかない。

28年間、“恋人”というものに憧憬をこじらせ続けると、様々な仮説が頭の中で乱立します。2人で歩くと見ている景色の彩度が急にグッと上がるんじゃないかな、とか。そんな風になんとなく思っていたりしました。少しだけ本当に。紅葉が赤を通り越してえんじ色に見えるんじゃないかと。

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蓋を開けてみるとそんなことはなくて、景色も声色も喋り方も好きな色も変わりませんでした。そりゃそうなのですが、本当に分からないものなのです。あまり使わない日本語ですが、「生まれてこの方」ですから。



僕はどこか無意識下で、「パートナーがいること」を、「なにか錠剤を飲む」ような状態だと思っていたみたいです。それは自己に“取り入れる”もので、内臓から毛先まで、内側から変化が起こるような。

これまで、「野球」だったり、「バドミントン」だったり、「ラジオ」だったり、色んな錠剤を飲んで、その度に変化が起きてきました。

それらと同じように、私という存在に一体化して、付与されるもの、というイメージだったのだと思います。

私を構成する円グラフに新しい線と色が加わる。


ただ実際はというと、私の円グラフの項目が増えるのではなくて、そこにある2つの円グラフを並べて見るようなものでした。人はそこに在るもので、私自身でも、私のものでもない。


当たり前ですが、想像できていませんでした。概念としてパートナーが生まれるのではなく、パートナーのいる自分に成るのでもなく、シンプルに「知らない誰かと知り合うこと」です。でした。何度も言いますが、当たり前です。なのに、分からないものですね。

私も、相手方も、生活は続くし、家賃は引き落とされるし、物価は高いし、仕事は辛い。

まだ出会ってからそこまで月日が経っていないというのもあるかもしれません。遅行性かも。

「自らが観測し得ない要因で、知らぬ間に自らが変容していく」のではなく、「個」と「個」の関わりの中でコミュニケーションを繰り返すだけ。それに尽きる。相手に合わせて変えなくてはいけないクセもあれば、相手のために言う言葉もある。それはもう、自らの意思で相手とのつながりを維持するための努力や気遣いで、「友人」「仕事先の人」「家族」数多の”人間関係”の延長線上にあるもの。魔法じゃないので。人だから。



恋愛の余波


①恋バナが面白い

半ば人体実験のように、四半世紀以上何もなかった白い部屋に突然恋愛が放り込まれると、思わぬ影響がいくつかありました。

まずこれは一番驚きましたが、人の話してる恋バナがマジで面白い。恋愛を語った140字×8の連投ツイートも、インスタにある「本当は女子はここを見てる!男子にキュンときた瞬間」みたいな7枚ぐらいの画像スウィッシュしてみていく投稿も、Vtuberの恋愛相談も、はちゃめちゃに楽しすぎ。え、今おれダウンタウンのトーク聞いてる?。なにその情景描写、なにそのリアリティ。今聞く恋愛トーク、以前の200倍は楽しい。

急にそう感じたのは、やっぱり「自分なら」という自己投影ができて、リアリティが増すからですかね。あとは聞くと参考にできるので、「同じ仕事をしてる先輩の話を聞きたい」という感覚にも近い気がする。

恋愛話が元々嫌いだったわけではないとはいえ。まだ特段、酸いも甘いも経験していないにも関わらず、あれからというもの、明確に恋バナを消化する臓器が稼働し始めた音がする。不思議です。


②「リア充爆発しろ」の導火線は見えっぱなし

嫉妬や鬱屈とした目線は消えませんでした。街中で歩いている男女には「ケッ」と思うし、同級生の幸せそうな2ショットにも「フン」とスマホの前で鼻を鳴らしてしまう。

日本語が急に喋れなくなることがないように、そうした性根の部分はなかなか変わらないのかもしれない。たとえ突然大金持ちになったとしても、このまなざしは急には変えられないのでしょう。

あ、最近鼻を鳴らした話といえば…正月に実家に帰ったんですが、僕のいた少年野球チームでチーム内不倫があったらしい。コーチをやっていた男性保護者と、別の生徒の母親で。どれだけ問題になったのか、表面化したのかは知らないけれど、その不倫したコーチの息子と母親の息子がバッテリーで、試合前日にその不倫が発覚して、ギクシャクするけど、その衝突を経て2人が本当の親友になり、試合当日を迎えて、みたいなドラマチックなことがあったらいいですね。最後の最後に、キャッチャーがコーチのサインを無視したりしてね。グラウンドにいる2人だけの、アツいアイコンタクトがあって。

話がズレました、恋愛と不倫って違うので。違いますよ。本当の脱線。


③人生=仕事

同級生と集まったりすると、テレビの仕事って珍しいので、色々話を聞いてもらえて嬉しい。ただ、その後「休みの日ってなにしてるの?」みたいな話になった時に、プライベートと仕事が地続きすぎてあまり話すことがないという…悩ましい部分がありました。

家づくりに例えると、まず土台が「仕事」であり、その上の柱や壁や床が「旅行」や「映画」や「家族や友人」で、それを崩れないように積み重ね、組み合わせていくような感覚で考えていました。

が、例えば最近、仕事でテレビ局で作業する前に「あ、これから仕事か、頑張って」というLINEを貰った時に、「あ、そうか、これから頑張ることをするんだ」って思ったんですよね。そこでハッとしまして。

疲れるし、大変なことが「足場」「ベース」になる人生ってキツくない?と思ったわけですね。

「私の人生」という土台、基礎があって、その上に「家族」「パートナー」「仕事」「趣味」を積み重ねていくわけです。私の証明書は、運転免許証であって事務所の名前が入った名刺ではない。仕事を一生懸命やるのはもちろんですけど、でも「仕事をしている自分」を本初子午線に設定するのはややズレてるな、と気付きました。夜、ついうっかりコタツで寝ちゃった自分は、「仕事をしていない自分」ではなく「家で寝ている自分」であるべき。

繰り返すが、頑張らないという意味じゃない。「仕事」と「人生」の距離、その距離が空いている方が、健全なんじゃないか、と1通のLINEが思い返させてくれました。

あと、シンプルに「お疲れ様」と言える/言ってくれる相手がいるのが嬉しい。めちゃくちゃ心がラクになる。労いあう言葉のラリーの行間にしか流れていない、濃い~酸素がある感じ。ちょっとビビる、よくこれを一人きりで6年以上続けていたな。



④は「なんかLINEスタンプとかを送りたいからたくさん買っちゃう」ですが、ちょっとキモいので項目立てするのはやめておきます。

知らない場所を散歩するのが好きで。それは景色の刺激と、もしかしたら迷っちゃうかも、といううっすらとしたリスクも心地よかったりする。激痛じゃない時の腹痛とかもちょっと好き。え?ちょっと、こっから急激に痛くなったり?しちゃったり?大丈夫?って。

恋愛もそれに近いのかな。めちゃくちゃ嫌われたらもう二度と会えなくなる、といううっすらとしたリスクが常に首元に突き付けられているような。

兎にも角にも(ウサギ年だけに)、色々ひっくるめて、そうした人生に無かった刺激が訪れて、心地が良く、新鮮な日々ですね。そういう意味では、自分の年表の彩度は上がってき始めているような気がする。赤字で書き入れますから、大事なことは。

一番カッコ悪いところを見せられない人ができてしまったので、仕事頑張んなきゃですね。ということで、今年も一年、飛躍の年になりますように。(ウサギ年だけに)

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