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『アンナ・カレーニナ』を読んでみた〜光文社古典新訳文庫を読もうシリーズ〜

一生をかけて光文社古典新訳文庫をじっくり読んでみる。そんなシリーズを始めてみようと思います。

毎日、本の感想を書いていると長編の小説には手が出しにくい。というわけで自由気ままに読むスタンスに変えました。

これまでの反動もあって一発目に選んだのは大長編『アンナ・カレーニナ』。本棚にひっそり眠っていて、ようやくです。

トルストイが描く同時代ロシア貴族社会の人物群像劇。タイトル同名の女性、アンナ・カレーニナ夫人が不倫の恋の末、鉄道に身を投げて破滅する恋愛沙汰。

そういう印象が多いと思いますし、それぐらいの認識で読み始めました。

読み切ってみて、長編小説へのなじみがなかった分、その「長さ」ゆえの表現の特徴やメリットを感じることができました。

まず、丁寧に描けるからこそ緻密さが際立っていて「不倫小説」の一言で表すことは到底できません。このあたりは後述します。

また単純接触効果からなのか、4冊も読んでいると登場キャラクターたちへの親しみがわいてきます。ちなみにトルストイ前作の長編『戦争と平和』と比較すると、登場人物の数もグッと抑えられています。

さて、中身の感想にふれる前にどんな作品なのか紹介します。全8部の構成、光文社古典新訳文庫では2部ごとに1冊におさめ、全4巻。

1巻ごとに物語の「あらすじ」が参照されているのでここに記します。

あらすじ

1〜2部
青年将校ヴロンスキーと激しい恋に落ちた美貌の人妻アンナ。だが、夫カレーニンに二人の関係を正直に打ち明けてしまう。 一方、地主貴族リョーヴィンのプロポーズを断った公爵令嬢キティは、ヴロンスキーに裏切られたことを知り、傷心のまま保養先のドイツに向かう。
3〜4部
官僚としての体面と世間体を重んじる夫の冷酷な態度に苦しみながらも、アンナはヴロンスキーとの破滅的な愛に 身を投じていく。愛するゆえに苦しみ悩んだ結論は......。
一方、新しい農業経営の理想に燃えるリョーヴィンは、失意から立ち直ったキティとの結婚を決めるのだった。
5〜6部
イタリアから帰国し息子セリョージャとの再会を果たしたアンナだが、心の平穏は訪れない。自由を求めるヴロンスキーの愛情が冷めていくことへの不安と焦燥に苛まれながら、彼とともにモスクワへと旅立つ。一方、新婚のリョーヴィンは妻キティとともに兄ニコライの死に直面するのだった。
7〜8部
「そうだ、死ぬんだ!......死ねば全部が消える」。すべてを投げ捨ててヴロンスキーとの愛だけに生きようとしたアンナだが、狂わんばかりの嫉妬と猜疑に悩んだすえ、悲惨な鉄道自殺をとげる。トルストイの代表作のひとつである、壮大な恋愛・人間ドラマがここに完結!

アンナの鉄道自殺はあらすじでガッツリ言及されている通り、結末は見えています。

本作品にはあまりにも有名な書き出しがあります。

幸せの家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある。

このような「不幸の形」に至るまでのプロセスを味わう小説なのだと思います。

二つの家庭の物語

本書は大雑把にいえば、二つの家庭の事柄が交互に描かれます。悩みながらも幸せになる家庭(リョーヴィン&キティ)と、死の破滅まで行き着く不幸な家庭(ヴロンスキー&アンナ)。

この二つの家庭をつなぐ役割を果たすのがオブロンスキー(アンナの兄)&ドリー(キティの姉)の夫妻です。

オブロンスキーは自身の浮気問題で頭を抱えますが、その心優しさや持ち前の社交気質を発揮して人々を結びつけ、ときに人間関係の修復に奔走します。

じつはリョーヴィンとキティのパートを最後まで読むと、まっすぐに「幸せ」とは言い切り難いのですが。まあ少なくともその扱うボリューム感からして、対照的な彼らの家庭を中心に描けば別の小説も成立しうる。

二つの小説を一つにまとめているような印象を受けるけれど、決してバラバラではなく読み手に混乱はさせない。そこはトルストイの手腕なのでしょうが、アンナの登場パートがなかなか出てこないなど、驚く読者も少なくないはず。

アンナをどうとらえるか

最期はわかった上で読者はページをめくるわけです。でもやっぱりアンナも短絡的な「不幸」ではないんですね。

たとえばアンナは愛する子供こそ手放したけれど、なかば夫の了承を得て、不倫相手のヴロンスキーと海外へ逃げ、つかの間の幸せな生活を送ります。

もっといえば夫カレーニンの寛大なる対処もあって、子供の親権と離婚さえも取り付けたようにも見えた。

しかし離婚の振り子は、アンナとカレーニンの間を複雑にゆれ動く。最終的には離婚することはできませんでした。

もちろん当時はロシア正教会の宗教的な理由もあって、現代のように離婚が自由意志の上に成り立っていない制約も存在していました。

かんたんにいうと離婚のハードルが高い。離婚したとしても、再婚は許されず、周りからの目も厳しい。

結果的にはアンナは夫カレーニンを寛大ゆえに受け入れられず、ヴロンスキーとの関係においても、ロマンチシズムの残酷さを読者は目撃します。

恋愛体質だとか合理・非合理を越えたロジックにぐうの音も出ない。同じもどかしさでも、コンスタントの『アドルフ』ともちょっとちがう。

貴族の生き方、結婚と家族のあり方、当時の都市生活、宗教と個人の関係、見栄と愛。このあたりの事情が絡み合い、当時の時代性もあって濃厚な物語に昇華されています。

あとアンナでおもしろかったのは、人物描写が淡白なところ。貴族夫人として教養と美貌を備え、黒髪でグレイの目、豊満な肢体。愛を交わす描写も最低限に抑えられていて、序盤の説明以外は余白を残しています。

悲劇のヒロインとして読者に強烈な印象を残し、それぞれで想像を膨らませている。

一元的な不倫愛とは一線を画しており、だからこそ映画化をすれば原作ファンはいろいろ物申したくなってしまう、そんな作品なのかもしれません。

最新ですと2012年に映画化されていました。観たいのだけど、自分のイメージは心にしまっておこうかしら。

ちなみに小説版は光文社古典新訳文庫ですと、第1巻はKindleのUnlimitedの対象となっているようです。まずはKindleで試しに手に取ってみるのもいいかもしれません。

というわけで以上です!



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