自分をもっと表現し、さらにチャレンジできる場を。|LAC宇城三角 コミュニティマネージャー・ 坂井勇貴さんインタビュー
場所やライフライン、仕事など、あらゆる制約に縛られることなく、好きな場所でやりたいことをしながら暮らす生き方「LivingAnywhere(リビングエニウェア)」。
そんな暮らしをユーザーと共に実践していくコミュニティLivingAnywhere Commonsに、2022年7月、新しい拠点がオープンしました。
それが今回取材をさせていただいたLivingAnywhere Commons宇城三角(以下、LAC宇城三角)。
LAC宇城三角は「サイハテ村」という村全体が拠点となっており、「ルールもない、リーダーもいない、お好きにどうぞ」というコンセプトのもと、それぞれが独自のカルチャーを展開しながら持続可能な村づくりをおこなっています。
今回はそんなLAC宇城三角でコミュニティマネージャー(以下、コミュマネ)をつとめる坂井勇貴さんにお話を伺いました。
今度のLACは“村”が拠点?LAC宇城三角「サイハテ村」とは
ーー坂井さん、LAC宇城三角のオープンおめでとうございます。ここではまずサイハテ村の概要を教えてください。
LAC宇城三角が他の拠点と大きく異なるのは、ここは一つのフィールドが“村”になっているということですね。
サイハテ村は敷地面積が1万坪。周りに隣接するものがなく、一つの独立したスペースのなかにゲストハウス・木工所・染色工房・マッサージサロン・コワーキングスペース・プール・キャンプフィールド・焚き火エリア・ティピ(※1)などがあります。
住民が住んでいるエリアと同じ規模感でコモンズが共存しているため、初めてくる人にとってはちょっと不思議な場所になるかもしれません。
ーー村そのものが拠点というのは、これまでのLACにない場所ですね。このサイハテ村はそもそもどんな経緯でできたのでしょうか?
サイハテ村の開村は、2011年11月11日のことになります。
2011年といえば東日本大震災があった年。そんな年に僕たちは、使われなくなった保養所があったこの場所を買い取り、持続可能なコミュニティ作りを開始しました。
生きるとはなんだろう?資本主義ではない持続可能な社会やコミュニティってなんだろう?
そんな問いから始まったこの村は、開村当時から「ルールもない、リーダーもいない、お好きにどうぞ」というコンセプトのもと動いてきて、これまでにいろいろな取り組みを行いながら開村11年目を迎えました。
ヒッピー、宗教、怪しい?サイハテ村に集まる人とは
ーー「サイハテ村」と検索すると「ヒッピー」などのワードが出てくるので、一体どんな人が集まっているのか気になっていたのですがいかがですか?
サイハテ村と検索するとヒッピーの他に「宗教、怪しい」なんてワードが出てきますからね(笑)。ですが、その検索で出てくるのは、そんなあやしい村だと思ったら、クリエイターやアーティストが暮らす村でした!という内容なのでご安心を(笑)。
僕が思うにこの村は「自分は一体何者で、世界の向かっている先はどこなのか?」という答えのない漠然とした問いを持っている人が多いと思います。
それに対してアクションを起こしている人も多く、アート・自給自足・DAO(ダオ※2)などさまざまなカルチャーに出会うこともできますよ。
ーーなぜそういった問いを持つ人たちがサイハテ村には集まってくるのでしょう?
僕は村に来た人に「なぜここへ来たんですか?」と尋ねることがあります。
すると多くの人は、自分の生き方や人生について悩んだり、今自分が属しているコミュニティや世界に対して疑問を感じているという人が多かった。
そんな人たちが疑問にアクセスするなかで“サイハテ”というワードに出会い、次第に「サイハテに行ってみたら?」という人が現れ出す。そうやって村に興味を持ち、サイハテに来ましたという人がたくさんいたんです。お勧めする人のほとんどが「まだ、行ったコトはないんだけどね。」という点も面白いんですが(笑)。
これまでの社会ってそういう漠然とした問いを持つ人たちが行き着く先が、自己啓発やスピリチュアルしかありませんでした。
だけどこのサイハテ村は「コミュニティ」という場が、そんな問いに答える一つの選択肢となっていて、この11年間の活動を通して「あそこに行けばなにかある」と思われるような共通認識が口コミで広がっているんだと思います。
サイハテ村がLAC宇城三角に加わったワケ
ーーサイハテ村をみていると、まさに一つのコモンズ(共同体)という感じがしますが、今回そんなサイハテ村がLACの拠点になったのはなぜですか?
LACとの出会いは、もう4〜5年前のことになります。
当時LIFULLの社員さんがLACを始めるにあたってサイハテ村を視察にきて、思想も世界観も近いところにあり、場所としてのポテンシャルや両者のカルチャーの親和性も高いことから意気投合したんです。
だからLACが始まった時「ぜひ一緒にやりましょう」という話になったんですが、一つ問題があって…。
ーー問題??
ネット環境です。
当時のサイハテ村はキャリア通信の電波も弱く、僕らはポケットWi-Fiを使って生活をしていました。
少し重たいデータのやりとりは送受信に時間がかかるんですが、ある時データ送信のため表示された時間はなんと「3年半待ち」(笑)。
そんなネット環境の悪さがネックで、当時は拠点になることができませんでした。
その後サイハテ村にも光回線が入り高速なWi-Fi環境が整ったことや、いろいろなタイミングが重なったことで、今回LACに登録する流れとなりました。
ーーそんな経緯があったんですね。確かにいちユーザーとして3年半は問題です…(笑)。
あとは、ネット環境が改善されたことに加え、僕としてはLACに登録することで、サイハテ村にもっとビジネス感覚のある人が来てくれたら嬉しいなという思いもありました。
サイハテ村ってアートや感覚などの右脳派の人が多いので、ロジカルシンキングのできる左脳派の人にきていただけるともっとバランスがよくなると思ったので。
ーーそういった外部の方がくることに対して、村の人の抵抗や不安はないのですか?
ないですね。サイハテ村の住民は「なんか頭のいい人がくるのかな」という感じで警戒心や不安はありません。
もともとここは「この人は何を考えて、どうやって生きてるんだろう…?」みたいな変わった人が常時訪れていた場所だったので、それに比べればよっぽど社会的な常識のある人がくると思っていますよ(笑)。
サイハテ村コミュニティマネージャー坂井勇貴のこれまで
ーー坂井さん自身はこれまでどんな幼少期や学生時代を過ごされ、今のサイハテ村での生活に辿り着いたのでしょう?
僕の両親はヒッピー…なんてことはなく、長野県にある普通の一般家庭で育ちました。
厳しい親父だったんですが、人としてどうか?ということをすごく持っている人で、子供のやりたいことに反対せず、「勉強をするな。子供の仕事はとにかく遊ぶことだ。」と育ててくれたんです。
だから幼少期の僕は、ひたすら遊んで過ごしました。学校の勉強は学校にいる間だけ。それ以外はとにかく遊ぶ。
そんな僕が高校に進んだあと、進路相談で担任に「卒業したら働くのか?」と聞かれました。僕は「僕の仕事は遊ぶコトだ!」と思ったんですが、それは「どうやってお金を稼いでいくのか?」という話でした。
当時はまだインターネットもない時代。新聞やテレビで働く大人を見たとき、僕は自分のいる世界と彼らのいる世界がものすごい遠く感じて、まるっきり違うなと思ったんです。
みんな眉間にシワを寄せ、不平不満を言いながらとにかくつまらなそう。
僕はその時、この人たちだってみんな子供の頃は遊んでいたはずなのに、なぜ大人になると遊ばずつまらなくなってしまうのだろう?と疑問に思ったんです。
これはきっと社会をつくるルールのせいだ。そう思い、僕は法律の専門学校へ進みました。
ーー法律を学んでいかがでしたか?
法律を学んでつまらない社会の輪郭はなんとなくわかったけれど、じゃあ楽しく生きるにはどうしたらいいの?ということはわかりませんでした。
当時の僕はスキルもなければ夢もない。やりたいこともわからなかったので、これから何でお金を稼ぐか困っていました。
そこで僕は「何をするか?」ではなく、「どこで暮らしたいか?」を考えることに。沖縄なら楽しく暮らせると思い、そこでリゾートホテルの仕事をしました。
仕事自体はとても楽しかったけれど、どこか窮屈さも感じる日々のなか、僕は島にあるボロボロの東家に住む、定職につかない髪も髭もボーボーの大人に出会ったんです。
彼は火のついた棒を回しているような人で、遊びながら生きていました。
「これだ」と思い僕は彼にいろいろなことを教えてもらいながら、そのなかでヒッピーのカルチャーなどを学びました。
だから要約すると、僕の人生は、遊んでいただけの少年が法律を学び、沖縄でリゾートホテルに就職してヒッピーになるという人生でした(笑)。
ーーめちゃくちゃ面白いじゃないですか(笑)。そこから村づくりをするまでの間にはなにがあったのでしょう?
そこからは「なんでみんなが自分らしく生きられないのか?」という内的・外的要因に興味を持ち、ヒッピーの世界やエコビレッジ(※3)、仏教などの精神性を学ぶために旅をしました。
旅をするなかで得た素晴らしいヒントやデザインをどう生かしていこう?と考えたとき、僕は村づくりをライフワークにしようと思ったんです。
僕は26歳で家庭を持ったんですが、家族を養い、子供を育て、僕自身も楽しみながら周りの人もたくさん呼べるような村を作ろうと考えました。
ーーそれでサイハテ村を作り始めたのですか?
いいえ、その後は地域おこし協力隊として人口100名ほどの南の島に行きました。
そこでエコビレッジを作ろうと思ったんですが、島の人になかなかうまく説明ができず、僕は開拓をしていても違和感のないよう「農業をやります」と言って島でバナナを育て始めたんです。
ーーバナナ…?
そのバナナが4年後には国内のオーガニックバナナのトップシェアとなり、ドバイに高級品として輸出しないか?という話がくるほど有名になったんです。
でもそんなとき、僕はふと思いました。…あれ?俺バナナの人になってないか?と(笑)。
これはいかん!と思って村づくりに立ち返ったとき、村づくりができる環境に行かなければと思ったんです。
そうして僕は島をでて、開村当時からお付き合いのあったサイハテ村に移り住みました。
この世は2つの世界で出来ている。サイハテ村から新しいコミュニティを考えたい
ーー坂井さんが今回サイハテ村をLACとして登録したなかで、これからやっていきたいことってなんなのでしょうか?
僕はこの世は、2つの全く違う世界でできていると思っています。
それが行動経済学でいう「市場規範」と「社会規範」。
市場規範は損得勘定のある社会です。僕がりんごをあげるから、あなたは魚をちょうだいね、みたいな。
反対に社会規範は損得勘定のないギブだけで成り立つ世界です。道ゆくおばあちゃんの荷物を持ったとき、僕たちは何か見返りを求めたりはしないけれど、それでもただギブするだけで精神的な豊かさを感じることがあるでしょう?
サイハテ村って元々商業を目的としていないので、社会規範の強い人が多いんですよね。
だけど、正直それだけではやっていけない。愛は大事だけど、愛でお腹は膨れない。一方でお金だけ稼いだって幸せにはなれない。
僕自身はこれから先「タダの箱庭プロジェクト(※4)」というものを通し、すべてがタダになってしまった世界を創造してみようと思っています。
だけど、今はまだまだサイハテ村も市場規範を学ぶとき。
今の近代社会のスローガンって「市場規範的なマインドを身につけ、それをうまく使えるようになったうえで、自分の生きていくうえでのエネルギー+αをつくり、誰かにギブできるような余白や余裕を持ちましょう」というものですよね。僕はこれをまだまだサイハテ村でもやっていきたいんです。
そのためにも僕はLACを通じてどんどん左脳派のビジネス感覚のある人に来てほしい。
だけどそれは、サイハテ村に染まってほしいということではありません。ユーザーさんには自分自身を表現したり、もっとチャレンジする場としてここに遊びにきてほしいなと思っています。
ーー坂井さんはサイハテ村の一住民でもあるわけですが、コミュマネとしてみんなに関わる際に意識していることはありますか?
今、コミュニティマネージャーっていろんなタイプがあると思うんです。
そこにいるだけで場が明るくなるようなムードメーカータイプ、場のリーダーシップをとるタイプ、締めるところは締めますよというようなタイプ。
そんななかで僕はサイハテ村を一つのサッカーチームのように見ていて、各プレーヤーがそれぞれの能力を一番発揮できる「環境を作る」ということを大事にしています。
そのうえで「プレーヤー:坂井勇貴」の本領をどうしたらもっと発揮できるか?ということも考え日々動いています。
テーマパークみたいな感じですよね。住民はキャストで、それぞれがいかに楽しく生き、創造しているかが大事だから。
ーー坂井さん、今日は素敵なお話をありがとうございました。最後にこの記事を読んでくれた読者さんへ、坂井さんからメッセージをお願いできますか?
一つは、僕らはいまサイハテ村で最高の遊び場を作っているので、まずは気軽に遊びに来てほしいということですね。
そのうえでサイハテ村はまだまだ発展途上なので、この場所をもっとオープンソース化し、一緒に作り上げていく仲間も募集しています。
「これからのコミュニティ」というキーワードを語るとき、サイハテ村がセットで出てくるような場にしていきたい。
ぜひ僕らの仲間になって、一緒に新しいコミュニティの形を作っていきましょう。
サイハテ村ホームページ
https://saihate.life/
〈取材ライター:蓑口あずさ〉
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