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「お母さんを休みたい」2泊3日のプチ家出で見つけた新しい働き方

場所やライフライン、仕事など、あらゆる制約にしばられることなく、好きな場所でやりたいことをしながら暮らす生き方をともに実践することを目的としたコミュニティ「LivingAnywhere Commons」。

コミュニティメンバーになると、日本各地に設置された拠点の共有者となり、仲間たちと共に、場所に縛られない暮らし方を体験することができます。

「伊豆下田地区の地域課題を解決する」

今回、そんなテーマで企画されたワーケーションに参加しました。

ママでもあるフリーランサーの私が10年ぶりの1人旅。それと同時に、家を2、3日留守にしたらどうなるか、こっそりと実証実験するのが個人としての裏テーマです。

「お母さん」は泊まりがけで出張できない?思い込みを変える旅

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「仕事」でない限り、自由な1人旅は難しいのが一般的な母親ではないでしょうか。「父親の立場で子どもがいるから出張に行けません」そんな話はあまり聞いたことがないように思います。

ここでなんとなく、モワッと感じる不平等感。

現に夫は海外出張や社員旅行へ行くとき、いちいち私に確認をとってスケジュールを組んだりしませんし、それが当たり前でした。

夫は多くの人と交流して新しい経験を経て、どんどんスキルアップしていく。対する私は、常に娘の学校や習い事の予定を気にし、仕事の段取りをして、なんとか毎日をやりくりするだけ。

勉強がしたくても、興味のある勉強会はほとんどが夜に開催されています。「行ってみたいな」そう思いながらも参加できずに、がっかりすることが多くありました。

「私だってやりたいことや学びたいことがたくさんある」

夫にそう伝えたところ「仕事だったらどこに行ってもいいよ」との回答。なので私は、本当に仕事として下田へ出かけることにしました。

乳幼児ならともかく、もう1人でなんでもできる10歳の娘と大の大人です。私が旅に出ても自分たちでなんとかできるでしょう。
もしかしたら、たまには「お母さん」がいない方が、ありがたみがわかってもらえるかもしれない。それぞれ家事を進んでやるようになるかもしれない。

そんな淡い期待を抱きつつ、家事に対する指示書などは用意せず、あえて野放しで旅へと出かけてみました。

「お母さん」という役にしがみついていた私

少しだけ私の話をさせてください。
私には小学生の娘が1人います。だから私は「お母さん」です。それに夫にとっても私は「お母さん」のような存在。
小学生の娘と40過ぎの息子。私が家の中の面倒なことを黙々とこなすのが当たり前、そんな状況でした。

今まで頑張れたのは、これが私の仕事だと思っていたから。
みんなに必要とされていると思っていたから。
だから「お母さん」という役にしがみついていたんだと思います。

主婦として子どもに夢中の10年間

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30代半ばにして訪れた「母になる」という人生の転機。それは私の毎日を色々な意味で変えました。

それまで自分のことだけを考えて生きてきたのに、どこに行くにも、何をするにも、まずは娘のことを基準に物事を考えるようになりました。自由は少なくなりましたが、すごく幸せな時間を過ごしました。

小さな赤ん坊には、母親がいないと生きていけない時期が、短いけれども確かにあります。そのことが、私にとってはありえないくらいの幸せで、満ち足りた感情をもたらしました。

だって人生において何回くらいあるでしょうか。「あなたがいないと生きていけない」そんな、誰かにとっての絶対的な存在でいられることは。

普通そこまで人から必要とされることは、人生でそんなに何回もありません。他にいくらでも替えがきく。そんな仕事ばかりしてきた私は、母親になってからの子どもとの時間に夢中になりました。

仕事そっちのけで、娘がどんぐりを拾いに行きたいと言えば3時間でも5時間でも付き合うし、家中の白い壁に絵を描かれたときも叱るどころか「うちの子天才かも」なんて思った親バカです。

娘を生活の中心にして、自分のやりたいことは後回しの毎日。
それがいつの間にか静かに自分を蝕んでいたことにも気がつかないまま、なんとなく「お母さん」であることに満足して毎日は飛ぶように過ぎていきました。

いまや「お母さん」は邪魔な存在

10代に突入した娘には、反抗期が訪れました。
娘の成長とともに「お母さん」はちょっと邪魔な存在になりました。

大人になる手助けをするのが親の仕事であるにもかかわらず、どこかでまだ手の中にいて欲しい。どんどん成長する娘を見ていると、なんだか1人家の中で取り残されたような気持ちになりました。

私は子どもにしがみついて、自分の存在意義を満足させているんじゃないだろうか。
成長する必要があるのはむしろ自分なんじゃないだろうか。

「私はすっごい、かっこ悪い大人になっている」

そんな風に思いました。

そして訪れた「お母さん」も反抗期

娘の反抗期を機に、優等生的な「お母さん」はもうやめて、自分が選んだ仕事と真剣に向き合おうと考えました。

失敗しながら悩みながら、頑張っているところを1人の人間としてそのまま見せよう。そこから何か感じとってもらえるような大人でいよう。

そんな風に考えて自分のことを頑張り始めました。
急に私だけシフトチェンジしたので家族は大混乱だったと思います。今まで何も言わずに空気を読み、先回りして段取りしていた家事を予告なく一切やめました。

廊下に落ちてる靴下は誰が拾っているのか。
いつの間にか空になっているゴミ箱は誰が片付けているのか。
いつでも帰ってきたらご飯があるのはなぜなのか。
誰かいつか気がついてくれるだろうか。

現実はそう甘くはなく、手が回らない家事は積み重なり、家の中は崩壊寸前になりました。娘の「あれがない、これが見つからない」にはじまり、夫は毎日シワシワのシャツで出社。

そもそも夫はシャツのシワに気がつかないレベルで無頓着な人です。今までアイロンをかけていたことにさえ気が付いていなかったことを知り、私はかなりのショックを受けました。
今まで自分がしていたことは、実は自己満足的な家事だったのかもしれない。そう気付かされました。

モヤモヤした日々に舞い降りたワーケーションの情報

「モヤモヤした毎日を変えるには、不満を言う前に自分をまず変えよう」

そう思ったタイミングで目にしたワーケーションプログラムに、私は思わず飛びつきました。

20代の頃は設計事務所で働き、ワークショップを通じて住民参加型のまちづくり活動をしていた私。デザイン業に転職した後は、地方創生には興味がありつつもなかなか関わる機会がなく、ちょうどいいチャンスだなと思いました。

点のようにばら撒かれた今までの経験を線でつなぐ、そんなきっかけになりそうな予感がしました。選考の面談では「どうしても参加したい」と真剣に志望動機を語り、それが伝わったのかワーケーションへの参加が決まりました。

ワーケーションで出会った人たちから学んだこと

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ワークショップでは、各地から集まった初めて会うメンバーと一緒に課題に向き合います。

その中で「自分は何ができるのか」という自問自答が生まれ、改めて自分のスキルや今までの経歴について考える機会になりました。

日々の積み重ねが瞬発力となり、また色々なメンバーとの化学変化で想像もしないような結果を生み出せる面白さ。自分に欠けているスキルを補いあえる仲間がいることで、仕事や発想の可能性が広がることは、共同作業の大きな魅力です。

日常では出会うことができないような人たちとの交流を通して、たくさんの発見がありました。

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また、ワークショップ後の交流会やレジデンスにみんなで集まって、お酒片手にリラックスしながら仕事や人生について語り合えたことも印象深い時間でした。

オンラインで使える便利なツールで合理的に業務をこなすことは、もはや当たり前になりつつあるワークスタイルです。

でも、たまにはある意味泥臭い人の付き合いや、心のふれあいの中で生まれる化学変化も仕事のエッセンスとして必要じゃないかなと感じました。

人となりを知った上で一緒に働く仲間がいたとしたら、フリーランスはこれ以上無い働き方のような気がします。

ワーケーションを通して見つめ直した自分

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短い時間ではありましたが日常と違う環境に身を置くことで、「お母さん」ではなく、個人としての自分に戻れた感じがします。

下田で滞在中、薄情なようで申し訳ないけれど家のことを思い出す余裕はありませんでした。これはきっと、思い切って働く場所を変えた効果だと思います。

ワーケーションを通して、普段は意識していない時間の「質」や「使い方」に気づくことができました。

自分で入っていたのか、押し込められていたのかよくわからない「お母さん」という箱

良かれと思って1人でやっていた家事は、実は家族のためにも、自分のためにもなっていなかったことに気がつきました。
一方で、不満に思っていたワンオペ家事や「お母さん」という役割に安心感をもらっていた事実にも気づきました。

家事をするのは「お母さん」だけの仕事ではない。
「お母さん」だって思い切り仕事をしていい。

当たり前とされている価値観に疑問を持とう。

これが、2泊3日のプチ家出と家庭での実証実験で得た答えです。

今回のワーケーションで、優等生ではない「お母さん」が誕生してしまいました。

とりあえず次のワーケーションに参加するまでに、家事分担についての問題解決を進めようと思います。まずは家族会議からかな。

<ライター・あいす まみ>


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