トランス女性の当事者が身近にいる方へ、ひとりの当事者からのメッセージ

本日2024年7月10日、司法によって狂った裁定が下されてしまった。

一部の当事者やアライ、政治活動家はこのことを祭りかのように喜んでいるが、これから始まるのは間違いなく分断の始まりである。

さて、そのような時代に、あなたの身近にいて、その人の尊厳や安全を守りたいという当事者がいる方は、どうすれば良いのだろうか。

当事者として、私からのメッセージを少しだけでも目を向けてくださるとありがたい。

女性の尊厳を顧みない、トランス女性や、その支援者とやらに、本当に当事者を守れるのだろうか。

まず、私の懸念点はここだ。
私は女性だと、生物学的な女性の尊厳や安全を顧みず、そこを侵害してくる「女性」という存在は、間違いなく増えてくるであろう、更にはそのことすら差別として、口を塞がれてしまう時代になる。
となった時に、それをシノギかの如く扱う弁護士などは、儲け話として喜ぶであろうが、それによって間違いなく起きるのは、「女性」の定義の暴走による分断である。

そうなってしまった以上、身近に当事者がいる方にとって、地獄となることは間違いない。

トランス女性とは、女性というものを消費して、女性の定義を捻じ曲げて、女性に恐怖と性加害を与える存在であると、そう定義されるようになるだろう。
それを活動家や弁護士は差別であると、飯のタネにするだけで、一切当事者に寄り添って、当事者やその側にいる人を守ることはないだろう。
所詮、トランス当事者など、彼らにとっては道具でしかないのだろうから。

私はそんな人たちが、当事者を守るということを宣うことを、心の中で侮蔑している。

性自認が女性であるというならば、女性の尊厳や恐怖を理解して、寄り添えるのが当然ではないだろうか。

性自認、私は本音としては、そんなものが性別として定義されることなど、オカルトやかつて地動説を嗤った宗教家たちのように、全く筋違いであると考える。

そもそも、女性の安全を侵害したり、女性へ恐怖心を与える男性とやらが、女性であるなど言語道断であるべきだからだ。

だからこそ、身近に当事者がいる人へ、もし聞けるのであれば、質問して欲しい。
あなた自身が、女性にとって恐怖を与える存在となり得ることが、理解できるかと。

私ははっきりと言いたいこととして、このことを理解できない、更にはそんなの差別であると曰う人が本当に女性と共生できるのだろうか。
女性という勲章と、極論を言えば性加害できる免罪符が欲しいだけではないのだろうか。

そんな存在が、女性であるというならば、私自身が現在女性として法的に認められていることも、ただのお笑いとなるだろう。

司法も社会活動家も、絶対に当事者を守ってくれないだろう。守れるのはきっとそばにいる人だけ。

さて、はっきり言うが、もう分断と迫害は始まってしまった。弁護士も活動家も裁判官も、自分の社会的な地位や自己実現を叶えて、正義感とやらに恍惚するだけで、どれだけ当事者がこの狂った裁定によって命を断とうとも、それを自分の飯のタネとして、果ては尊厳を破壊するだけだからである。

となると、誰が当事者を守れるのだろうか。

きっと側にいる人たちだけである。

だからこそ、しっかりと、前述したような気持ちに寄り添える人間であるかを見極めて、そうでなければ極力自らの身を守ることに尽力して、寄り添える人には、様々な困難を乗り換えられるように、その人へ寄り添いつつ、あくまで身体的には違う存在であることは、毅然として接して欲しい。

この狂った世間を、トランス女性だけでなくトランス男性すらも守れるのは、毅然と身体差による違いを示せて、その上で、当事者の存在に理解を示せる人たちだけであろうから。

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