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鹿児島にいながら、東京の制作会社で働く。転職を重ね、フリーランスになったヨガインストラクターが駆け込んだのは「コミュニティ」だった

「開業届は、ノリと勢いで出しました」

さまざまな職種を経験したのち、ヨガインストラクターとして独立。現在は、ラブソルの業務委託メンバー「アライアンスメンバー」として、ライティングやプランニングを担当している上村ゆい。

もともとの行動力と決断力に加え、会社員、フリーランス、業務委託と、いろんなかたちで働く中、さまざまな力を身に着けてこられたゆいさん。これまでのこと、ラブソルとの関わりで発見したことなど、たくさんお話ししてもらいました!

プロフィール
上村  ゆい(かみむら・ゆい)
1984年鹿児島生まれ。株式会社LA BOUSSOLEの業務委託メンバーとしてライティングやSNS運用、プランニングなどを担当。
精神科のソーシャルワーカー、飲食店ホールスタッフ、美容部員、農業と、幅広い職種を経験後、フリーのヨガインストラクターとして2017年に独立。2022年、ヨガインストラクター×ライターの「複業」スタイルへ転換。大学生時代にボランティアサークルに入り、在学中、週の半分はボランティアに身を捧げる。「やる」と決めたことは、途中で投げ出さずに最後までやり遂げる性格。

初めてしっくりきた働き方、「フリーランス」へ

ーー社会人として働き始めたころ、一番苦労したことは何ですか?

最初に勤めたのは、精神科の福祉職でした。100⼈ぐらいの利用者の方のお名前を覚えるのも苦労しましたし、デイケアの送迎で「ハイエース(ワゴン)を運転しろ」と言われ、免許取り立ての状態から数か月特訓させられたのも大変でした(笑)。

ーー利用者の方々と接する中で、大変だったことや気を付けていたことはありますか?

特に気を遣っていたのは、言葉選びや行動です。例えば、すごくメンタルが落ちてしまっている方は、ちょっとした言葉…、普段何気なく使う言葉でも、マイナスに捉えて死を選んでしまうことすらあるんです。行動も同じで、忙しくて少し対応がそっけなくなってしまっただけでも、相手にとっては大ごとになってしまうこともあります。私たちの行動ひとつ、言葉ひとつが生死に関わりかねないので、そこは慎重になっていました。

ーーその後、さまざまな職業を経験されていますね。

ひとつの職業を極める⽣き⽅にも憧れるんですが、私は飽きっぽくて。一貫した基準はなくて、そのとき食指が動いたものを本能的に選んでいました。いろんな職種を⾒たことで、どの仕事も⼤変なんだなと実感を持って知れたことはよかったです。

さまざまな仕事に挑戦してきたのは、ずっと続けたいと思えるものがなかなか見つからなかったのもあります。独立してフリーランスになって、初めてしっくりきました。会社組織でももちろん考えなきゃいけないし、⾔われた通りやればいいというわけではないですけど、最悪、クビにならなければ毎月お給料は入ってきますよね。フリーランスの、仕事が入らなかったら生きていけない「生きるか死ぬか」というサバイバル感が自分に合っていて、生きているな、という感じがします。

農家とお寺を味方につけるのが成功の秘訣!? ヨガインストラクターとしての戦略

ーー独立すると決めたとき、参考にした人はいましたか? 情報収集などはされましたか?

情報収集は全くせず、ノリと勢いで開業届を出しました。

ーーなんと。

「ヨガのインストラクターをするぞ!」と決めてネットで調べたら「個人でやるには開業届が必要」と出てきて、「よし、開業届を出そう」とすぐに出しに行きました。月に2回しかレッスンの予定がなく、お金を稼げる見込みはなかったのに…。出してから少しあせりました(笑)。

ーー何ともバイタリティーにあふれていますが、開業後、移住も経験されたとか。

はい。もともと住んでいた鹿児島市から「古民家でヨガをやりたい」と思い、南九州市というお茶が有名な土地へ。コミュニティの力が強いところで、知り合いはゼロ。無謀な挑戦でしたが、そこで一年間やっていけたから、後に起こったコロナ禍でも、つてを頼って生きていけるでしょうという自信がつきました。

ーー地元コミュニティの強い土地で、成功したのはすごいですね。

多分、いきなり「ヨガ」を売りにしなかったのがよかったんだと思います。よそから来た奴が、ヨガインストラクターを自称して近づいてきたら敬遠されるかなと。だから、まず「私、農業の手伝いできます!」と言って回りました。そうこうするうちに「あの人、ヨガのインストラクターらしいよ」「農家の手伝いもできるってよ」と、農家さんたちの間で広めてくれるようになりました。農家のお母さんたちの口コミ力は、すごかったです。

あとお寺とのご縁がつながったことも大きかったです。地方は、お寺が強いんですよ。

ーーへえ~!! その発想がすごいです。

実は、引っ越した数⽇後、「あなた、ヨガのインストラクターなんでしょ。お寺にご挨拶に⾏きなさいよ」と言ってくださる地元の方がいて。「何でお寺なんだろう?」と思いつつも挨拶しに行ったら「ヨガの先⽣が来るんだったら、お寺でヨガしたいと思ってたんです」と言われて、古民家だけではなく、お寺でもヨガを教えることになりました。

ーー神のお告げだったのでは…。アドバイスを聞いてすぐに行動したことで、チャンスをつかんだんですね。お話を伺っていると、決断力と行動力がとにかくすごいです。「なかなか決められない、⾏動に移せない」という⼈に、実際にいろいろやってみた上村さんだからこそ言えることはありますか。

「失敗するんじゃないか」「失敗したくない」と考えてしまうと動けなくなるけれど、「失敗したときに考えればいいかな」「やらなくて後悔するよりやって後悔した⽅がマシ」と思っています。何かやりたいことがあるけれど、いろんな理由をつけて結局やらずに⼈⽣後悔するのは嫌です。自分のこれまでを振り返ると、⽳があったら⼊りたい失敗はたくさんありますが、どれひとつとっても無駄だったことはないし、後悔はないです。

一言お伝えするとすれば、「やって駄⽬だったら戻ればいい、とりあえずやっちゃいなよ」でしょうか。

仕事をひとつに絞らなかったことで乗り越えたコロナ禍

ーーコロナ禍で大変だったことはありますか?

本当に大変でした! フリーランスになって7年目ですが、ヨガと並行して飲⾷店のアルバイトや農家の⼿伝いなどもして、⽣計を⽴ててきました。でもコロナ禍になったときは、知らない土地に移住して、一年かけてやっと古民家ヨガのお客さんが徐々に固定してきたタイミング。ヨガの比重がかなり多くなっていたところに、全国的に「対面レッスンはやめてください」となっていって、ほぼ収入ゼロに。家賃もあるし、生活費は自分で稼がねばならないのに、どうやって⽣活していくんだろうって思って、さすがに泣きたくなりました。

ーーせっかく築き上げたものを止められてしまうのは苦しいですね…。どう切り抜けたのでしょう?

当時、お手伝いに行っていたいちご農家さんに「しばらくヨガができないんですよ」と話したら「毎⽇来たらいいよ」と言ってくれて、そのおかげで⽣き延びられました。一時は本当に死ぬかと思いましたが、なんとか⽀払いを滞らせることなく全部維持できました。

ーーいろいろやられていたことが、そこで役立ったんですね。

そうなんです。仕事をひとつに絞らず色々して、農家の⼿伝いでも「こいつはまあまあ使えるかもしれない」と感じてもらえていたからこそ、助けてもらえたと思うので、いろいろやったことは無駄じゃなかったんだなと実感しました。

今の自分を創れたきっかけは、「オンラインコミュニティ」

ーーオンラインコミュニティ「喫茶ラブソル」を知ったきっかけや、なぜ入ってみようと思ったか教えてください。

コロナ禍で悩んだとき、発信⼒を⾝につけたいと思って、作家さんが発信の仕⽅を教えてくれるというコミュニティに入ったんです。そちらのコミュニティを運営していたのが、ラブソルでした。

全国各地にメンバーがいて、エリアごとにリーダーとサブリーダーを募っていて、参加者自身がイベントを企画したり運営するチャンスがあるところでした。「やれることは何でもやっちゃおう」と、九州のエリアリーダーに⽴候補しました。リーダーになったことで、コミュニティの運営者だったラブソルメンバーとコミュニケーションを取るようになり、メンバーの発信を見て「喫茶ラブソル」というコミュニティがあることを知りました。そこでは、写真の撮り⽅とか、動画の編集の仕⽅とか、デザインなどを学べると聞いて「私が学びたかったことだ! これしかない!」と思って⼊りました。
それが二年前、2021年の2月頃です。

ーー実際に「喫茶ラブソル」に入ってみて、どうでしたか?

欲しかった知識をたくさん得られました! 私はヨガのYouTubeチャンネルをやっているんですけど、その動画の編集は「喫茶ラブソル」で教えてもらったから自分でやれています。Instagramのリール動画も学んだことを⽣かしていますし、SNSにおけるビジュアルの大切さも学び、実践することで発信力も身につきました。「喫茶ラブソル」がなかったら、今の私はないと思います。

ーーラブソルで働かれるようになったきっかけは?

コロナ禍がなかなか収束せず、感染者数が増えて教室ができなくなる…という状況が繰り返し起こり、「しんどいな、先が見えないな」と思っていたとき、「喫茶ラブソル」で、それぞれの働き方を考えて、相談できるイベントが開催されました。そこで、「世の中にはライターという⽂章を書く仕事がある」と知って、やってみようと思いました。それが、2021年10月くらいのことです。

文章力はないけれど、ヨガの集客のために三年くらい毎日ブログを書いていたので、やれるんじゃないかなと思って。⾃分が書けるジャンルは何かと考えたとき、ヨガしかないと思って「ヨガ ライター」で検索したら、ヨガ雑誌のWeb版のライター募集を見つけました。即応募したけれど、1か月返信がなくて。「そうだよね、⽂章書いたことない⼈にそんなすぐ仕事がもらえるわけないよね」と思っていたら、しばらく経ってから「お願いします」と連絡がきたんです。

本格的にライターをやっていこうとなったタイミングで、ラブソルからも「ノベルティカフェという媒体で記事を書いてみませんか」とお声がけいただき、「ノベルティとかオリジナルグッズに詳しくはないけど、書いてみたい。学びます」と即答して。そこからですね。

チームで働いて身についたのは、「継続力」と「忍耐力」

ーー入社当時と現在を比較して、自身の「強みと弱み」に何か変化はありましたか?

あります! 私は何にでも挑戦する一方で、実は「これは苦手、私には無理」と決めつけて、諦めてしまうことも多かったんです。この一年で、そこを踏ん張れるようになった気がします。ラブソルのメンバーたちを⾒ていると、みんないろんなことを満遍なくやっていて、「苦⼿なんて⾔ってる場合じゃない、苦⼿なことでも、もうちょっと踏ん張ってやってみよう」と思えるようになりました。

あと、物事を深く考えるようになりました。これまでは「これをやってください」と⾔われたら「はいわかりました、やります」と、何も考えずにパッとやる、みたいなところがありました。それが、ラブソルのお仕事に携わったのがきっかけで「これは何のためにやるんだろう」「どうしたらお客様が喜ぶんだろうか」と深掘りできるようになりました。

ーーラブソルで働くのは無理かもしれない、と思った瞬間はありましたか?

実は、「辞めます」と⾔ったことが一度だけあるんです。ラブソルやお仕事内容の問題ではなく、プライベートでいろいろあって「これ以上、何も引き受けられない」「もう⽣きる意味もない」と、どん底に落ちていた時期でした。それでも2~3か月は何とか頑張っていたんですが、「もう無理だ」と思う瞬間があって。「この精神状況では、お仕事を全うすることができなくてご迷惑かけるので、辞めさせてください」と伝えました。

ーーそんなことが…! そこからどう乗り越えたのでしょうか?

代表のお二⼈に話をしたときに、「今までやってきた業務の中で、その状態でもできそうことはないの?」と聞かれたんです。私は、ラブソルが運営するTwitterやInstagramの中の⼈も担当していたんですけど、それは続けられるかもしれない。記事の執筆も、毎週は難しいかもしれないけど、⽉に2回だったらちゃんと納品できるかなと思って、お伝えしました。そうしたら、「じゃあ、それをやればいい」と言ってもらえて。

代わりなんかたくさんいるし、辞めると伝えたら辞める以外の選択肢はないと思っていたから、そんなことを言ってもらえる会社があるのか、と驚きました。うれしかったですし、今思うと、役割を与えてもらったおかげで早めに復活できたのかもしれません。あのときのご恩は、⼀⽣忘れません。

「未経験×リモートワーク」自分なりに決めているマイルール

ーー九州にお住まいで、完全リモートワークでお仕事されていますが、苦労したことは、どんなことですか。自分なりの工夫や、気をつけていることなどあれば。

もともとやったことのない業務を、リアルで出勤されている方が多い中で行うので、大変なことだらけでした。意図を汲み取れているのか、「これをやってほしい」と言われて間違った解釈をしていないだろうかと、常に不安でした。

ーー実際に齟齬が出てしまうこともありましたか?

私の理解力の問題で、意図していることとの違いが生じることは多々あるので、その度に聞くようにしています。ちゃんとわかっていなくて質問できなかったときは教えてももらえますが、なるべく自分から聞いていこうと意識しています。

あと、納期だけは絶対に死守してきました。フリーランスのヨガインストラクターをしていた人間が、東京の制作会社でリモートで働かせてもらえるってすごいことだなと思っていて。⽂章が上⼿いわけでもないし、私だからできることはほぼない中、せめて納期だけは守ろうと。

ーー他のお仕事と並行している中で、スケジューリングはどう工夫しましたか?

ヨガの予定はある程度事前にわかるわけだから、どこの時間をどう使ったら納期がきちんと守れるのかというのは、すごく考えました。⼤まかに、「この⽇までに仕上げないと提出できないから、この日までに内容案を提出しないと多分、⾃分の⾸を絞めることになるな」とか。

ーー地元でのお仕事とラブソル、両方で働いて得られたことは?

⿅児島は⼟地柄なのか、”つて”が強いところがあるんです。もちろんすべてではないですが、会社にしても農家さんにしても知り合いだから頼む、受けるということが多くて。

ラブソルで働いたことで、「実力やクオリティが評価される世界」をちゃんと知れてよかったなって思います。答えになっているかわからないですけど、全然違うんですよ。

ーーコミュニティメンバーとして外から見ていた時に抱いていたイメージと、実際お仕事してみてのギャップはありましたか?

ギャップはあんまり感じませんでしたね。外から⾒ていても、⽣半可なことでできるわけじゃなさそうだなというのは、肌で感じていました。
中に⼊ってみて、みんなの業務量は半端ないし、マルチだなということをあらためて実感しました。

「会社と一緒に成長していきたい」人生で初めて持てたチームの一員としての目標

ーープランナー、ライター、ヨガインストラクターなど幅広く活躍されていますが、今後、さらに挑戦してみたい分野がもしあれば教えてください。ラブソルでも外部でも。

もう少しライティング⼒を上げたいです。去年の12⽉に、ラブソルから分社してできたオリジナルグッズを制作する「Le Plan(ルプラン)」という会社に携わっていて、会社と一緒に成長していきたい思いが強いですね。今までのように、新たなことをホイホイやるのではなくて、今いる環境のもとで自分を鍛錬したい。こんな気持ちにさせてくれたのは、ラブソルが初めてです。

ビジネスパーソンとしての今の自分は、ひよこが卵からやっと⽚⾜だけ出せて、まだ完全に外には出られていない状態だと思っています。まずきちんと殻を割って、⾃分の⾜で⽴てるようになりたいですね。

ーー鹿児島で将来取り組みたいこと、夢などはありますか? もしくは、将来的にはどこに住みたい、どんな働き方がしたい、などあれば聞かせてください。

今まで出会った農家さんたちの紹介をしていきたいです。⿅児島には素晴らしい農作物や畜産物が本当にたくさんあるのに、あまり知られていない。「こんなにいいものを作ってるのに、どうして⽇の⽬を⾒ないんだろう」と、もどかしく思っています。例えば、お茶どころとして全国的に知られているのは静岡ですけど、⿅児島も、静岡を超える年もあるぐらいなのに。知ってもらえないのは悲しいです。いつか、どういった形でもいいから鹿児島の作物を伝えるお⼿伝いをしたいという想いはあります。

ただ、正直そういう想いはありつつも、⿅児島にこだわってはいないんです。場所にこだわって可能性をつぶしてしまうのは嫌で、場所を選ばない働き⽅をしたいです。これからも流れに⾝を任せて、そのときの⾃分がたどり着いた場所でできること、心が動いたことをやっていきたいです。

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取材・執筆:ぐみ
編集:柴山 由香
撮影:黒須 亮平
バナーデザイン:小野寺 美穂


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