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クミアイ VS リベラル

 先日引退した菅直人はご存じの通り総理大臣の地位にいました。現在の岸田文雄が「新しい資本主義」という言葉を使ったように菅は「第三の道」を政権時に使用しました。高度経済成長期の公共事業を中心とした政官業癒着モデルや小泉純一郎の構造改革論は行き詰っており、これからはそれらによらない「第三の道」を目指すというスローガンが提唱されました。菅はイギリス労働党の指導者ブレアの信奉者であり、首相に在任中引退したブレアと会談しています。ただこの新しい左派の路線「第三の道」というものは労働組合と社会主義政党この時代にはリベラル政党と呼ばれるようになりましたが、その結束が薄まり実際リベラル政党以外に票が流れる現象が西欧を中心に起きています。

労働者権威主義

 元々労働団体は「熟練工」の権利運動体であり、非熟練工の組織化は後進です。アメリカの労働組合運動の創始者サミュエル・ゴンパースなどは決してアメリカ労働総同盟(ナショナルセンター)に非熟練工は入れませんでした。職人気質が大きかった時代の労働組合黎明期は「組合の活動に参加すると女房が嫌な顔をする」と言われたものです。組合で集まりその後は博打に、酒にと夜遅く帰る労働者。いつまでも待たねばならない妻。いい顔はしないでしょうね。
 1950年代反ソの社会主義政権が西欧に次々と誕生したのは労働組合が政党を支え、政党は政策を持って労働運動の成果を法案にし一種の権力を得ることになります。この当時は社会リベラル的な政策が社会権擁護とセットになり労働組合の強化になったので社会主義者と労働組合の同盟は強固でした。ただこの社会主義経済というよりケインズ型経済の難しさはインフレや財政赤字を産みやすい体制であることは否定できず、1980年代から新自由主義ブームが到来します。左派政治家としては「ポスト社会主義」にむけて新しい革新像を生み出さねばなりませんでした。半面労働組合はぜい弱なその組織から保護を求めて権威主義と化し、リベラル政策はそもそも本命ではないという考えであり、そのお互いのズレが大きくなったのは1990年代になってからでした。

労組依存からの脱却は左派衰退の軌跡なのか?

 世界の社会主義政党でも一番政権担当能力があるイギリス労働党はかつて労組ブロック票を採用していました。これは例えば労働組合のある産別トップが支持する候補に組合員=党員の票が全てその候補のものとなるという民主主義の原則から外れてはいないか?という組織票や派閥が有利な選挙制度でした。全てがそうだと言いませんが、西欧の社会主義政党の大半が労組から党員を供給しており保守政党などを含めて有権者の15%がなんらかの党員だったわけです。自治労、全逓、全電通、国労、日教組の党員で50%を超える日本社会党、労組を中心に入党運動をした結果党員の90%が同盟系組合員になった民社党もその例に漏れません。
 1990年代社会主義政党が次々と「リベラル」政党化し、労働組合の影響力を弱める組織構造に転換します。労組に縛られ産別の圧力団体と化した政党は中間層は見向きもしませんでしたが、新しい政権構想像「リベラル」はかねがね好意的に見られました。その中で90年代リベラル政党は労働行政の改革を行います。フランスではフランステレコム(日本で言えば電電公社)の民営化に踏み切ったのは社会党政権でした。ドイツ社民党は労働組合の反対を押し切り、いわゆるハルツ改革に邁進しました。フランス社会党やドイツ社民党、そしてアメリカクリントン民主党政権はこうした労政改革を起こし労働組合の影響力を排除しながら、社会政策では当時としては画期的だった同性愛者の社会的包摂などの性的マイノリティの権利擁護にも熱心でした。こうしたリベラルのイメージは清新的で爽やかな新しい風を政治に吹き込んだのは事実でしたが、労働組合の政治影響力はこの時代から一気に低下しました。そしてこの「リベラル」化は保守主義、新自由主義との違いが一気に分かりずらいものとなりました。「強い経済、強い財政、強い社会保障」というスローガンを唱えた日本の内閣がありました。これは安倍晋三の言葉ではなく菅直人政権時に訴えた「第三の道」でした。菅直人と安倍晋三の経済政策のイデオロギーは、すでに大差なくなっていたのです。

連合と民主党そして立憲民主党

 2017年代民主党内政局は党の滅亡まで事態は進みましたが、勝利したのはリベラル派でした。有権者も労働組合も中間層もそして富裕層も「民主党の更なる保守化」は望まず、希望の党はリベラル系の立憲民主党より劣る議席数しか獲得できず、国会の政局で主導権を取り返そうとしましたが最後は無残なものとなりました。希望の党自体は連合の関与も大いにあったと報道されていますが、小池百合子は担ぐとしては土壇場であまりに勝負弱かったのでしょうね。実際排除したかったからしょうがないですが、排除される方に逆転されるほど小池の選挙対策は自分のイメージ戦略だけでした。実際私はあの選挙当時立憲民主党にも希望の党の愛知県支部(仮)に行きました。立憲は前職秘書一人が回しており、とてもこっちの要求を伝えにいくのですら酷なぐらいの忙しさでした。つづいて希望の党にも様々な書類などを届けようとしたとき、誰もいませんでした。最初から時限政党のつもりで「政策はとりあえず政権についたら官僚に任せればいい」という旧新生党のような考えだったのかもしれません。小池人気にすがった民主党内自称保守派。彼らは負けるべくして負けた。立憲は勝ってはいないが、その負け幅を小さくしようと努力していた。小池しか選挙戦略がない希望の党と仮にも90年代に席巻したリベラル派の粘り強さの違いが浮き彫りになりました。
 現在もポピュリズムの波が日本に押し寄せています。既存政党にもそして労働組合にもその兆しはあります。元々労働組合はリベラルじゃない。こうした考えを理解すれば、リベラル政党と労働組合は再び同盟者になれるとは思います。政党なき政治運動いわゆる市民特化型の社会政治運動はむしろかつてに比べて急増しており、労組側としてもその風潮は無視できません。タカ派の労組ゼンセン同盟ですら「LGBTの理解促進を求める」という記事やパンフを作って多くの組合員に広報しています。そうした組合の事情とリベラル派の戦略がうまく合致した時が再度政権交代は可能です。ただ現在の状況では連合はおろか立憲民主党も党内改革をしなければ、政権どころか再び消滅の危機です。

 


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