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栄えある日本の社会主義運動

 日本はよく世界で成功した社会主義国であると言われます。社会主義を辞書で引けば「生産物・富を民主的に分配するため、生産手段を社会の共有とする制度、およびそういう制度の実現を目的とする社会思想・社会運動。」と言われるように平等にする手段として共有、共助の体制が整えられることなので単純に平等=社会主義ではないのですが、1973年が福祉元年と言われるように急速に社会保障制度が整えられた日本において、概ねそういった体制は維持されています。その福祉元年の後である「田園都市構想」は一気に共助の体制が後退し、できれば国家の役割は小さくしたい側の意見が目立ってきたように思えますが。生産手段を共有するという手段をいう人は下手をすれば日本共産党すらあまり言わないです。日本社会党、民社党が綺麗さっぱり無くなり革新が改革に置き換えられ、社会主義理論も「リベラル」に変換された現在そんな事を主張するのはゼロに近いし、また日本の世相において微妙に受け入れないでしょう。ホームレスが生活保護を受けない理由は、国に迷惑をかけたくないという何ともある意味自分勝手な思い込みだからです。迷惑になりたくないなら、初めから誰かに相談しておくべきだし、友人よりも行政に助けてもらった方がいいはずです。行政もそれが仕事ですから。水際対策をするような行政を叩き直すために、市長選挙や市議会選挙があり、県知事選挙や県議選があるのです。彼らにその責任の所在を明らかにするために投票に行く事も十分価値ある行動ですよ。日本の地方選は党派色が薄いため、オール与党になりがちです。そうした体制を打ち破るために、市議会、県議会選挙で意思を示すのも重要です。

日本のバーニー・サンダース?

 宇都宮健児がいつのまにか日本のバーニー・サンダースと言われていました。政治のプロがあくまでも社会主義にこだわり、当選し続け色々な経験を経てもブレないという筋書きがバーニーの真骨頂ですが、宇都宮はそもそも政治経験はほとんどなし、ブレない事はある意味優秀ですが政党に反逆し続ける老左翼というストーリー性も薄いです。ジェレミー・コービンにもなれないです。宇都宮の欠点はいざそういう世界に入った時、果たしてバーニーやコービンのように造反しまくってもちゃんと当選し続けるほど地元選挙区と有権者の絆は深いぐらいの関係を組まないとかなり厳しいです。照屋寛徳が健在でまだ衆院議員に当選し続ければ彼が1番近かったように感じますが、時に神は、運命は意地が悪いです。今となっては、誰が日本のバーニー・サンダースなんでしょうね。日本ではバーニーのイデオロギーすら受け入れられないでしょうか?受け入れられないでしょうね。そういう主張をしても、熱狂的に他人から支持されるような説得力がある人もいません。日本の政界は複雑すぎます。何か主張しても選挙で落選すればただの人以下になってしまうのですから。
 日本の社会主義運動=大正デモクラシー=日本共産党ぐらい雑な歴史の授業を受けてきた人も多いと思いますが、日本の社会主義運動の始まりは米騒動のような地べたを這いずり回る運動からだったと思います。メシを食べるという行為は革命の始まりで、米騒動はそもそも外国に米を出して日本で食べる米を高価にするなという運動でした。ロシア革命の「パンを寄越せ」に近い運動でした。いずれ米騒動についても何か一本noteに触れてみたいです。

若いなら苦労をしろ?

 私の若い自分は本当に生活的にはギリギリだったのですよ。当時は一応仕事が軌道に乗っただけで、なんら贅沢どころか毎日着る服だって誰かの貰い物だったのですよ。とは言え貧乏でも楽しいと言えば楽しかったです。私にも家族がいたからだと思います。だから少しアドバイスができるのなら、一生独身で最後は1人で死んでいくというそういった考え方は持たない事です。どういう形であれ、家族は作っておきましょう。これは自分でやるしかないです。1人の老後を楽しめるのもまた自由ですが、1人でいるほど人間は強くないと思います。強いメンタルを持つならそれでも充分人生楽しめますが、1人の貧乏より家族みんなで味わう貧乏もまた乙なものです。もちろん家族の形も色々あり、一人暮らしもまた様々な友人を得て様々な経験を経て面白くするのも人生ですが。これは何度も言及していますが、私は玉置浩二の「メロディー」が1番好きな歌なんですよ。あの頃は何もなくて、それだって楽しくやったよ。という事も今や甘えたものなんでしょうね。是非人間として生まれてきたなら世の中に絶望するのではなく、何かとても楽しいものを見つけてほしいです。これは私の労働運動の根幹の一つです。十分言われている言葉ですが人生は楽しくなくては、苦しい思い出も楽しく語れる人生でなければ本当に恨みつらみしか無い人生ですよ。そういう人を少しでも減らす。私の運動の原点です。
 今も楽しくやっていますよ。夜勤明けに組合の行事があっても、ムカつく事もありますが楽しくやっています。楽しくやるためにはちゃんと言うべき事は言う事です。その言うべき事のポジショニングは難しいですが是非覚えましょう!

日本の社会主義とは?

 私は社会民主党の2020年大分裂の時、福島瑞穂の思い上がりがついにここまで来てしまったと思いました。それを批判した人間はミソジニーと言われたものです。社会主義運動家にとって男女問わず批判があるもので、福島瑞穂が女性の代表と言えば腹が立つし社会主義運動の原点回帰だと言われると照屋寛徳もそれはローカルであっても、それなりに説得力ある内容でした。照屋は新垣邦男に同情すべきではなかったですね。市民レベルではなく国家レベルでしか語れない新垣のイデオロギーは結局日本市民も貧困に喘ぐ他国の子供たちも救えないからです。もしこれが新垣の切り取りでも、嘘でも無いなら「ロシアが侵攻するのはもちろん悪いですが、しかしウクライナも争っているわけだから、国会が当事者の一方だけを呼ぶというのはいかがなものかと思います。」という発言は、たとえどういう場であっても撤回してほしいです。田中角栄を引用していましたが田中ですら、実際の戦闘経験は乏しい戦争経験でそれを知って地べたの戦争経験を語るのは、結局色々と失敗すると思います。随分と革新系でも、右に右によったと思いますよ。戦争経験がない私達の世代ほど、もっとコアな戦争経験を聞いてその恐ろしさを伝えるべきと思いますが、実際革新派ですら保守派に寄ってないといけないぐらい厳しいのですね。随分な時代です。
 日本に正統派であり、本格派の社会主義運動が現在国政に進出するのはゼロに近いです。左派と言われる人ですら、アナーキーな主張を拒絶します。それはそれでもいいのですが、それが主流とは思わないでほしいです。貴方の主流は結局誰かの反主流ですから。私も誰かの反主流でしょうね。一生反主流派をやっていきたいですね。それでないと誰も自分が正しいと思い込んでしまうのでしょう。じゃあせめて、今も反主流でありながらこういう楽しかったと思える日々を大切にしたいですね。私には何もない。ただ共有財産ほど、人のエゴが出ないものはないのですよ。その共有財産も人件費はかかるものですが、それが無駄と思うか大切にすべきものだと思うかは人それぞれでしょうね。ただ共助は大切にしていきたいです。誰かが弱っている時、その人を助けるのは共助です。私は声を大にして言います。

 


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