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日雇全協血涙史

 名古屋市笹島は東海地区で日雇労働者のメッカの一つでした。バブル最盛期には200社近い日雇求人があり、労働者の数も1000人ほどいましたが東京山谷や大阪西成のあいりん地区に比べるとドヤ街というものはほぼゼロで日雇労働者は名古屋駅近くの割高な宿に泊まるしか有りませんでした。だから必然的に野宿が多かったのです。私が愛知にやってきた20数年前はホームレスの数が今よりずっと多かった、名駅周辺なら必ずそうであろう人間が多かった記憶があります。例えば西ヨーロッパでは当時こういった日雇仕事はあったのですが、彼らは移民労働者に置き換えられていた現実があります。自国民から他国民になっただけで、日雇仕事で従事する労働者は資本主義社会なら当たり前です。西欧以外なら思いのほか、インフォーマルセクターの仕事が多いです。さて日雇労働と言うと貧困層一番手ですが、以外にも元から貧困層ではなくむしろブルジョワジーな人も。ヤクザや左翼運動で権力闘争に敗れた人間が行き着く先は日雇労働でした。指名手配犯も身を隠すには日雇労働は持ってこいでした。
 一時期日雇労働者を組織化したのは、日本共産党からの脱落者も多く彼らは「共産主義同盟(ブント)」と呼ばれる派閥を作った一派もありました。階級闘争にはうってつけの場だったドヤ街で労働組合を結成し、闘争には連戦連勝でした。プロの左翼活動家が主導する労働運動は日雇労働者にとっても待遇向上の機会となりました。ただ排除されたのは仕事を斡旋する暴力団の息がかかった手配師でした。彼らはいわゆる「ケタオチ」職場を紹介してまともに賃金を払わない。払っても額が最初より少ない、タコ部屋同然の宿に放り込まれるためちゃんとした労働運動をやれば負けるはずがありません。排除されたヤクザ組織は危機感を感じました。暴対法など一度は蜜月だった国家が急に冷たくなり、むしろ世の中から排除される動きはヤクザ組織を狼狽えさせる結果になりました。その時代の重要な収益の柱だった手配師業も日雇労働運動に食われかけていました。労働者は結果として救われていたのですが、新左翼とヤクザのシマ争いはすでに起こっていたのです。強固な擬似血縁組織で結ばれたヤクザは暴力のプロフェッショナルです。新左翼は70年代に衰えたとはいえ、元々は好戦的な組織で革命の歴史は暴力が作ってきたというイデオロギーを信奉していました。そのような組織同士がぶつかれば、必然的に歴史は戦争となっていきます。ファシスト戦後唯一闘った労働組合「山谷争議団」。彼らの運動史は血と涙で濡れていました。


日雇労働運動前史

 稲垣浩と言う大阪西成区あいりん地区の有名人がいます。ある人は彼を「あいりんのジャイアン」と呼びました。毀誉褒貶も激しい人物です。彼の運動スタイルは暴力が中心のスタンスで選挙にも出るのですが当選しそうな運動は一歳しません。彼にとっては出馬する事が目的なのかもしれませんが、日本は莫大な供託金を支払う必要がありその資金源はカンパだと思われますが非常に無駄遣いの多い選挙運動です。ただ彼は元々は旧日本社会党系の全日本港湾労働組合の人間で、党派としては日本共産党よりも社会党よりの活動家で暴力を起こしても、別に殺人まで厭わないと言う活動家とは一線を画しています。彼の批判者はもちろんその運動スタイルも言われますが、その中で善行であるはずの炊き出し事業も結構批判があります。ある人は「前時代的」とも言いました。炊き出しと言ったら炊き出しだから別に質素にしないといけないだけじゃなく、それなりに美味しく食べられる工夫をすればいいのに薄粥も出る事がある稲垣の炊き出しは、そう言う味の部分で閉口されています。一応食べ物を出そうと言う心意気は買ってもいいと思いますが、彼は調理師学校出身。何だか複雑な話です。稲垣は日雇労働として日本で最大級の街であるあいりん地区釜ヶ崎で「釜ヶ崎日雇労働組合」の初代委員長でした。ただその強引すぎる運営、と言うか普通に私物化して稲垣は追放されます。その後を継いだのは山田實と言う「共産主義者同盟赫旗派」の人間でした。赫旗派は「労働者共産党」と言う政党を作りますが、左翼の権力闘争はもうここまででいいでしょう。
 日本共産党から分裂した新左翼は結局自民党や右派の権力闘争と同じでした。党派性と言うより人間関係や人脈に左右されたのが主でありイデオロギーは二の次でした。稲垣浩のような基本的にはノンセクトに近い人は結局排除され、稲垣のように暴力が主となっていくのでしょう。全港湾はストをうつ労働組合ですが、比較的穏健的な労働組合でそして日雇労働運動の源流でした。だから日雇労働運動は日本社会党にかなり近い運動体でした。
 80年代に全国日雇労働組合協議会が結成されます。釜ヶ崎日雇労働組合を中心とした日本各地の日雇労働の土地において結成された労働組合が中心の組織でした。その創立大会の檄文にはイデオロギーと分派批判がかなり時代がかったものとなっています。ただ80年代になると案外新左翼から日本社会党員、共産党員、完全なノンポリ、ノンセクトなど様々な党派の連合体に近いのがいわゆる日雇全協の立場でした。現在ではそれこそ全港湾のようにいわゆる左派、リベラル系政治家の陣営にいますが、別に自分たちが左傾化し極左路線に邁進するわけではなかったです。当時の幹部も「あの時代、山谷争議団は労働運動で連戦連勝だったので中弛みしてしまった」と発言しています。


ヤクザと右翼

 元内務大臣である床次竹二郎は社会主義運動が日本に根付くのを恐れ全国的な右翼組織を作る事を決定。その人材にヤクザが選ばれました。世界でも割と右翼活動に邁進するマフィアがありますが、日本も同じ。ヤクザが右翼イデオロギーを持つのではなく、国家権力に使われる場合ヤクザ組織は都合のいい暴力装置でした。いくら国が横暴でも警察組織を動かすのはリスクが伴います。当時は大日本国粋会と言う名称でしたが、太平洋戦争終結後一度は解散しました。ただヤクザ組織による右翼組織は必要で「国粋会」と言う名称で復活します。
 安保闘争激しい頃、右翼組織はヤクザがケツを持ってくれる存在として安保闘争など賛成派の立場で学生運動や労働組合を攻撃します。ヤクザの資金源の大半が犯罪で稼ぐことです。それには暴力が必要で統制が取れた組織のもと組長の一声で、平然と暴力をこなすヤクザは国家にとっても案外便利な存在でした。しかし70年代、国民的なデモや学生運動が激減した瞬間国家はヤクザ組織に「頂上決戦」が行われました。国粋会の一つであった元々博徒系組織「金町一家」の傘下西戸組は経済的に困窮をし、その中でシノギの一つであった人入れ業、いわゆる手配師で金を稼ごうとしました。山谷やあいりん地区など日雇のメッカはヤクザ手配師がいないとまともに運営できないのもまた事実でした。
 山谷を縄張りにしようとした西戸組は思わぬ障壁の存在に困惑します。日雇労働者を組織化した「山谷争議団」は日雇労働者の待遇向上や暴力団系手配師の追放も労働運動を経てかなり成果を上げていました。ヤクザにとって恐怖でしょう。今は大人しくなったとはいえ、かつて過激派として様々なテロ事件を起こした新左翼。実際に自分たちのシマを荒らしまわっている。その当時釜ヶ崎から左翼グループの精鋭も山谷に送り込んでいました。日雇全協の力は釜ヶ崎がかなり主導権を握っていましたが、一部の日雇労働団体と決別しこちら側も運動として停滞期でした。労働者を団結させる共通の敵が必要でした。


労働組合VSヤクザ 決着は?

 山谷争議団はついに西戸組や金町一家などとヤクザとの抗争に入ります。ヤクザも争議団の幹部はまだしも、その下の労働者は普通の人です。彼らと抗争するなど夢にも思わないでしょう。序盤は闘争になれば連戦連勝だった山谷争議団が押していました。しかし面子を潰されたヤクザはついに一線を超えてきました。このあたりの戦いは記録映画として「山谷ーやられたらやりかえせ」に詳しく書かれています。ちなみにこの映画を共同で作った二人の争議団幹部はヤクザに殺されています。二つの暴力集団の中で過激派もがいなれば労働者は獲られるばかりで、ヤクザがいなかったらそもそも日雇労働すら成立しません。これは過激派とヤクザの資金源をかけた「シマ争い」でイデオロギーとは全く無関係なものでした。
 ただその抗争の代償は結局新左翼もヤクザも得にはならなかったです。バブル経済が始まりこうした日雇労働は外国人などにとって変わられました。日雇全協には山谷の他に横浜寿町、名古屋笹島の労働組合も加入していますが現在ではほとんど機能をしていません。本拠地である釜ヶ崎も大阪維新の旋風のもと、そもそも稲垣浩グループの分派などからも攻撃を受ける釜ヶ崎日雇労働組合は今や新左翼路線というより、政策提案路線に近く民主党政権を左派労働組合の立場で一定の評価をしています。稲垣グループはテントで寝泊まりする聖域の確保と言うある種、階級の擁護をしてしまう活動家でそれも釜ヶ崎日雇労働組合と揉めてしまったからではありますが。
 ヤクザ側の総大将だった金町一家は今は日本で1番の巨大組織である山口組の傘下です。暴力団の苦境は今や誰もが知る事実です。自分の名義では携帯電話すら持てなません。また幹部はまだしも一般組員は普通にコンビニで組に上納金を納めるためにバイト生活だとか。労働者もヤクザの組員も平成以降、さらに地位が低下しました。ヤクザ組織は解体すべきだと思いますが、労働運動は将来まで未来を残さないといけません。日雇全協は現在そのかつての力は失いましたが、活動はまだ続けています。現在日雇労働者はギグワーカーと名前を変えています。Amazonの配送員も似たような雇用かもしれません。ヤクザの手配師ではなくグローバル大企業が積極的に日雇を奨励しているのだから時代は変わるものです。多分彼らは用心棒にヤクザは使っていません。そんなリスクを負わなくても国家権力と癒着できる資金とノウハウがあるのだから。日雇全協もこれら問題に取り組むべきです。現代のケタオチ職場には、そうなった自分が悪いと言う悪質な自己責任論があります。Amazonのような大企業がやれば否定しないし全肯定です。ヤクザの手配師並みの悪質さがあっても。労働運動は常に変化が求められる。もはや地下に潜り、オレオレ詐欺のけつ持ちをしているようなヤクザは時代と共に勝手に滅びさる存在です。職場を取り返すためには、グローバル企業と言う国際マフィアと腹を括って闘争するしかありません。

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