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労働組合役員の未来

 私は今組合役員を退任しているので、ただの会社員と言われる人です。と言っても役員時代も私の職業欄は会社員です。労組から専従職員で雇われた人は団体職員とでも言えるでしょうが、大体在籍出向を経ているのでほとんど会社の業務をした事がない人も会社に籍があるのなら、会社員でしょう。というわけで、役員退任後は普通に働いています。もちろん色々労組活動もしているので、普通の会社員よりは忙しいです。ただよくも悪くも猪突猛進型の私にとって、何か労組役員や専従の様ながむしゃらさが求められたあの日々を少し懐かしく感じます。とは言っても、本当に馬車馬のごとく働けないとこの専従職員という仕事は無理で私も専従の頃はひとえにバツもついた、子供はまだ就学前、義父母、実家の母の援助、兄の励まし、職場の応援、何より労働組合がなければそんな事は達成不可能でした。当時の上司は元組合幹部。会社側も私をなんとか一人前にしようか助けてくれました。その恩を得て、見事自分も若い頃色々見てきたおばちゃん社員になり、度胸はついた、とは言え頭の中は常に計算が働く、総務にパソコン作業を全般的に任せたい中年の出来上がりですが、自虐はここまでにしましょう。
 労働組合は様々な役職がありますが、上部団体にまで駆け上る人は基本的に委員長か書記長、もしくは熱心に活動してきた副委員長でただの執行委員は普通になんらやっていた事が忘れるぐらいに会社の業務に戻ります。非専従なら別にそのまま組合の仕事がなくなったわけですが、専従の方はそれこそ見ようによっては急に着任した先輩や上司になります。
 一般的に上部団体にまで駆け上る人は1割前後です。ほとんど一般的な知名度がない産別のトップ、もしかするとニュースで顔ぐらいは見たことある連合の会長。この人達は、相当狭き門を掻い潜って現在の地位にいます。こういう状況だとある意味エリート主義の様にも感じますが、組合活動のために私生活全てを捧げる人ぐらいの勢いでないと労働界とは言え上には登れないです。その組合活動が賛否あっても、何かしろ組織に関して貢献できないとなんら上部団体に行けません。そういう意味では貴族というよりエリートだとは思います。
 さて私が今回話すのは私も含めた9割の物語です。専従や役員の職を退任し、企業規模が大きい場所は、そのグループや子会社に行って働き、またそこの労働組合に誘われるパターンもある。私がそうでした。面白いワクワクする様な運動談は他の人に任せましょう。退任後のキャリアだって重要ですから。

専従から社員へ

 かつて組合役員は出世コースの近道でした。その理由は私は散々noteに書いているのでここでは簡単に説明すると、労務管理を手伝うかわりに組合勇退後はいいポジションを用意しておくという労使密約の様なものは確かにありました。私の知り合いはそれで海外の子会社の社長を2社経験しています。羨ましいかどうかは人次第です。私はこれって体のいい追い出しみたいなものではと内心感じていますが本人が栄達なら栄達です。
 とは言え日本企業も特に大企業ほど成果主義を導入されると、そうした日本型労使もあまり意味を成していません。個人的には本業と組合活動は別で、別々で結果を出すべきだと考えているのでこうした事は私は反対しませんが、多くの役員は労働界キャリア退任後を実際会社でどう活かせるのか悩んでいるのも実態です。連合の調査でもこの問題は浮き彫りです。また女性の参加ですが、これは私の様な家族の全面支援がないと不可能です。周りの人の助けがなければ、本業も組合活動も難しいです。
 さて労働運動は現場に寄り添うものですが、上部団体に行けば行くほど、そのあまりに広がる全体像の大きさに圧倒されつつも、そうした政策に携わる事ができる喜びはかなりのものです。私も本当に一時期産別の手伝いをしましたが、会う人合う人がテレビでお馴染みの人ばかりで確かに自分が凄い立ち位置にいる人間だと勘違いしました。と言っても、やはり私の実力では精々そこまでで、今は元役員の一組合員のボランティアとして正業同様選挙では運転手ですが。それはおいといて、さらに連合に出向すればその体験は毎日飽きないです。大きな政策や運動に携わる事ができるのだから、1人の人間として望外の喜びでしょう。退任後はそのギャップです。産別では社会運動が主なのでジェンダーや社会変革に携わった経験も国際経験を経て磨いた語学力も現場だと大半の人が活かされません。そして何よりも人との繋がりでしょう。産別レベルになれば、他産別の交流なんか毎日のもので単純に他の仕事に携わる人の話は楽しいですが、役員を退任すれば自分が動かない限り、人脈はそこまで。連合傘下の悩みは他の交流が極めて少ないのです。という事も私は何十回も言っていますが、単組の役員がたとえ旧総評グループとの交流すら、ほとんど機会はありません。これは同盟や中連も同様です。訳知り顔で総評と同盟の対立がと言い切る人はそもそも連合という組織を知らない人です。
 本業復職後、総務や人事に配属されるとラッキーぐらいで、それ以外はゼロからのスタートになり結果として組合再登板になります。肯定的に捉えたいですが、組織の活性化について見てみると必ずしも是と言えない部分もあります。もちろん復職を経て得た経験も十分労組の活動に活かせるものですが・・

良き労働運動家は良き勤労者であるべき

 これは私の格言で、有名人のはなった名言ではないです。これを言った人は私と対立組合に入っていた人でした。その言葉を今も胸に活動していますが、なかなかその心理に到達できないのも、それもまた真実です。
 よく働くためには、労組運動のキャリアはスキル面では劣ってしまう。これは結局企業別労組で完結するしかない日本型労働運動の最大の弱点です。復帰に上司や職場のサポートが必要で、それを整えるのもまた労働組合の仕事でしょう。運動は繋がっていない様で実は職場復帰に密接なのです。
 そして連合のアンケートでは退任した後一般組合員に戻った元役員は感想は現在の労働運動の問題を端的に表しているものです。「なんだか役員の動きが全く見えない。楽しそうに見えない。秘密結社の様に見える」これは本当に私も敏感に感じている事です。組合執行部は単なる仲良しクラブに見えて、全然輪に入りにくい環境を作ってしまっている。運動の成り手不足は執行部の力不足です。一組合員に戻った現在、どうせ無駄になっても様々行動しようと思います。どうせ一組合員の気まぐれライフワーク。なんでもやりましょう。それは私の手の届く範囲なら。手が届かないなら、届く人に頼みます。労働相談は随時受付中。良き労働運動家は全力で何事も応じないといけない。
 連合のアンケートでは、退任した元女性役員4人にインタビューしていますが全員が組合役員を引き受けて良かったと断言します。引き受けた理由は頼まれたからなど消極的なものも多かったのですが、逆に役員になってから燃えた人も多かったです。私も役員に決めた理由は随分とお世話になった、産休後の復帰も随分サポートしていただいた会社の恩人の1人と言える先輩が寿退社する時に、その社内報に名前すら書かれず「九州美人」と表現され、それに憤りを感じたから。会社も社員もそれが当たり前だと諦めているのか、本当にそんな常識が罷り通り1人の人間として尊重しないのが是としているのか分かりませんが、私が労働組合に誘われた時、その参加する理由としてはそれが十分でした。

終着点にアクセル全開!

 組合役員を退任した私は「もう十分やり残した事はない」と一才思わず、ここからが本番だと思っています。組合役員活動は不満もあれど私は「楽しかった!」これ以上の感慨はないです。だから今後はもっと活動の場を広げて、というより当初より後ろ向きだった新しい広報活動を練っては消滅し、考えては自然的になくなっていきの繰り返しです。労働組合は、現在もはっきり言い切れるほど男性社会です。その仕事量だけが評価される事もあり、質は問われない事もあります。労働運動が変わらないといけない場面は非常に多い。芳野友子を嫌うあまりに「こんな会社の制服を変えた事が労働運動なら、女に労働運動はできない」と言い放ったTwitterの人を見かけました。芳野の運動姿勢を問うのはまだしも、一つ一つの改善点を労働運動と見做さない風潮、そしてその人は労働運動に携わった事のない人だったので、なぜ!こんな!労働運動も新しい風を求めているなか!提言もせず、ただ腐すことしかできないのが疑問です。労働運動は自主的な運動で本来なら誰もが加入できるものです。リスクを一才取ろうとしない姿で相手が変わっていくのをいつまでも待っている。私は嫌なので猪突猛進です。
 これも私は断言しますが、専従も役員も超がつくほど忙しかったのに「楽しかった」のが本当に本音です。役員活動に色々ありました。このキャリアは仕事には活かせないですが、やって良かったと心から確信しています。連合の報告書には人気漫画「ONE PIECE」が取り上げられています。仲間を集めて何がやりたいのか明確でないと仲間は集まらない。仲間を集めるためには1人で、できない大きな目標が必要。それはその通りです。なんで仲間を集めるのか、何を目標なのか、それは組織論の基本のキです。本来なら漫画ではなく私達の仕事だったのですが皮肉ですね。
 私の労働運動はまだ終わりません。終着点が明確なのに、手が届かないからまだまだ体当たりでぶつかりたいです。ただの一組合員だからできる事はあります。


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