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8月26日は「火山防災の日」

2023年に活動火山対策特別措置法(略称「活火山法」)が改正され、文部科学省に火山調査研究推進本部を設置し、火山に関する観測、測量、調査及び研究を一元的に推進するようにしたほか、国民の間に火山対策についての関心と理解を深めるため、8月26日を「火山防災の日」と制定しました。

日本は火山が多く存在する国にもかかわらず、地震や風水害と比べ、災害研究体制が充実しているとはいえず、その結果、雲仙普賢岳火砕流(1991年6月3日、死者・行方不明者43名)や御嶽山水蒸気噴火(2014年9月27日、死者・行方不明者63名)などが発生しています。
そうしたことを踏まえて活火山法が改正されたのでした。

この日が火山防災の日として選ばれたのは、1911年のこの日、浅間山に我国最初の火山観測所が設置されたことに因んでいます。

浅間火山観測所(1913年6月30日撮影 気象庁ホームページより)

浅間山は、我国有数の火山であり、また1909年ころから活動が活発化していたことから、長野県の予算で建設され、当時の文部省震災予防調査会と長野県立長野測候所(現在の長野地方気象台)の協力により観測が開始されたものです。

そこで今回の記事では、浅間山に関係した話題を提供したいと思います。

まず、次の写真をご覧ください。

正面に写っているのは、鎌原観音堂という建物で、朱色の橋を渡り15段の石段を上って、お参りをするような配置になっています。これらは、浅間の北麓に位置する群馬県嬬恋村鎌原地区にあります。
この建物が浅間山の噴火に大きく関わっていることをご存じの方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。

今から遡ること241年、1783年(天明3年)に浅間山は大噴火を起こしました。そのときの噴出溶岩の名残が「鬼押し出し」と呼ばれる一帯に存在し、人気観光スポットとしても知られていますが、噴火によって起きた現象はそれだけではなく、「岩屑がんせつ雪崩」というものも発生しています。
これは、山肌の土砂や火山の噴出物が、まるで雪崩のように山すそを流下する現象です。大規模な土石流とも言えるでしょう。

この現象が、鎌原地区を襲ったのです。
村人のうち、466人が命を落とし、93人だけが助かったと言われています。助かった人の多くは、この写真の石段を駆け上がり、観音堂に逃げ込んだのでした。
石段は当初、50段だったと言われておりますが、その大半が岩屑雪崩によって埋没し、現在は15段だけが地上に露出しています。朱色の橋の下には、35段が埋まっているわけです。

1979年(昭和54年)に発掘調査が行われ、埋没した石段の部分から二人の女性の遺体が発見されました。若い女性が高齢の女性を背負った状態で土砂に襲われたようで、おそらく石段を駆け上がろうとしていたのだと考えられます。あと数段上がれば助かったかもしれないという場所だったのです。
この石段の脇には、石碑が建てられ、「天めいの 生死を分けた 十五だん」という句が刻まれています。

この悲劇に関する貴重な資料は、鎌原観音堂に隣接する嬬恋郷土資料館に展示されていますので、訪ねてみてはいかがでしょうか。

実は、この岩屑雪崩に関する悲劇は、これだけではありませんでした。
下図のように、土砂は観音堂の先にある吾妻川に流れ込み、一時は川をせき止めたものの、流れの勢いに負け、泥流となって一気に下流へと流れていったのでした。その勢いはすさまじく、さらに下流にある利根川にも流れ込み、その日のうちに太平洋まで達したのです。
川の近くで農作業などをしていた人々が泥流に巻き込まれ、死者は658人に達したという記録があります。

浅間山噴火災害の被害状況
(死者数は「浅間山焼に付見聞覚書」(幕府勘定吟味役・根岸九郎左衛門記録)による )

このように、火山噴火と言っても思いもよらぬ被害が発生してしまうことがあるのです。
自然の威力を、私たちは十分理解しているとは言い難いのかもしれません。
必要以上に怯えることなく、だからと言って侮ることがないように、正しく向き合うことが重要なのかもしれませんね。


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