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私のこと、ラボラトリー・フィードバックのこと

とりとめのない自己紹介をいたします。

私、永山政広は、「ラボラトリー・フィードバック」という研究室を立ち上げ、防災・減災手法を研究しています。
単に研究を行うだけでなく、コンサルタント、講演、実務指導、執筆、メディア出演などを通じて成果を社会に還元する活動を行っています。

そんな私の前職は消防士でした。定年退職でもなく、悪事を働いて懲戒免職になったわけでもなく、ごく普通の依願退職で30年間の消防生活に別れを告げたのです。

その契機になったのが、2011年3月11日に発生した東日本大震災でした。

その日は休みで、自宅(神奈川県小田原市)にて強い揺れに襲われました。幸い自宅に被害はなく、直ちに所属の署に登庁したところ、緊急消防援助隊の指揮者に任命されました。(緊急消防援助隊とは、大規模・特殊災害が発生したとき、被災地の消防力を支援するため、全国の消防機関から部隊を送るシステム)

速やかに出動準備を整え、当日の夜、所属署を出発したのですが、支援先である宮城県仙台市に到着したのは、翌日の夕方でした。実に20時間以上を費やしてしまったのです。

決して寄り道をしていたわけではありません。

  • 情報が錯綜し、支援先が二転三転したこと、

  • 東北自動車道路のいたるところで段差や路肩崩壊が見られ、とても高速で走れなかったこと、

  • 広域的な停電状態ため、途中で給油したガソリンスタンドのポンプが作動せず、隊員が手回しで燃料を送らねばならなかったこと、などなど……

段差を乗り越える消防車(福島県内 東北自動車道路)

まるで私たちの行動を邪魔しているかのような試練の連続だったのです。

それでも多くの人の協力をえながら、ようやくたどり着いた被災地で救助活動を展開したのですが、私たちのチームは生存者を救うことができませんでした。

「命を救うにはあまりにも到着が遅かった」と、私は心の底で悔やんだのです。

だからと言って誰かを責めることはできません。この事態に直面したほとんどの人が、できる限りを尽くしたのだと思います。
今振り返れば、反省点、改善点はいくらでも出てきますが、あのときは、そこまで思い至らなかった、それだけの余裕がなかった――それが現実ではないでしょうか。

これが、科学の世紀と持て囃された2011年の本当の姿だったのです。

災害を生業とする消防士の私でさえ、そのことは衝撃的でした。
しかし、そこで立ち止まることはしませんでした。
20時間後にようやく差し伸べられる救助の手を待たずに、命を守ることはできないか――。
そんな思考の末、たどり着いた結論は、「自分の身は自分で守る」という防災の基本中の基本だったのです。
ただ、精神論で解決できるとは思いません。もっと多くの視点で災害対策を見つめ直さなければならないことに気づきました。

  • 建物、設備の安全性の確保や物的備えを充実させていく、ハードウェアという視点

  • いざというときの行動を理解し、だれもが協力できる組織やしくみづくりを進めていく、ソフトウェアという視点

  • 防災意識を高めるとともに、人と人の絆を高めていく、ヒューマンウェアという視点

災害対策を進める3つの視点

一人ひとりだけでなく、社会がこのような視点で取り組んでいく必要があるのではないでしょうか。

そのために、自分はどうしたらいいのだろうか?

思い悩んだ末、憧れて飛び込んだ消防士の世界に別れを告げ、
民間の立場に立った研究と活動を始めたのでした。

日本の防災研究は世界のトップクラスだと言われています。
ならば、その成果を市民生活にフィードバックさせなければ意味がない。
そんな決意を込めて、ラボラトリー・フィードバックと名付けました。

「災害は忘れた頃にやってくる」という名言がありますが、
昨今は、忘れぬうちにやってくるようになっています。
災害対策を自分事としてとらえ、
自分や家族をどうやって守るかを真剣に考えていかねばならない時代に生きていると言えるでしょう。
そんな皆さんのお役に立てればと、日々精進しております。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

ラボラトリー・フィードバックの概要は下記ホームページをどうぞ

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