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【エッセイ】「書くこと」について 向坂くじら

尿道から生きたエビが!

 と、自分のメモ帳に書いてあって、おののく。性器周辺が怖気だっている。なお、『La Vague』は女性性をあつかう詩誌なので、このようなことも書いていいことになっている。

尿道から、生きた、エビが。めちゃくちゃ痛そうだし、きもいし、なによりこんなことを書いた覚えがない。でもおそらく過去のわたしが書いたんだろう。覚えのないことで、しかも自分のせいで、時間差でダメージを受ける。

どうしてそんなことを書き留めておいたんだろう。なにかそれを連想させるようなことがあったのか、誰かがそう話していたのか、夢にでも見たのか。あるいはまさか、実際にそんなことがこの身体に? わたしの、尿道から生きたエビがいつだったか飛び出してきて、そしてわたしがそのことを全く忘却したのかもしれない。もちろん、もしもそうなら自分の股間が無傷でいるのはおかしいのだが、いや、エビによるか。
エビによるな。

ということで、わたしの身体にはエビを排泄した可能性が残された。そして、迷惑なこととは思うけれど、これを読んでいるみなさんの身体にも同様に残されたと言っていい。というか、みなさんの身体はもとよりその可能性を持っていたのだが、わたしが書き、みなさんが読んだことによって、それがみなさんに(おそらく)はじめて想起された。わたしが自分のメモを見返して、身震いしたように。

 さて、荒唐無稽なことを延々と書いてしまった。けれども「書くこと」について考えるとき、わたしはこのような荒唐無稽さを避けて通ることができない。

よく、怖い夢をみる。今朝の夢では、海外の空港でチケットがとれていなかったことがわかり、遅くとも翌朝までは空港にいないといけないことになる。しかも係の人はわたしの不法入国を疑い、何人かでヒソヒソ話しながらこちらをうかがっている。またあるときには死産をする。顔の見えない看護師が、「自分で産んだ子は自分に戻さないといけない」と言い出し、わたしに血まみれの胎児を呑み込ませようとする。頭蓋骨の大きさで顎が外れそうになりながら、わたしは突然心のなかで、「そうか、逆子だったのか」と思い立つ。

夢診断の素養がないので、これらの悪夢が現実にあった何を反映しているかはわからない。わたしにはむしろ、夢を見る前の現実のことより、あとの現実のことのほうが気にかかる。すなわち、「目覚めたあとの身体は、すでに夢のできごとを経験し終えた身体であるのではないか」ということだ。もちろん夢のできごとは実際に起こったことではないけれど、しかしときに起こったことのように記憶している。ことが過ぎたあとの身体にとっては、それが現実かどうかに、さしたる違いはないのではなかろうか?

 そしてまた、目覚めているときにも、わたしはふと夢をみる。たとえばときに、牛肉の塊とわが母とが似て見える。またカメレオンと他愛ない雑談とが、不当な解雇とセックスレスとが、とかげの尻尾と愛情とが似て見える。またあるときには、背中から巨大な羽根が生えてくるのを感じる。自分の手のひらが、生い茂る蔦をかきわけるのを感じる。雲を蹴ってつぎつぎに進んでいく爪先を感じる。どうしてだろう、と思うほどに、わたしの身体は、半分夢のなかを生きている。

そしておそらく、誰もがそうなのではないか、と思う。わたしたちは同じ現実を生きているようでありながら、それぞれが半分ずつ、夢のなかを生きている。それが手でさわれる具体的な「現実」であるかどうか、またどのように自覚されているかということは、身体にとってはやはり、もはやささいなことだ。

極端にいえば、わたしの書くのは、そのためだ。わたしは、あまりに個別な現実を持っていながら、それがほかの誰かの持つ、それもまた個別である現実と、なんらかの形で響きあうことを願っている。そのためには、書くしかないのだ。なんたって、わたしの現実は、わたしが言葉にすることでしか、他人の前にあらわれない。何よりもまず、そのようにしてあらわれてきた他人の現実に、わたしは生かされてきたと言っていい。他人の現実が、自分の現実にときに似て見えることも、またときにぞっとするほど異なることも、どちらも、うれしい。
自分の現実だけを生きるのは、つまらなくて、しんどいものだ。

 さあ、であるから今晩は、尿道からエビを排泄することを思って眠ってほしい。賢明な方であれば、それがもはやいうほどこの文章の本題と関係ないと気がついていることだろうが、それはそれでわたしのこの情熱とは関係がない。ともかくあなたに、エビとともに眠ってほしいのだ。いいですか、あなたの尿道から飛びだす、ぴちぴちでまだ濡れている生きたエビ。思いのほか、長く伸びたその髭。

※向坂くじらさんが「ねえ、おかあさん」「豊穣」「いわく」を寄稿した詩誌ラヴァーグ創刊号はこちらから購入できます。


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