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【画家の小噺】 -吾朗とモナ・リザ-

吾朗とモナリザ ©️LaColle


吾朗とモナ・リザ

皆さんは、日本に"モナ・リザ”と深い関わりを持つ人物がいることをご存知でしょうか。

画家の“斎藤吾朗”氏です。

彼は1973年にルーブル美術館から公認を受けて、モナ・リザの模写を許可された、世界に2人しかいない稀有けうな方なのです。

斎藤吾朗氏とモナ・リザ

斎藤吾朗氏は1947年に生まれ、2022年現在も活躍されている日本を代表する画家です。

1973年に地元、愛知県の美術講師を辞めた後、画家としての方向性を模索する為に渡仏し、オランダ、ドイツ、モロッコ、スペイン、イタリア…と各地を渡りながら、異国の風景をスケッチしていきます。
かつて、巨匠と謳われる西洋の美術家が過ごした地は、画家として、また1人の人としても刺激に満ちていたことでしょう。

旅の始まりであったフランスに戻った時に、ふと、母の手土産にと“モナ・リザの模写”を思いつきます。
一見、突飛なように思えますが、ルーブル美術館では多くの画家や学生たちが名画を前に画材を携え、模写をするのが古くからの習わしでした。

しかし、その中に“モナ・リザ”は含まれていなかったのです。

早速、模写の許可を取るため、ルーブルに足を向けた斎藤氏ですが、警備員に一笑されてしまいます。
それもそのはず、“モナ・リザ”の模写が許されていないことは、有名なことだったのです。
ただし過去に1人だけ、ロシア出身のフランスの画家“マルク・シャガール”が許されたのみでした。

しかし、そうと知っても斎藤氏は諦めることをしなかったのです。
明る日も、その次の日もルーブルに足繁く通っては、さまざまなアプローチで許可を願ったのです。

そしてついには、ルーブルへその真意を伝えるために、たった一晩で“モナ・リザ”のデッサンを描き上げたのです。

この事がきっかけとなり、ルーブル側も公認する運びとなりました。
これはシャガール以来50年ぶりのことで、もちろん当時のフランスは、この話題で持ちきりに。斎藤氏が描き始めると、連日の取材陣に、観光客たちが取り囲んで斎藤氏を見に来るほどでした。

デッサンをしたのなら、わざわざ模写をしなくても良かったのではないかと思われるかもしれません。ですが、写真と実物は、まったく違う物なのです。描かれた絵画が持つ筆致の迫力や、長い年月を経た歴史といったものを、実物を目の当たりにすると感じさせられるのです。

そうして、“モナ・リザ”の模写を成し得た斎藤氏は、この旅の目的であった自身の“画家としての主題”を見出すのです。

モナ・リザが与えたもの

『モナリザ・デル・ジョコンドモナ・リザ・デル・ジョコンドの肖像』(1503年から1506年頃)
レオナルド・ダ・ヴィンチ作

モナ・リザの公認模写は、斎藤氏の画家人生に強い影響を与えました。

模写を通して彼は、“モナ・リザ”は“ダ・ヴィンチにとっての母であり、また故郷を描いた作品”であると感じたのです。
その為、彼は故郷(愛知県三河地方)への愛を一層深めます。

斎藤氏の作品の多くに使われている強烈な赤色は、“故郷、三河の赤土”であり、“美しい夕陽の色”であり、そして“脈々と受け継がれた血の色”を表しているのだと、作品集の中で語られており、扱うモチーフも家族や故郷の風景が多く、作品から彼の強い想いが感じ取れます。

「母と母に連なるふるさとの風土と人々こそ、私が描くべき絵の主題だと知った。」

引用:『こころは赤絵の中に』斎藤吾朗著 エフエー出版 1992年

遠く日本から離れた地で“モナ・リザ”に出会い、描いたことで、自分にとって大切な物、描きたい物はもっとも身近なところにあったのだと気づいたのです。故郷は偉大だと感じます。

まとめ

たった1人で、見知らぬ地で奮闘をし、それでも諦めなかった斎藤氏。彼のそのひたむきな姿勢に、今の私たちが学ぶことはとても多いように思います。
物事をはじめから、無理と決めつけず、挑戦し続けること。
きっとその強い想いは、いつしか人々の心を動かし、実現するための力となるでしょう。

現在、ルーブル美術館で展示されている作品の多くは写真の撮影が可能となっています。もちろん、今回はあの“モナ・リザ”も例外ではありません。
訪れた際は、間近でじっくりと実物を鑑賞していただき、旅の記念として写真を撮って帰るのもいいと思います。

〉斎藤吾朗氏の公式サイト

参考書籍:「斎藤吾朗作品集 SAITOH GOROH」2012年 株式会社求龍堂/出版

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