最果て Khujand-Istaravshan
私の旅の断章。今までずっと心にしまっていた。差し出された愛が溢れないように。ふと、元気だろうかと思い出していたので、言語化してみようと思った。
約四年前にタジキスタンに行った時のこと。ホジャンドという都市から首都ドゥシャンベに行こうと思ったが、飛行機に乗るお金がなくて、乗合タクシーで向かっていた。その途中で、イスタラフシャンという場所で一泊することにした。
ホジャンドやイスタラフシャンは、アレキサンダー大王が最後にたどり着いた場所に当たると言われており、東方最果ての地とも言える。
ホジャンドに着いた時に、タジキスタンの貨幣がないのではないかと同乗者のタジク人に聞かれ、無いと答えると、すぐに彼は近くの両替商に聞いてくれて両替してくれた。
「次はどこへ行くの?」
「イスタラフシャンに行って、宿に泊まるよ。」
「そうか、ちょっと待っていてね。」
彼はタクシー乗り場の辺りをしばらく歩いていき、戻ってくると、私を連れて近くのタクシー運転手に、イスタラフシャンに連れて行くように言ってくれた。
「お金は交渉してあるから、今から言う分だけ渡したら大丈夫。それ以上は払わないでね。」
と言って、運賃を教えてくれた。それが相場かどうかはどちらでもよかった。ただただ、少しだけ一緒に相乗りした人間にここまでしてくれたことに胸が詰まってしまった。
「どうか、気をつけて。元気でね。」
そう言って、私の頬にキスをして無事を祈ってくれた。連絡先も聞けないまま、彼はすっと街中の方へ去っていってしまった。
胸の内側からじわじわと温かい血の流れを感じて、ぐっと涙を堪えて上を見た。無事を祈るという行為がこれほど慈しみに溢れていると思わなかった。
イスタラフシャン行きの相乗りタクシーで、同乗者が集まるのを10分ほど待っていた。こういった場所では、乗合タクシーは必要な人数が集まるまで待つか、一台分のタクシー代を払って(相場としては結構高くなる)1人で走ってもらうかのどちらかだ。
「こんにちは。」
突然1人の女の子がタクシーに乗ってきて声をかけてきた。彼女が、私のこの旅で、泣きじゃくるほどの優しさを見つけたきっかけになる。
この先ずっと心の拠り所になっていく。来るべくして来た。出会うべくして出会った。
次に綴るのはそんな、愛の話。
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