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日記時々嘘(10/15-19,本の話とか)

ノートで日記をつけていると、案外日記をまめにつけていけていいな。
だけど他者性があって少し複雑な気持ち。


◼︎本disはウケる

noteでの日記もそこそこ続いてきました。
いつもカレンダーに日記をつけていたけど先々月くらいから完全移行しています。

noteって普通の日記とは違って誰でもみられるように公開しています。
その上いいねなんて来るので不思議な気持ちになります。
いいねというシステムがあると、どういうテーマがウケてるのかなというのがなんとなく感じられますね。

特に感じるのは、ここには本が好きだけど読書を呼びかけられる事が嫌いな人が多いのでは?
当たり前ですよね。
誰だって自分が好きな時に好きな内容を読めばいいし、人生で絶対に本を読まないといけないなんてことはないです。
本ばかり読んでる二宮金次郎が勤勉と言われるのも変だし、優れた人間かどうかはまた別な話です。

本は自分が必要だと思うなら読めよ、他人に本を読むという行為を勧めるのは妥当とはいえないって当然すぎて、そんなに声を大にして言うほどのことじゃないです。
でもなんだか、本を読むということをディスるのはウケるらしいです。
なんでなんだろう。
こんなに当たり前なことをわざわざ長文にしていいねを得たとてなんになるんでしょうか。
出すなら例えば自己啓発セミナーで本を読めとやたらめったら言う人ばかりいる場所で言うならわかるけど、賛同する人間が多い場であえていう必要はどこにあるんでしょうか。

◼︎表現で食っていく気概

小さなピアノコンサートに行ってきました。
昔からあるピアノを演奏できる状態まで修理したらしいです。
プロのピアニストの人の演奏を間近で見ることができました。

感想として、表現で食っているんだ!という気概を感じました。
演奏をしている人って思ったよりいろんな表情をしています。
おそらく、プロとして練習をしていく中で極限まで表現をすることを突き詰めたら指先から顔まで全てを使う必要があったんだろうなと思いました。
そこまでできるのはきっと、これで俺は食っていくんだ!!これで生き抜くんだ!という気概があるからだなぁとしみじみ思いつつ聴いていました。
表現に対する執念?気概?を感じられて、思い出になりそう。
やはり、何かを伝えてやろうとする意識が伝わってくる瞬間って最高に好きです。
自分の人生に他人が割り込んでくる感じがします。

◼︎似る

飼ってる犬と飼い主が似るってよくある話です。
他にも長く連れ添った夫婦とか。

似るって最悪です。
私とあなたの境界が溶けていく。望んでいないのに。私は私なのに。
どうして他人に似てしまうのか。
自分という軸が容易にブレることに危機感を覚えます。
だって、自覚している自分はもっと頑ななものだと思っているからです。それなのに、誰かに似てるとか言われてしまったらきっと、私は私がわからなくなりそうです。
どこまでが私でどこからがあなたなんですか…
私は何だったんですか…
混沌が訪れる

◼︎代替可能性

私はバイトを辞める時期を毎回見逃します。
そのせいでどんどんバイトが増える。
辞めるのは飛ぶしかできない。

やめ時を逃すので今となってはどのバイト先でもメインで回せるくらいにはなりました。
だけどそれでも代替可能な人材でしかありません。
そもそもバイトなんて誰でもできる仕事だから時給は安いし募集が山のようにあるんですよね。
単に私が一番効率よく働くから、一つの労働をこなしてもらうのにかかるコストが少なくて便利なだけです。
学生の労働はクソです。
別に私じゃなくてもいい仕事を安いお金でこなすだけ。
そのせいでするべき事をする時間が奪われていきます。
でも働かないと生活費が稼げない。
103万の扶養の壁があるから月で割っても10万も稼げません。

クソだ〜

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