見出し画像

月夜、小さな命と発泡酒

玄関を開けて外に出るとアパートに備え付けられてる蛍光灯が辺りを昼白色に照らしていた。
空気が生ぬるく、じんわりとTシャツが肌に張り付いてきて、湿度の重たさを感じる。
空に目をやると月がぼんやりと浮かんでいた。大きく半分欠けている月を見てると、僕は地球という惑星に生きているたった1つの小さな個でしかなく、宇宙から俯瞰して見ると僕等があれこれ悩みながら生きているこの瞬間には大した意味はない事がわかる。
何か全体の大きな流れに巻き込まれ、流されるように生きており、僕ごときが少し抗う姿勢を見せた所で大自然の理には敵わない訳である。
しかし人間は他の動物と比べて頭が良いもんだから色々と変なことを思い付くなあと思う。自然の法則や限界を超えようとしていて、神にでもなろうとしているのではないか、なんて思ったりする。
僕は生きていることも死んでいることも特に意味はない些細なことのような気がしている一方で、わざわざ終わらせる勇気はないので、自動で最期が来るのを待っている感じだ。

ここは市街地だと言うのにアパートから目と鼻の先に1枚田んぼが存在する。
この時期は青色の稲で一面満たされていて、なんだか落ち着く気持ちの良い光景で好きだ。空に向かって凛と葉を伸ばし、風に揺られても決して倒れないそれらからは力強さを感じる。
その影響か暗くなるとうちの玄関前には緑や茶色のカエルが何匹もじっと佇んでいる。
おそらく蛍光灯の光に集まる、小さな虫を食べる為に集まっているのだろう。

僕は彼らが好きだ。
何のことはない、見た目がきゅるんとしていて可愛いと言うだけで深い理由はない。
毎夜彼らに挨拶をしたくてわざわざ外に出るのか、24時間営業のドラッグストア目掛けて買い物へ行くのか、どっちが本来の目的だったのだろうか、なんて、それはもちろん買い物が目当てだが。

慎重に歩みを進めなければ思わず踏み潰しそうになるので、勢いよく外に出てはダメだなと、下を見るように気を付けている。
近くで観察したくて顔を近付けると慌てて逃げようとするが、その動きの鈍さからカエルという生き物は危機感のない奴らだなーと思ったり。
彼らも彼らなにり危機を察知しているのだろうが、これでは簡単に他の生き物に食べられてしまうぞ、と大きなお世話を焼いてしまう。目の前でお前達のことをどうにでも出来る巨大な生き物が舐めるように見ているのに、簡単に捉えられそうな程動きが鈍い。
ぴょんぴょんというよりジタバタという表現の方がしっくりくる。
しかし彼らは良くわかっているのだろう。危険な事など百も承知でここに来れば効率よく食べ物にありつけると。
それくらい命懸けでこの玄関前に佇んでいるかと思うと愛おしい。

というより人間以外の全ての生き物は毎日が命懸けである。

あの忌々しい蚊ですら、命を懸けて生きている。たとえ次の瞬間に誰かの両の手のひらによってこの世界から消え失せるとしても。
生きようとし続けている。
血を吸うのは産卵期に入ったメスの蚊だけで、我が子を育てるために、文字通り人間含む動物目掛けて命を懸けて向かってくるのだ。
なんという覚悟だろう。
敵(?)ながらあっぱれである。
それならばこちらも全力でお相手甚そう、かかってこい!等と頭の中で勝手に盛り上がったりしている。

次の瞬間彼女は潰れ、彼女足らしめていたその身体が残骸となって僕の手を黒く汚す。

呆気なく命が1つ終わった。
終わらせたのは僕だ。
決して良い気分ではない。
こんなことなら僕の血液を少しばかり分けてやって、外へ逃がしてやれば良かっただろうか。
いやそれは御免被る。

僕は命懸けで生きていない。
毎日苦労せずとも食べ物が手に入ってしまう。
有り難いことであると、そう自分に言い聞かせる。

ああ、カエルの話をしていたんだった。彼らの食事を邪魔してはいけない。彼らは僕と違って真剣に食事をしているのだ。
生きる為に食らうのだ。
食らう為に生きている僕とは違う。

踵を返し足早にドラッグストアへ向かう。
遠目にもドラッグストアが目に付く。
昼間かと見間違うほどに煌々と光っている店内に足を踏み入れる。

買い物カゴを手に、店内をうろつく。
助六と煎餅、安い発泡酒を数缶、買い物カゴに放り込んだ。
会計を済ませ店を後にした。

家まで我慢できずに缶のプルタブに指を引っ掛け、口元に運ぶ。
深夜、往来が無くなった道路を横断しながら喉を潤す。
再度月が目に入る。
綺麗だ。

絵に描いたようなダメ人間とは僕のことだと思わずに居られない。
自身のやり場のないストレスを解消する為にこれらを食らう。
決して生きる為ではない。

人生とはなんだろう。
最近は時間が経つのが早い。
こんな感じを繰り返して、ついぞ老いて死んでいくのだ。 

不幸中の幸いなのは身体が自由に動いてくれるということ。
どこも痛む箇所がないということ。
しかしいずれそれらも失われていくこの生に、どんな希望を持てばよいのだろう。

僕は最近とある物書きに傾倒している。彼、彼だと思う、以前自身を写した写真をXで見たことがある。想像より屈強な体格をしていて驚いた。

彼の文章は美しい。
だけじゃなくてほんとに面白い。

美しいのはきっとそういう表現を沢山吸収して生きてきて、自身もそういった表現を好み、努力を重ね上手に言葉に出来るようになったんだろうか、なんて勝手に想像する。
面白いのは圧倒的な知識、経験から来ているのだと思う。
僕が知らない言葉や表現、考え方が彼の日記からは散見される。
これは日記の形をした教科書だ!と思う回もあるくらいだ。
そして何よりも自身が今どういうことを感じているのか、言葉として描写するのが巧すぎる。
巧みである。
ドロドロした感情もドロドロしてるなあ〜で終わらない力がある。
とにかく彼の力にかかれば全て美しい言葉に昇華されてしまうのだ。
特別何かイベントがあったときの日記ももちろん面白いのだが、何でもない日々に感じたことを文章にしている回が特に好きだ。
より深く心理描写がなされていたりする。
彼の日記が更新されるのを心待ちにしている自分がいる。

それは生きる希望かもしれない。

ワンピースやハンターハンターが完結するまで死ねない、と言ってる人と同じかも知れない。
その人達はそれらの漫画が完結したら、どうなる?まあ別の楽しみを見付けだすのかもしれないが。
その分こちらは完結することはないので、彼が書き続けてくれる限り僕は生きる希望を失わないで済む。
やったぜ、と言う気持ちだ。

書くと言うのはエネルギーを使う。
自身の文章を最初から読見直すと、気合が入っているのは良くて前半までだ。
完璧を目指すといつまでたっても完成しないだろう。
だからこれで出す。
食ったら出せ、詰まるぞと彼も言ってたことだし。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?