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裸の履歴書vol.9~上京

 選手会に退会届けを提出してはじめて、引退(正確には登録消除)となる。

 さぁ、これからの…「第2の人生なにをしよう?」

 勉強がしたい!学生の頃、忌避していた勉強がしたい!なにを学びたい?

 …。

 體(からだ)のことを学びたい。

 そうだ、学校に入ろう。学生になろう。トレーナーの専門学校に入ろう。小さなコップの中(青森)から抜け出して広い海(東京)に出航する。そして見聞を広める。そんな淡い冒険に出かけるような感覚であった。

  このときばかりは独身を武器だと実感した。なぜならば、家庭があり月々の支払いに追われる身では悠長な発想の余地もなく「就職」を選択しなければならないからだ。独り身を多少なりとも負い目に感じていた私は、なにか恵まれた環境にいたのでは?と思うようなワクワク感があった。

 学費と毎月の家賃含めた生活費を退職金から捻出してはいたものの、支出ばかりで収入が0ではいずれ尽きるのは自明の理。上京して数日後アルバイト先を探す。人生初のアルバイト。建築現場に於いて資材を高い場所へ移動させる「荷揚げ屋」という業種であった。こちらは入学するまでの約四ヶ月(12~3月)お世話になった。もうひとつ経験したのは居酒屋。二つのアルバイトで学んだことは…
荷揚げ屋:体力はあっても體(からだ)の使い方?力の加えるポイントが拙いと無駄な労力を要すること
居酒屋:接客する側の大変さを体感

 一番の経験は時給をいただくことの大変さ(一時間働いてようやく手に入れることのできる額)を身をもって味わえたこと、と同時に競輪選手が如何に恵まれた仕事であったことかを氣づかされたことであった。

 アルバイトを経験したことが、所謂社会人デビューではないかと勝手に思っていた。

 二つのアルバイトを経験したところで、いよいよ専門学校入学である。

 齢(よわい)36にしての上京。齢36にしての専門学校入学。かくして、一抹の不安と焦燥と高揚が入り混じった花の都大東京でのサバイバルが幕を上げた。

 ものわかりがよくて、察して、目立ちたがりで、真面目で、ダサいことが嫌いで、うっすら支配している空気が嫌いで、冷静で、ひねくれもので、エネルギーの方向が違っていて、つまずいて、めんどくさいやつで、引き際が潔くなくて、いい歳していい経験して、

 つまりは、我思う…「可愛げのない社会人1年生」だった。

続く

1975年7月17日 青森市生まれ




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