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それは本当に「相手のため」か

自分の行動を少し客観視してみると、「人のため」と言いながら「自分のため」に行動してしまっていることが少なくない。自分は、学校教員という仕事をして「人のために働くことは最高に幸せだ」と知ったのだけど、同時に「自分のために」行動をしてしまう自分に気づかされることも多くて苦しさもあった。

例えば「子どもたちのため」といいながら、様々な背景を考慮せずに子どもを強く叱ってしまった自分、「子どもたちのため」といいながら、彼らの理解度を度外視して教科書を進めてしまった自分、これらは「自分のため」にとってしまった行動だ。自分のプライド、自分の安心、そんなものを守るためだけの行動だった。

短期的にはよくても、中長期的には、「自分のため」だけにとっている行動は相手に伝わり、信頼を損なってしまう。だから、こういうとき、ひどく反省するし、自分が嫌になる。人間としてもっと成長したいなと思う。

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昨日、夜ご飯を食べながらさんまさんの番組をみていたのだけど、「彼女がいるときに喧嘩を売られたら?」という話をしていて、出川さんが「おれは彼女に被害が絶対にかからないように土下座でもなんでもするよ。」と言っていた。それに対して小島瑠璃子さんが「それが一番素敵。なぜかって、自分のプライドを守ることじゃなくて、彼女のためを考えているから。」と絶賛していて、すごく本質的だと思った。表面に現れる行動の裏にある「なんのため」「だれのため」の行動なのか、ここに対する気持ちがなによりも重要なのだと思う。

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「人のため」に見える行動はたくさんある。例えば、「彼女のため」と言って高級レストランを予約したり、「みんなのため」と言って、イケてるお店をアレンジしたりすることがある。でもそれってもしかしたら自分を良く見せたい、できる自分を見せたい、という「自分のため」が大きな目的になってしまっている可能性がある。「彼女のため」「みんなのため」を考えたときには、高級レストランであることやイケてるお店であることは必要ないかもしれない。(必要であるかもしれない。)何よりも大事なのは、それが本当に「相手のため」を考えた行動なのか?を自分に問いかけることだと思う。

「相手のため」を考えた行動が、短期的には相手に喜ばれないこともある。例えば、「子どものため」に宿題を用意したり、「彼女のため」に節約したり。でも結果として、子どもたちが自分の進路実現のために生きる力となっていたとわかったとき、すごく感謝される。あの1年、良いレストランにいけなかったのは、今日の婚約指輪のためだとしたら、喜んでもらえるんじゃないかな。

「相手のために」を本気で考えた行動は、一回で相手に伝わるわけではなく、本気で相手のことを考え続け、粘り強く続けないとなかなか価値が生まれない。本当に相手のためになったのか?をなんとなく感じられるまでには時間がかかる。一方で、「自分のため」にやった行動は、表面的なフィードバックを得ることで満たされる。

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「相手のために」を本気で考えられる、強くて優しい人になりたい。そして、目の前の「子どもたちのために」を本気で考え続ける塾をつくりたい。

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