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連載小説:トミー・ジョン#1


 損傷した肘の靭帯を切除し、他の部位から摘出した正常な腱を移植して患部の修復をはかる。
 おもにプロ野球の投手が受ける手術で、いまは日本でもそれほど珍しい治療法ではない。医学的に見てもとくべつ難度の高い術式ではなく、日本で受ければ保険が適用される。そのため費用は高額にはならないが、対象がプロスポーツ選手であるがゆえに、より高度な医療体制は求められる。
 側副靭帯再建術。
 その術式を用いた外科的手術を、通称トミー・ジョン手術という。
 術式が開発されたのは1974年で、考案したのは米国のフランク・ジョーブ博士という整形外科医だった。トミー・ジョンとは、患者の第一号である米国野球界の投手の名前だ。
 投手が肘の靭帯を痛める原因には諸説ある。若年時代からの投球過多。勤続疲労。フォーク、スライダーなど特定の球種の投球過多。そして、投球フォーム。
 だがそれらはあくまで表面上の理由だろう。人間の腕はボールを投げるために作られていない。生前フランク・ジョーブ博士がいったその言葉が真理であり、プロの世界で日々投球を重ねていて、まったく肘に違和感を覚えたことのない投手など、ほぼ存在しないというのが実情なのだ。
 現在トミー・ジョンは、成功率が90%ともいわれている。それでも運悪く、二度三度と手術をくり返す事例はあった。プロの投手としてもとの状態にもどることができるかは、またべつの話になる。
 術後のリハビリは過酷であり、また繊細でもあった。およそ十二ヶ月から十八ヶ月。完全復帰までは、二年以上かかってしまうこともある。若いうちに手術を受けたほうが、当然もとにもどる可能性は高い。肘以外の肉体が衰えていくなかで手術を受け、肘だけが回復しても経年劣化を防ぐことはできないからだ。
 あえて米国で受ける選手もいるが、日米での手術の技術差はほとんど感じない。あるとすれば、それは執刀する医師の個々の腕の差だ。リハビリメニューも、いまは日本でも充分確立されている。各球団の意識も変わってきていて、復帰までの知識と経験を持った人間の積極的な現場配置もあった。
 昔からあるネズミの手術とちがうのは、復帰までの道程と期間の長さだった。丸一年以上変わってくる場合もある。一度肘の関節が動かなくなるところからはじまるのだ。焦ってオーバーワークをすれば患部の状態は悪化するし、怠ればもとのような投球はできない。復帰までは、人としての克己心が試される期間でもあった。
 トミー・ジョンを受けると球速があがる、というのは俗説だ。もしあがったとしたら、それは選手個々のリハビリとトレーニングの成果にほかならない。
 ここ数年、日本のプロ野球界でもトミー・ジョンを受ける投手は増加傾向にある。
 理由は靭帯の損傷が増加したというよりも、復帰率の大幅な上昇にあると考えられた。ひと昔前であれば、故障を抱えたまま肉体の限界まで投げつづけ、引退した。それが、一、二年休んでも健康体に近い状態で現役をつづける、に変わってきた。われわれ球団側としては、痛し痒しだった。
 その痛し痒しに、昨年うちの投手がふたり加わった。
 私がゼネラルマネジャーに就任する前の十年を見ても、うちの球団でトミー・ジョンを受けた投手は四人しかいなかった。それが就任後の昨年、ふたりの投手がほぼ同時にトミー・ジョンを受けた。
 ひとりは若手の有望株だった。もうひとりは、実力、実績ともに申し分のない脂の乗った中堅だ。
 ふたりとも手術は無事成功していた。リハビリも順調に進んでいる。報告は定期的に受けていて、急を要する問題がなければ二週間に一度入ることになっている。いまのところ、定期報告以外の報告は一度も受けていない。
 午後になって、春野がGM室にやってきた。
 春野は私の直属の部下で、五人いる球団幹部のひとりにになる。春野自身もプロで八年の投手経験があり、その経験を生かして投手全般を担当させていた。今回トミー・ジョンを受けたふたりの復帰プログラムも一任している。まだ三十代の後半で、どちらかというと感覚は球団幹部より現役の選手に近い。 
「どうだ、ふたりの状態は」
 前回報告を受けたのがちょうど二週間前で、きょうがその最新の報告日にあたる。すでに、術後七ヶ月がたっていた。
「前回の報告と同様、患部に問題はありません。着実にリハビリは進んでいます。ふたりともまだキャッチボールの段階で、調整には時差があります。まあ、年齢もちがいますし、それぞれ自分の体と相談しながらといったところでしょうか」
 私は春野が差しだした報告書に目を通した。日づけと数値が並んでいた。リハビリ担当、監督、コーチら数名の見解があった。それらを総括する春野の見解があった。とくに引っかかる数値や文言は見られなかった。
「やはり、若い高木のほうが回復は早いな」
 春野は苦笑した。
「もう高木は投げたくてしょうがないようです。先週から数日おきの遠投に入っていて、そこそこ勢いのある球を放っています。実績が少ない分焦りもあるのでしょう。リハビリ担当には、手綱をしめるよう指示しています」
 高木は今年二十二歳になる入団四年目の左腕だった。過去二年、中継ぎで九十試合近く一軍のマウンドを経験していた。年俸は三千七百万。順調に復帰すれば、今後は中継ぎのエースを任せる方針の投手だった。
 今回の高木の離脱を、われわれ球団側は前むきにとらえていた。この若年時期のトミー・ジョンはむしろ好都合だ、と。二十二で、一度肘がさらの状態になる。復帰後は、投手の最大の懸念である肘の靭帯を憂うことなく、投手寿命をまっとうすることができるのだ。
「秋山のほうは」
「落ちついています。報告書にもありますが、こちらは同じキャッチボールでも十五メートルほどの距離で、しかも山なりです。再発だけは避けたいのでしょう。かなり慎重になっている印象です。経験も実績もある投手なので、こちらからよけいな口は一切はさんでいません」
 秋山は三十一歳で、今季十三年目の先発ローテーションピッチャーだった。手術前までにすでに百二十勝の実績があり、プロ通算で千五百イニングほど登板していた。今季の年俸は二億五千万。高木と異なるのは、手術を米国で受けている点だった。リハビリも、最初の一ヶ月はむこうに滞在しておこなっていた。いまも定期的に執刀医を日本に呼んで診察を受けている。すべて、自費だった。
「おまえの率直な感想は」
「ここまでくれば、両者とも移植した腱が靭帯として患部に定着したと考えて問題ないと思います。高木は十四ヶ月から十六ヶ月、秋山は十六ヶ月から十八ヶ月をめどに実戦復帰できるのでは、と考えています。あくまできょうのふたりの状態からの予測ですが。手術前の状態にもどるかは、まだまだこれからの話でしょう」
「わかった。引きつづき管理を頼む。ふたりには、焦らず万全の状態でもどってきてほしいと伝えてくれ」
「了解しました」
 春野が辞去してひとりになると、私はリハビリ中の高木と秋山が復帰に失敗した場合の対応策の想定に、しばし没頭した。



 翌月のある月曜日だった。


    続 トミー・ジョン#2




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