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私の宝物のはなし

 私が詩人しじん西條八十さいじょうやそに出合ったのは、今より十八年前の学生時代に森村誠一もりむらせいいち氏の著書『人間の証明』に引用された『帽子』といううたが初めてだった。
 あれからそれほどの時が流れたのだと愕然がくぜんとするとともに、あの詩の似合う盛夏せいかに亡くなられた氏を思うと感慨深い。

 いま私の手元には決して手放すまいと決めた一冊がある。これが私の宝物であり、前述ぜんじゅつの二人にかかわりのある本なのである。
 タイトルは『西條八十詩集』。角川より発刊された角川文庫の中のひとつで、昭和五十三年に発行された。

 十八年前に『人間の証明』を読んでから、この詩のった詩集を熱に浮かされたようにして本屋を探し回った。図書館の蔵書としてではなく、いつでも読み返せる手元に置いておきたいと願ったからである。
 しかし家のそばの本屋の棚にはおいておらず、今のように臆することなく店員さんに話しかけるような度胸も持ち合わせていなかった私は、駅前の大きな古本屋に望みをかけることにした。
 結果として一番良い詩集を手に入れたのだと思っている。なぜか。

 この本の解説には娘である西條嫩子さいじょうふたばこ女史と森村誠一氏が名を連ねる。
 女史のほうが解説をなさり、氏のほうは『帽子』とご自分との出会い、関りについて語っておられるのだが、このたった5ページほどの語りのためにこの本は私の宝物となった。

『人間の証明』の中に引用されるこの詩はあまりに印象深く私の中に残り、そのため当時の私はこの詩の載った詩集を探し求めた。
 そして、なぜこれほど心に響いたのかをこの本の氏の語りによって納得したのである。

 氏が霧積きりづみの宿で用意してもらったという弁当の包み紙にられた『帽子』の詩に思いをはせ、その光景を幻想し、そのためにこの作品が生まれたことに感謝するほかなかった。

 優しくいろどられた麦わら帽子を胸に抱き、旅立たれた氏のご冥福を祈るとともに、ただのいち読者でしかない私がこのような胸のうちを皆さまに吐露とろする無礼をご容赦願いたい。

令和五年 七月 二十五日 九十きゅうそ

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