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分かれ道で思い出したいこと

新年になり、呆気ないほど早くも1月後半。
年齢を重ねると相対的に時間の経過は早くなるらしいけれど、いやはや本当に、とんでもなく早い。最近のことを語るとき何年も前の記憶を引き合いにしてしまうあたり、確実に生きてきた歳月を噛み締めてしまう。今日はカレンダーを見るなり、先にやってくる春の存在も忘れて「すぐに夏がくるよ」と事務所で呟いてしまった。言い終わるまでに流石にそれは早すぎると頭の中でも高速で呟く。
2つ3つ先のシーズンを意識するようになったのは、観光の道を歩き始めたが故の変化。今いる場所だけ見ていては先に進みづらい。常にうんと遠くへ視線をやり、同時に足元にも目を配る。そんな仕事。

年末 雪の降ったある日




言葉をあつかうことの難しさ

昨年5月に再開したEntôJournal。新年を迎え新たに1本書いた。
年の暮れにおよそ書き終わっていたものの、ご存知のように世間では元旦から実に様々なことが起こり、それとは別に島でも大きな動き。下書きを見返した時にふと「今届けるのにこれではだめだ…」その殆どを書き直して先日ネットの海へ解き放った。

今頃どこかの誰かにゆらゆら届いているだろうかは分からない。

既にこの土地を訪れた人には再来の余白を、まだ出会っていない人には未知の予感を。そして島で暮らす人には、いつか記憶を手繰り寄せる小さな小さなカケラであれと。実態のないものに祈るように、つい宛名のない手紙のように書いてしまう。そして毎度思う。誰のものでもない、誰かのための読み物になれないだろうか。何かの役に立たなくても、ずっとここにあるからいつでもおいでよと、安心できる何かであってほしいとも思う。願いを込めすぎだろうか。欲張ってはいないだろうか。たまに贅沢で的はずれなことをしていないか不安になったり、それでも諦めず、単焦点な自分のフィルターと絶え間なく豊かな島の景色、この島を訪れる人々の些細な視線を重ねて今年も続けてみたい。

1/2早朝 味蔵のマーさんが操縦する船で日の出を待つななさん
じっと日の出を待つななさん その横顔が男前だったので無意識に撮った




「こうありたい」の可視化

4度目の人事異動を終えてから、何十年先の遠い未来ではなくて、ほんの数年後の暮らしを思い描く時間がぐっと増えた。動的な現場から少しずつ手が離れて、思考の時間が単純に増えたことが影響した。

言葉の羅列だけではすこし陳腐で整理がつかず、先日図書館を借りて数人の島民で集いビジョンボードなるものを作成するなどした。文字だけでは拾えないイメージの可視化、その助けとなる良いワークショップで、集まった5人のなか自分だけなぜか言葉の引用が激しくうるさくなった。今現在に至るまで「本」そして「言葉」という存在に助けられてきたからこうなったのだろうなと眺めながら納得。数年後の暮らしに馳せた自分なりの心地よさ、こんな風にカタチに出来ていると嬉しいなという気持ちが湧いてくる。

自分の感じる里山(阿蘇)での軸は土地そのもの。里海(海士町)での、きっかけは暮らす人。そして今現在、軸は同じく土地そのものになりつつあって、そこに働く場所や関わる人が色をつけていく。

いつでも目につく場所に置いておくといいですよとの助言を受けて、1日に何往復もする自宅の渡り廊下に掲示してみた。すぐとなりにある町内バスの時刻表に負けず劣らず、顔を洗う時も洗濯物を取り込むときも、自分の未来予想図(仮)が視線を送ってくる。このイメージに辿り着くならどうするか、今の状態や気持ちを以前よりも意識することになり、案外いい。変なプレッシャーを感じるのではなく、生きていればこんな未来も有り得るというちょっとした希望のようなご褒美のようにも見えてくる不思議な制作物になった。

里山(阿蘇)と里海(海士)の真ん中に自分を置いて軽やかに反復横跳びするイメージ




自分を分解する

数年先のことを考えながら、自分を改めて見つめ直してもいる。

得意なこと、苦手なことは何だっけ。
本当にそうだっけ。
なぜそう感じているのか、具体的にはどうなのか。

できれば自分をのことをよく見てくれている人とじっくり話してみたい。いま暫くは自分で考えながら探ってみている。

幼い頃の記憶はあまり持ち合わせていないなりに、思い起こせば短距離走よりは学校のマラソン大会や長距離走が得意だった。よく話しの例えでスポーツのあれこれが引用されるけれど、少し安易ではありつつこの長距離というのが頭の整理をするとき度々キーワードで挙がってくる。

瞬発力の必要な場面は苦手ではないし多少対応もできる。何かを決めることも、役があれば案外容易い。ただ、それらが得意な人は周りに沢山いるし、そういった場面を経験してほしい人たちの顔が同じくらい浮かぶ。
性格が邪魔するのか、短期間で何かを成し得たりすることにはあまり魅力を感じられないのかもしれない。その繰り返しにエネルギーを注ぐことよりも、中長期的に場所や人と関わり、関係性の過程でそれぞれの魅力を見出したり掛け合わせること。より人や土地の輝きを深めること。そういったプロセスに熱を感じる。コンプリートして次へ次へと進むより、ひとつの事柄により多くの可能性を見出して、時に寄り道もする。商売人には向かない性分かもしれないけれど、浅瀬よりも深い海へ潜っていくことに幸せを感じてしまう。


訪れてくれたゲストに対しても、きっとそう。
現場の最前線にいれば、臨機応変に出来得る最大限のサポートで旅に思い出を添えられるけれど、その働き手としての面白さや嬉しさをひとりでも多く感じてほしい気持ちの割合が大きい。単に自分が歳を重ねたからだと感じていたけれど、よくよく周りを見渡せば、実に若いスタッフが多くなっていた。彼らに観光に携わる面白さや嬉しさを感じる場面を届けたいという思いが、いつからか自然に湧いたのかもしれない。

すこし時間をかける関わりや創造の場面が、自分も心地よく居られる要素のひとつになりそう。担当しているEntôJournalも、その場限りではないじっくりと溶けるように届けることに終始しているから続けられている気がしてくる。畑仕事だって、蒔いた種が何ヶ月もかけて育つ様子に手を添えるから楽しい。

未来の観光を背負うTOUCA2期生の矢口くん 送別会で送られた大量のカフェオレ


得意なこともそうでないことも、自分にハマっていることを大切にする。
自分の感覚を疑いながらも信じたい。
自分を思ってくれる人の感度も信じていたい。



明日から数日、雪が吹き荒れるらしい隠岐の天気予報。深夜の書き物はそろそろ卒業したい気持ちでいるのに、日付を跨いでからの頭がいつも大運動会で忙しい。すこし雑で、すぐ遠くへ行ってしまいそうな自分には、雑談の人が言うように、手触りや手応えがある小さな選択と行動で目の前の生活をしゃんと進めると軌道修正できる。本を読むこと、そこから読みとるフレーズも自らの歩みに影響する。
ひさしぶりに開いた本から勝手に受け取る追い風が、その一歩にちからをくれた。

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