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第1回 料理人にとって「酢」とは何か?【和食の名人・野﨑洋光が語る「酢」の魅力】

和食の名店「分とく山」総料理長、野崎洋光さん。伝統の調理法にとらわれず、本当においしい料理を作るための新たな調理法の考察や実践でも知られます。そんな野崎さんから「酢」との上手な付き合い方を教えていただくシリーズが今回からスタート。
第1回目は、料理人から見た「酢」の効用について語っていただきました。

「さしすせそ」は調味料の順番ではなかった?

 皆さんは、料理の「さしすせそ」という言葉をお聞きになったことがあると思います。料理、特に和食の味付けの基本とされる「砂糖(さ)」「塩(し)」「酢(す)」「醤油(旧仮名づかいでせうゆ=しょうゆ)」「味噌(そ)」の5つの調味料のことを指す、いわば語呂合わせですね。

 もう一つ、この「さしすせそ」には「この順番で調味料を入れると味付けがうまくいく」という意味があると思っている方が多いかもしれません。けれども、実はそうとばかりは限らないのです。

 確かに塩は砂糖よりも分子が小さく、浸透性が高いので、砂糖よりも先に塩を入れると砂糖が入り込みにくくなるという理屈はあるかもしれません。しかし煮汁の温度やタイミングによっても、味の染み込み方は変わります。野菜のデンプン質は加熱すると糊化して表面に膜ができるので、分子の大きさの違いで染み込み方に差がでるのだろうかという疑問も残ります。

 「さしすせそ」の順番がいちばん理にかなっているのは、実は「しめ鯖」です。砂糖の浸透圧で鯖の身を脱水してうま味を凝縮させてから塩で締めると、あまりしょっぱくならず、ちょうどいい味加減になります。そのあとで殺菌作用のある酢につけて美味しさをさらに上げてから、しょうゆで食べる。「そ」の出番がちょっとありませんが(笑)、それがしめ鯖の「さしすせそ」です。


鯖に味噌は「昔の常識」。隠し味のお酢ですっきり

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 このように、「常識」と思っていたものが実は「非常識」ということが、料理の世界にはいろいろとあるものです。

 例えば、先ほど使わなかった味噌と鯖の組み合わせといえば、和食の定番「鯖味噌」が思い浮かびますね。しかし鯖やサンマなど脂ののった青魚は、味噌で煮込むと味がくどくなってしまいます。かつて流通が発達しない時代には「足のはやい」青魚は、時間がたって臭みが出てしまうことがありました。それを消すために味噌や砂糖で濃い味付けにしたり、ショウガを入れたりしたのです。しかし流通が発達し、朝とれた魚がその日のうちにスーパーに並ぶようになった現在は、くさみを消すための味付けは本来、あまり必要ではないのです。私は、今の鯖は塩焼きがいちばんの美味しい調理法だと思っています。

 くどくなりがちな鯖味噌をすっきり仕上げたいとき、おすすめしたいのがお酢です。こってり味のラーメンにもお酢を少量入れると口がさっぱりするように、お酢が隠し味として活躍してくれるのです。


平安時代から食卓に並んでいたお酢。一人一人がグルメな歴史

 お酢は塩と並んで、人類が作り出したもっとも古い調味料といわれます。世界各地ではさまざまな材料からお酢が作られ、料理にも利用されてきました。日本には4~5世紀ごろに中国大陸から伝わったとされ、酢漬けや酢の物、なますなどの料理に使われ始めました。

 平安時代には「大饗(だいきょう)料理」といって、食材を小さく切って器に盛りつけたり、大きな鍋で煮込んだものを取り分ける料理方式が生まれました。各自のお膳の上には「酒」「酢」「塩」「醤(ひしお)」といった調味料を入れる白い皿が並び、これを「四種器」と呼びました。食べる人は器から自分の皿に食材を取り、四種器から調味料をかけ、好みの味付けにして楽しんでいたそうです。

 そうした楽しみ方ができたのは、日本がお箸の文化だったからだと私は思います。お箸で取り分けて、ちょっとずついろいろな味を楽しむ。欧米ではあらかじめ完成された料理が器に盛られて、順番に出てきたものをナイフとフォークで食べるスタイルであるのとはずいぶんと違うと思いませんか? 料理人が決めた味をただ食べるだけでなく、日本の料理は食べる人が最後の味付けを決める。一人一人が、自分の好みを知ったグルメだということではないでしょうか。そんな「世界の常識」と「日本の常識」との違いも、私にはとても面白く感じます。

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「大饗料理」の調味料は、四種がすべてそろわないときも「酢」と「塩」は必ず並んだといいます。そんな私たちの食卓に欠かせないお酢の魅力や、もっとおいしい使い方について次回もお話していきたいと思います。

第1回 おわり

(プロフィール)
野﨑洋光 のざき ひろみつ
東京・南麻布の日本料理店「分とく山」総料理長。1953年福島県生まれ。学校法人石川高等学校卒業後、武蔵野栄養専門学校卒業。東京グランドホテル、八芳園を経て「とく山」の料理長に。1989年支店「分とく山」開店。総料理長となる。和食の伝統をふまえながら、その時代や素材に合った調理法でおいしい料理を提供し続ける。わかりやすい説明と豊富なアイデアの料理が人気で、テレビ、雑誌、講演などでも活躍中。『おいしいごはんの勘どころ』(学研プラス)、『野﨑洋光が考える 美味しい法則』(池田書店)など著書多数。
●「分とく山」ホームページ https://waketoku.com/