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<葛藤Vol.2>お風呂に入ってるときにアイデアが浮かんでくるけど、あがったらだいたい忘れている。

23時を過ぎ、そろそろお風呂に入ろうか、とわたしが思うときというのは、だいたいルームメイトがひと仕事終えて「お風呂に入ろうかな」みたいな雰囲気を出しはじめるときである場合が多い。ああ、今さら入りづらい。先に入っとけばよかった!確認するとやっぱりこれから入るところだったらしい。わたしは人とお風呂に入ることにこれといって抵抗も不自由もなく、むしろ割と好きなので、一緒に入ることを提案する。

「嫌だよ」
「なんで?!」
「1人で入りたいもん」
そういう時もあるか。
秒で断られた。
「まあいいや。一緒に入った方が効率的だもんね」
仕方なく今日は許可してくれたらしい。

お風呂に浸かってふとボーっとする。
「そういえば、なみってお風呂にケータイも本も歯ブラシも持って入らないんだね。いつもお風呂でなにしてるの」
内省。
へー。
「お風呂の中って一番アイデアが湧くらしいよ。DaiGoが言ってたからこれはマジ」
なるほど!その瞬間、最近の悩みだったことに合点がいった。だからわたしはお風呂の中でアイデアが湧いてはそれを掴みきれず消えていくんだ。

そういえば、昔からそうだった。「今、この瞬間の自分の感覚」をめいっぱい味わって、それらの記憶を脳に焼き付けたいという思いがずっと強かった。授業のノートを取るのが苦手だったのは、それが関係してもいるかもしれない。なぜ先生はこんなにも大量の文字を生徒に書かせるのか。昔の人は書くことで覚えられる人が大半を占めていたのだろうか、わたしにとって「書く」という動作は、書くことでしかない。絶対に押さえておかないといけない授業の大筋だけはプリントして配ってくれたらいいじゃないか。大事なのは先生がその場で付け足す内容で、それを味わって書き込むことに時間と集中を使いたいと思う。
人と話すときもそうだ。わたしは相手の言葉を味わう時間が長すぎるのか、相手の言葉をただ味わって聴いていると、「何を考えているんだ」とよく不安そうな顔をされる。もしくは、マシンガンのようにそのまま続けて話し続けられ、わたしの心は不完全燃焼におちいる。

話を戻そう。お風呂というと、夜なのだ。これもまた困る。お風呂で浮かんだ無数のアイデアが消えゆく中で、残っているものを死守するためドライヤーしながらケータイにメモしまくる。この時点でひらめきの半分は消えているけど、必死に頭に残ってるやつを書き残す。一回消えたやつは、「ああ・・・めっちゃおもしろいこと思いついたのに・・・」と悔しがって数分したころにまたふっと降りてくるので、結果としてお布団の中までメモが続き、しまいにはブルーライトによって目がカラカラになって寝れなくなる。かくして夜型にハマりがち。
でも、一方でわたしの中には確固たる「夜型はダメ。人生損する」という信念があり続けるので、どこか後ろめたい気持ちで夜中の妄想メモを楽しむのであった。「いや、夜型が合ってる人もいるし、それがわたしなのでは?」と思ったりもするけど、次の朝になってみると、気持ちの良い朝をロスした自分に絶望しちゃう。

あら?何の話だったかまたわからなくなった。お風呂で出てきたアイデアを出るときには忘れてしまているという話だった。これに関して「じゃあお風呂の中にケータイを持って入ってメモしたらいいじゃないか」と思うかもしれない。でも、1日のサイクル的にお風呂に入るときにはだいたい充電が切れそうになっていて、かつ音楽をかけたいので、だいたい途中で電源が切れる。充電が自分の睡眠とタイミングがすれ違ってくると、恋人とのすれ違いには勝らないものの、一定の不都合がある。まさにこんなときだ。でも、中途半端な充電をしてリズムを整えることは極力避けたい。なぜなら、まだ充電があるときに充電したくないからだ。なぜかはよくわからない。つけっぱなしとか、なんか違う。疲れたときに食べるラーメンだから美味しいんだし、久しぶりにいくからユニバは楽しいのだ。いつでも充電してもらえたら、ケータイだってそういうものだと思ってしまう。1日分のエネルギーで1日を生き切るのだ、相棒よ。

全然関係ないけど、パソコンのグーグルクロームとかでいつ見てもページがたくさん開かれている人は、朝起きてパソコンを開いた瞬間からあの状態なんだろうか。ということは、寝るときはシャットダウンじゃなくてスリープ状態なんじゃないか。いや、別に文句がつけたいわけではない。むしろ、これに関してはどこか憧れを感じている自分がいる。なんか、よくわからないけど、忙しく充実したビジネスマンのイメージがある。あの画面を共有されると、「うわあ、今日もたくさん検索してますね」ってなる。わたしにとってスリープとはソファーとかその辺で仮眠する感じだ。いわば服もすぐに出勤できるような状態で寝ている毎日。ちゃんとふとんで寝る日は週に何日あるのだろうか。でも、猪突猛進にゴールに向かうなかで効率化を極めるその姿に、やはり憧れがあるのは事実だ。でもあれ、タブ小さすぎて何のページか分からなくなって、逆に効率悪くない?

それで、結局何だったっけ。あぁ、自分の心の声を文字にするのってなんでこんなに難しいんだろう。頭の中では、きらっきらな言葉が宇宙から流れ込んできてくれるのに。そんな言葉たちに1人でニヤニヤして満足しちゃうから、文字にする前に逃げられてしまうのか。いや正確にいうと、わたしは言葉を味わうことにあまりにも貪欲なのだろう。わたしにとって、感じたことも考えたこともすべて宇宙からきた言葉、すべて宝物だからなあ。宝物が多すぎるなあ。

「ガァチーンと噛んでね」
行きつけの歯医者さんがよくいう言葉だ。「行きつけの」をつけるのが歯医者さんなのは置いておこう。その言葉はもはや彼の口をついて出てくるのだろう。一体この人は1日に何回「ガチーン」と言ってるんだろう?そんなことを真顔で歯の治療を受けながら思っている自分が面白くなってきた。こんなふうに、真顔で歩いている街の人々も、案外ばかなことを考えてるんだろうな。そう思うとこの世界もけっこう平和かもしれない。

「はい、噛んでねガァチーン」


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