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わたしが南米に惹かれる理由

ついさっき、明日のLDS合宿に持っていくバックパッカーに、南米で買ったパッチ?をなぜかすごく縫い合わせたくなって、やってたとき、ふと考えていたこと。

わたしはなんで南米に惹かれるんか。

パッと出てくるのは、景色が綺麗だったとか、人のかしこまらない雰囲気が独特で憧れるとか、なんだけど、

もしかして割と根本に、

「資本主義社会から逃れたい」

って自分の考えがあるんかもしれん、と思った。

そう思ったのは、昨日の夜母と話してたとき自分が感じたこととそれがリンクしたから。

わたしは、これまでおそらく、一般的な選択肢の中でお金のかかるものばかりを選んできた。もちろんわざとではないんだけど、結果的に見ればそうなってしまっている。

幼小中では興味のあることから習い事を取っ替え引っ替えしていた気がするし、高一のときはカナダに留学したし、大学受験に失敗して実家を離れ寮生活しながら浪人したし、あげく二度も受験に失敗して結果私立の大学に入学した。

大学二年の終わりには海外の旅に目覚めて一年間の休学をしてワーホリや旅をした。そのときは、一切金銭的支援はない約束だったけど、何だかんだで親に負担してもらっている部分は大きい。引っ越しも手伝ってもらった。そして、いま心の中で大きくなっている「海外で生きる」という選択肢を、ワクワクの源泉であった「南米」に絞ってもっと深く可能性について考えてみたいと思った矢先、夏休みに2週間で行われる中南米(メキシコ、ペルー)のインターンを見つけたのだ。

こう見てくると、わたしは自分の意思をかなり通してもらってきた。それには親やおばあちゃんのお金が必要だった。

申し訳なさももちろん毎回感じていた。

でも、いつか恩返しできるって信じて、自分が成長できるって直感的に感じたものには積極的にチャレンジさせてもらった。

何が言いたいのかというと、もちろんやりたいことだったんだけど、こんなにお金を使わせてばっかりの自分が申し訳なくて、いつか恩返しって、ずっと言ってるけど、ずっとずっとお金がかかる子どものままで。これからも返していけるような人になれるかってすごく不安になってきて

もはや親に「あんたは一番お金がかかるけど一番見込みがない」とか「あんたには期待してないから大丈夫」って言われてそれが悔しくて

それを今でも忘れられずにいたってことに今気づいた。

だからこそ、「お金」っていう自分が本当に苦手とするものから逃れたい。お金があるから「ちゃんとしなきゃ」ってプレッシャーもかかるよね。そしてちゃんとできない自分が嫌で嫌でしょうがなくなる。プレッシャーにもちろんいい面もあるだろうね。でも、わたしはたのしんでできるものを選びたい。

だから、南米に行ったとき、「生きる=働く」の人たちを見て、楽しく生きてて、つまり楽しく働いてるんかなって。

お金の概念が違う気がした。

うまく言えないけど、眠いし、もういいや。

これは自分のメモだからな。とか言い訳する。明日は合宿。今日この気づきはとても大きい気がする。もっと深掘りできるといいな。

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