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無職期間、ロンドンを遊びつくす/そろそろ日本に帰りたくなってきた人間のイギリスワーホリ記⑧

 テンポラリーの仕事がついに終わりそうなので、就活中です。しんどい。働きたくない。適職は無職。

 ということで、ロンドンに来て最初の無職期間を振り返ろうと思う。

前回はこちら↓

※ここに書かれていることは全てフィクションです。


変わらないものはない。私も。

「Morning! How are you?」
 話しかけてくる友達に、今日も最高にハッピーだよ、と返す。昨日は教室に来なかったじゃない、体調が悪かったの?
 スモールトークをしていると、別の友達が韓国語で話しかけてくる。私はそれに中国語で返す。ロシア人の友達がロシア語を話してくるので日本語を返す
「ごめん、ロシア語は少ししかわからないの。歌なら3曲くらい歌えるんだけど――」

 そこで目が覚めた。
「……韓国語、全体的に間違えてるなぁ」
 私はよく夢を見る。夢を見る行為が好きなので、夢日記をつけたり、夢占いに手を出してみたり、睡眠の論文を漁ってみたり。夢とはかなり良好な関係を築いていると言っていいだろう。
 イギリスに来て、夢の言語が少しずつ崩壊してきた。初めて英語が夢に出てきたのは語学学校に入学して1週間ほど経った頃。そこからせきを切ったように今まで触れてきた言語が夢の中になだれ込んでくるようになった。
 面白い。脳が変化していくのが手に取るようにわかる。
 夢の中で出てきた韓国語の正しい表現をグーグルで検索していると少し目が冴えてしまった。

 体を起こして時計を見るとまだ夜中の2時だった。もう一度ベッドに戻り目を瞑ると、次は5時だった。空はもうかなり明るい。
 もう少しだけ寝るか、と仰向けになると次の瞬間時計が9時を指していた。流石に起きねばならない。
 もそもそと着替えだす。頭がスッキリしない。
 朝型の私としては珍しい起床時間である。やはり、疲れていたのだろう。

 さて、ロンドン在住無職としての最初の朝。空は晴れ渡っていて気持ちの良い気温。
 スケジュール表を確認する。今日は、遊びの用事が3件。あとは履歴書の……いや、就活については今思い出したくない。
 まぁつまり、語学学校期間と変わらず朝から晩までみっちりと予定が詰まっているということである。
 キッチンに誰もいないことを確認して、ドキドキしながらロンドンでの初めての自炊。時間がかからないようにベーコンと卵を焼いた簡単なものにした。皿に盛り付けて急いで部屋に持って帰り、写真を撮ってツイッターに上げる。
 お皿も料理も「映え」ないグチャグチャ。でもこれも愛嬌なんだよね。ほら、いいねがついた。

 味わうことなく口に詰め込みながら、パソコンを開いて今日行く予定の美術館チケットを買おうと公式サイトを見る。ジョブシーカー(求職者)だと無料で入れるらしい。
 本気でジョブシーカーの定義を調べてしまったが、残念ながら私は対象ではなかった。
 なんでだ。私も就活してんのに。

 人と会う予定の前に、一人の用事を一つ済ませておく。
 ナショナルポートレートギャラリー。数年前に言ったときはリニューアル中で入れなかったので心残りだったのだ。旅行中の心残りを解消できるロンドン生活、最高。
 実は本日、リニューアルオープン初日。美術館ガチ勢のムーブをかましてしている。
 館内は隣のナショナルギャラリーと比べてにぎわっておらず、涼やかに絵画を見ることができた。好きな絵も数個見つけられて満足。グッズやポストカードも買った。
 ”友達”と話しているよりも、美術作品を見ているときの方が格段に私らしい感情の動き方をすることを再確認してしまって、どうしようもなく切なくなった。
 リニューアル日を報告すべくツイッターに乗せるが、反応が悪い。美術館・博物館ツイートはかなり受けが良かったはずなので、投稿時間を間違えたかな。やはり夕方が一番伸びるから。
 こんなこと考えずに、何をどの時間に呟いてもいいねを貰いたいな。無理だけど。

 天気の良いロンドンを遊びつくして、夜に帰ってくる。
 夕食は食べてきた。部屋に戻って、今日Primarkで買った枕やベッドシーツをセットする。予洗いなんかしてる時間はない。
 ダボついたシーツに笑ってしまう。サイズを間違えたようだ。
「見て、ちょっと大きかった~」
 買いものに付き合ってくれた人に写真を送る。
「次はちゃんと測ってから買いなさいね」
 面白いことを言うね、この人。次はないよ。ベッドシーツを複数枚買えるほど、この国の私は裕福ではない。

"高価"なナイトガウンと無料のケトル。

 シーツが少々大きかろうが快眠はできる。
 次の日の朝の5時。私は前述の通り朝型なので、この時間は頭がすっきりとしてよく動ける。
 汗をよく吸うスポーツ用の服を一セット持ってきていたのでそれに着替えて、街歩きに使っているお気に入りのランニングシューズを履いて外へと出た。

 走ることはあまり好きではない。有酸素をすると喘息が出やすいからだ。けれど語学学校の友達に朝ランニングしていた人がおり、健康に良いよ〜頭にも良いんだよ〜とコンコンと説教されたのでものは試しと走ってみることにしたのだ。1週間くらいは続くだろう。あまり寒くないから気管支にもさほど影響ないだろうし。
 軽く周辺を走るが人はほぼ居ない。これほど明るくても、今はまだ早朝なのだ。有難い、明るいだけで気分が晴れる。
 それと同時に私は少しだけ恐ろしくなった。これ、冬、ほぼ夜ってことでは?
 グーグルマップで近くに何個か緑色の場所があるのを確認していたので、それを巡ってみる。
 小さな公園、ただの草の生えた一画、マンションの住民しか入れないプライベート草むら……お、良さそうな公園を見つけた、と思うと。
「閉まってんじゃん」
 営業時間は10時から。大人を遊ばせる気がない。がっかりしてまた軽く走り出す。
 少しだけ離れたところに行くと、トレーニング器具が何個か置いてある公園があった。何人かのいかにも警備員等をしてそうな雰囲気の男性達が居る。
 筋肉達がトレーニングしているところに負けじと割り込んでいく勇気がこの日は出ず、30分ほど家の周りを散策するだけで終わった。

 少しだけ汗をかいたのでシャワーを浴びる。狭い脱衣所(というか、トイレの前のスペース)で着替えるのが嫌だな、ガウンでも買うかと思い立つ。
 ナイトガウンをネットで探すと、飛び込んでくるローラアシュレイの文字。
 私はローラアシュレイが好きだ。日本で数セット寝具や寝間着を揃えているくらいには好きだ。本当はロンドンに来てすぐに寝具類をローラアシュレイで揃え、帰国時に日本に輸入しようと思っていたのだが、残念ながら寝具のサイズが違うらしい上にイギリスに実店舗がないらしく断念した。
 今回は洗濯で痛むのが嫌で寝間着を持ってこなかったが、確かにガウンという形で生活に取り入れれば少しは「私」っぽくなれるだろうか。この一か月間というもの、私らしくない節約生活をしすぎていて気が狂いそうだ。
 でも60ポンドかぁ。ちょっと、高いかも。
 ダイソーで買って持ってきた大きな鏡を机に置いて、日焼け止めを塗って、少しだけ化粧をする。
 さて。今日も忙しいぞ。頑張らなくては。

 私はお茶をよく飲む。なので頻繁にお湯を沸かす必要があるのだが、フラットのキッチンは部屋から遠く湯沸かし器(ケトル、というらしい)を気軽に使えないのは今後かなりのストレスになると容易に想像がついた。 
 MixBの「売ります」欄、ケトルを5ポンドで見つけたので連絡をとって取りに行く。
 かなり南のほうの家。ロンドンの探索も兼ねているので、遠くまで行くことは苦労だと感じなかった。
 ドキドキしながらチャイムを鳴らすと少し年代が上のご夫婦が顔を出す。駐在さんだろうか。
「これがケトルなんですけどね、あの、石灰が。一応掃除したんですけど取れなくって」
 ロンドンはかなり水が固く、ミネラル分がケトルや水回りにこびりつく。見た目が悪いだけで特に害はない。
「ああ、全く問題ないですよ。ええと、お金が……」
 と現金を出そうとすると、いえいえ、と止められた。
「こんなところまで来ていただいたし、お金はいいですよ。ロンドン生活、頑張ってくださいね」
 夫人は人のよさそうな顔で笑った。

 帰り道に涙が出てきた。湯沸かし器すら人に恵んでもらわねばならないのだ。なんて惨めなのだろうか。でも、今は無料や安売りに飛びつくしかない。優しい人からの善意を食べて生きていくしかない。
 日本にいた私は「私が社会の底辺」などとほざいていたが、こっちの方が何倍もひどい。何を好き好んでこんな状況に居るんだ私、馬鹿なんじゃないのか。
 ぼーっとそんなことを考えながら歩いていると、太った白人男性から声を掛けられる。
「駅ってどこかわかる?」
「知らない。私このあたりに住んでないから。グーグルしてよ」
 なんで私に聞くんだ。明らかに何も知らなさそうだろうが。おセンチなムードが台無しだ。
 まぁいい、タダより安いものはない。はやくこのケトルでお湯を沸かして紅茶を浴びるように飲もう。カフェインがあればとりあえず動ける。
 動かせたら、動くのだ、全て。

「見て、超可愛くない? 見た瞬間これって思ったの。運命なんだよ」
 つい二日前に出会った友達に、先ほど検索したナイトガウンを見せる。
「いやでもうちらまだ働いてないじゃん? 高いじゃん、60は。……でも、日割りすればただみたいなもんなんだよね。買うわよ」
 相談という名の自分語りを終え、購入手続きに進む。あ~あ、日本円で見ると大したことない買い物に躊躇する私が嫌だ。
 無料のケトルが重たい。うん。ケトルを新品で買ったと思えば大丈夫。わからない。大丈夫って何だろう。
 どんどん自分がわからなくなっていく。

人間とキツネは、どちらが付き合いやすいだろうか。

 今日初対面の人とパブで飲み、夜中に家への道を歩く。
 ヨーロッパの夜、女性の一人歩きは危ないって? そんなの、どうだっていい。事件に巻き込まれたらそれはその時。
 ……ということで、歩きスマホをしながら迂闊に歩いていると車の影からなにかが飛び出してきた。
 ネコ? イタチ? いや、キツネだ! 赤毛の狐が住宅街を闊歩してゴミを漁っている。
「キツネ!!!」
 鳩と違って(ロンドンの鳩は本当に図々しい)警戒心が強いらしく、声に振り返って私が居るのに気づくと一目散に逃げていってしまった。
「キツネ~どこ~? 友達になりませんか~」
 ふわふわの物体が消えた方向を探してみるが見つからなった。また会えるだろうか。会いたいな。
 動物なら、友情ごっこをしたって心が痛まないだろうし。

 ジントニックをダブルで2杯、心地よい酔いのまま床につく。
 静寂はやはり気持ちが悪くて、ユーチューブで小さく睡眠催眠の音源を流した。
 無職期間とは言ったものの、プロフェッショナル無職の経歴がある私としては就活しようと思っている無職なんてものはまがい物だ。だから今は無職を名乗っているだけ。

 『若草物語』を読んだことがあるだろうか。
 一週間遊んで暮らすだけで根を上げてしまう四姉妹のことを不可解だ、いかにも教育的なコンテンツ、児童文学らしくてバカげていると思っていた幼い私。
 でも社会人になって気づいた。好きなことだけをするというのは、なかなか体力の必要なことなのだ。誰にでもできることではないのだと周りの人間を見て実感した。
 私は有り難いことに、遊んで暮らすことについて割と適正がある。環境も整っている。
 家族は私のすることに全て賛成してお金を出してくれるし、私は「遊び」という行為を若草物語で言うところの「重荷」にすることができる。
 キャリアとか能力とかお金とか環境とか人脈とか諸々全てをこの一瞬に全部賭けるということだ。死ぬ気で遊ぶ。
 その瞬間が楽しければこの命でもなんでも差し出す覚悟のある人間だ、私は。そう自分に言い聞かせる。

 これから2年間、「遊ぶ」を仕事にする。私はそれができる選ばれた人間だ。論理が支離滅裂なのは、酔いのせいということにしておいて下さい。
 私は万能感と共に眠りについた。アルコールは入眠剤として最高のおくすりだ。


 それでは今回はここまで。休日でした。

【今回のヘッダー】世界最高の薔薇園。日本に帰ったら薔薇を育てようと決めました。

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