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(小説)くるみパン

時計を見ると、あと十五分で昼だった。
昼メシは、課長と同期の佐伯、後輩の茂山の営業部四人で行く。連れ立ってメシに行くのは、みんなそうしているからで、べつに違和感はない。
佐伯と茂山は、早くもカレーがいいだの、カツ丼が食べたいだのと言い合っているが、
「交差点を渡ったところに、新しくラーメン屋ができただろ。二郎系っていうのか? そこにしよう」
たいてい課長の一言で決まってしまう。これもいつもの流れだ。

二郎系ラーメン、けっこうだ。しょせん会社での昼メシなんて、仕事の延長みたいなもんだし、何を食っても同じだ。
でも、カレー、牛丼、中華、うどんにそば……いい加減うんざりだ。誰か一人ぐらい、今日はパンにしませんか? という奴はいないのか。

そう、おれはパンが食いたい。米よりも麺よりもパンが好きなのだ。
引かれそうだから誰にも言っていないが、趣味はパン屋巡りだし、なんだったら自分でも作る。

十二時になった。周りが一気に騒がしくなり、みなわらわらと席を立つ。
経理部三人組の彼女たちは、最近SNSでも話題のカフェでランチだろうか。
(あああ、おれも駅前のベーカリーカフェに行きたいなあ。バケットサンドがうまいんだ。ピスタチオのデニッシュも)
小さくため息をついて立ち上がると、向こうのシマに、営業事務の吉井さんが一人で残っているのが見えた。パソコンに隠れるようにして、コンビニで買って来た昼メシを食べている。くるみパンだ。しっとりとした生地のほのかな甘みが際立つ、おれの好きなやつ。
(う、うらやましい……)
と、吉井さんと目が合ってしまい、おれはとっさに笑いかけた。内心の焦りや不安を隠す鉄壁の営業スマイルで。が、吉井さんはニコリともせず、真顔でおれを見返した。
なぜか、急に恥ずかしくなった。
「桑田あ」
佐伯が呼んでいる。おれはホッとしてきびすを返し、みんなの元に急いだ。

会社を出て、並んで通りを歩いていると、佐伯が話しかけてきた。
「ほんと感じ悪いよな」
「え?」
「吉井さんだよ」
さっき、見られていたらしい。
「いつもムスッとして、やりにくいったらありゃしない。昼メシも、いっつもひとりで食べてさ。あの人、協調性って言葉を知らないのかな?」
佐伯は不満げに鼻を鳴らしたが、
「チャーハンか、うまそう」
すぐにスマホの動画に目を落とした。

吉井さんには、新入社員の頃、社内文書について教えてもらったことがあるぐらいで、おれ自身はほとんど話したことがない。が、佐伯は吉井さんと同じチームだ。いろいろと思うことがあるのだろう。でも、
(協調性……? みんなに合わせるって、そんなに大事なことなのか?)
佐伯の言葉が、棘のように心に刺さった。

次の日。昼前に取った電話がかなり長引いて、課長たちは先に昼メシに出てしまった。今から追いかけても、どうせ食べ終わる頃だろう。
(お! 今日は一人メシ)
ものすごい解放感が、体中をかけめぐった。今日こそ、念願のバケットサンドにありつける!
ウキウキと席を立つと、残っているのはおれだけだった。トイレにでも行ったのか、吉井さんもいない。ふと見ると、机の上に口の開いたコンビニ袋が置いてある。なんとなく気になって、首を伸ばして覗いてみると、信じられないことが起きていた。
くるみパンが缶コーヒーの下敷きになって、見るも無残にへしゃげている。
(極上の生地が、台無しじゃないか!)
おれは、闘牛のように吉井さんの机に突進し、猛然と袋に手を突っ込み、くるみパンを救出した……。

「どうしたんですか?」
いつの間に戻っていたのか、吉井さんは、これ以上ないというほど警戒した表情で、こっちを見ている。
(ま、マズい)
思わず手を離した瞬間、くるみパンは床に落下した。
「すみません!」
吉井さんはむっつりとした表情で、パンを拾うと席に着き、そのまま袋に押し込んだ。
「だいじょうぶです。どうせコンビニのパンですし」
(どうせ……?)
もう我慢できなかった。
「いや、こいつはコンビニレベルを超えてる」
「え?」
「ルヴァン種を採用してきちんと発酵させているから、小麦本来の味が生きててうまいんです。それにくるみも、カリフォルニア産の高級品だ。このクオリティでこんなに安いなんて、コンビニの企業努力には頭が下がりますよ」
ここまで言って、ようやくおれは気づいた。
(しまった! 絶対ヘンな奴だと思われた)
ところが、吉井さんはおずおずと微笑んで、
「桑田さんて、パンが好きなんですね……」と言った。
そうだ、おれは何よりパンを愛している。それのどこが悪いんだ。
「大好物です」
肩の力が抜けると、今度は自然に笑えた。
「吉井さんも、パンが好きなんですか?」
「え?」
「いつも昼はパンみたいだから」
「ああ」と小さくつぶやき、吉井さんは、
「食べやすいから食べていただけです。味なんてわかりません」
と寂しそうにうつむいた。
「……わたし、実はすごく人見知りで。誰かとごはんを食べるなんて想像するだけでも胃が痛くなって。それで、コンビニで買って来たパンを、すぐに食べるようにしたんです。もう今は誘われることはないってわかっているのに、いまだに不安で、やめられないんです」
吉井さんの”感じの悪さ”は、極度の人見知りのせいだったのだ。誤解されて、どんなに辛かっただろう。
「こんな話、他の人にするのは初めてです。でも話したら、少しすっきりしました」

ホッとしたような彼女の笑顔を見ながら、おれは決めた。
今度、おれ史上ナンバーワンの、あの店のくるみパンを吉井さんに進呈しよう。不安を吹き飛ばすような、とっておきのうまいやつを。


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